「 金正日の経済失策、脱北詩人の眼 」
『週刊新潮』 2010年1月28日号
日本ルネッサンス 第396回
「北韓(北朝鮮)では、民心はドルの価値と正比例します。ドルの支配力が日増しに金正日総書記の神格化を圧し潰すはずです」
こう語るのは脱北詩人の張真晟(チャンジンソン)氏だ。氏は、かつて当欄で紹介した詩集『わたしの娘を一〇〇ウォンで売ります』(晩聲社)の著者である。
氏は長く金正日総書記に仕え、その人物像や業績を讃える幾多の詩を書いた。1997年に脱北して金正日に大打撃を与えた黄長燁(ファンジャンヨプ)氏さえ、総書記の三男、正雲氏について知らなかったほど秘密の多い人物が金正日である。だが張氏は金正日の側近くで年月を過ごした。それだけに、氏の語る北朝鮮情報は、黄長燁氏のもたらす情報に較べてさえも、驚嘆と傾聴に値する。
09年11月末に明らかになった北朝鮮のデノミネーション(通貨改革)について張氏が分析した。
「デノミと一緒に断行されたもうひとつの措置に注目すべきです。平壌の国家保衛部が全国の闇ドル両替屋に一斉検挙の網をかけた。これは全土にまたがる闇取引市場を潰す市場クーデターでした」
北朝鮮における公の外貨取引は89年に始まったという。88年のソウル五輪に対抗して、翌年平壌で「世界青年学生祝典」が開催された。訪れる外国人が北朝鮮で外貨を使用出来るように、金正日は特別のウォン「外貨交換札」(以下交換札)を作った。ドルとの交換レートは1対2だった。
交換札は、印刷から預金及び貸し出しまでの全てを、金正日の実妹の金敬姫(キムキョンヒ)が運営する統一発展銀行が管理した。こうして平壌で外貨商店が急増し、同行は外国銀行との信用取引を認められた北朝鮮初で、唯一の国際銀行となった。同行と日本の関わりについて、張氏が述べた。
「統一発展銀行を支えたのが朝銀信用組合の日本からの送金でした。最初の6億円が初期の投資資金となりました。後に朝銀が破綻したのは、金総書記が自分の王朝の神格化のために交換札をまるで空から降ってくる無料の外貨のように、束でバラ撒いたからです。朝銀の破綻で朝鮮総連は麻痺し、金正日は自分で自分の首を絞める結果となりました」
偽ドル・ロンダリング
世界青年学生祝典は北朝鮮に大きな赤字を残した。金正日の交換札の浪費も続いた。ドルと交換札のレートが1対2から1対10に落ち込むのにさほど時間はかからなかった。
統一発展銀行から引き出される交換札には北朝鮮政府の信用の裏打ちがあるはずだが、北朝鮮政府の信用そのものが空疎なため、為替レートは坂を転げ落ちる雪だるまのように膨れ上がり、97年には遂に1対7,000になった。
「つまり紙屑になって消えたのです。そのときから、今度はドルと北韓ウォンの直接交換が始まりました」と張氏。
その前年から金正日は北朝鮮国民に「苦難の行軍」を強いていたが、その中で300万人が餓死した。配給がとまった代わりに市場の設置が許され、市場は急拡大した。そこで通用するのは価値の裏打ちを欠くウォンではあり得ない。ドルである。
「北韓政府はまず、ドルとウォンの為替レートを1対150に設定しました。ところがレートはまたもや急落、09年の年初には1対4,000になりました。平均的労働者の月給が2,000ウォンにすぎないのに、です。北韓政府にとって米国は理念の敵、同時に資本の敵でもあります」
金正日は遂に市場の力に押しまくられた揚げ句のインフレを認め、00年7月1日、市場価格を反映した賃金政策を断行、賃金は大幅に増額された。これは金正日がまたもや判断を誤った瞬間だと、張氏は言う。
「賃金に市場価格を反映させ、同時に市場そのものを押さえればウォンの価値を守ることが出来ると、彼は考えたのです。しかし、市場は増刷されたウォン紙幣によって活性化し、商品価格は天井知らずとなりました。生産のない市場における輸入対消費という不均衡な経済構造が価格高騰をもたらすのは当然です」
ウォンの実勢価格が再び続落し、外貨の闇取引も急増した。01年、金正日は全ての市場に公式の外貨両替所を設置させたが、効果はなかった。そこで彼は偽造ドル紙幣を北朝鮮の貿易会社に割り当て始めた。
「米国政府がスーパーKをはじめ、北韓によるドル偽造に厳しい監視体制を敷いたこともあり、北韓には大量の偽ドルが蓄積されたのです。金総書記の秘密資金を管理する39号室傘下の金融機関、大成銀行は北韓の全貿易会社に偽造ドルを割り当て、2対1で本物にして返還せよと命じました」
偽造ドル10万ドルを受け取り、本物5万ドルを上納せよということだ。北朝鮮の全機関、全貿易会社が死に物狂いでマネーロンダリングに走ったのだ。米国の摘発でさらに追い詰められると、偽造ドルは国内市場で取引きされるようになり、ただでさえ脆弱な北朝鮮の金融流通システムはさらに危機的状況に陥った。
崩れ落ちようとする巨大ダム
米国は05年9月、偽ドル、麻薬取引き、テロ支援などの理由を掲げて北朝鮮に対する金融制裁に踏み切った。北朝鮮と取引きをする金融機関に、米国の金融機関との一切の取引きを禁止するというもので、それはその金融機関の市場からの撤退、つまり閉鎖を意味していた。対象となったのがマカオの銀行、バンコ・デルタ・アジアだった。
金正日は米国の金融制裁を非常に恐れ、制裁解除に向けて必死の交渉を行った。その理由は、金正日が世界の銀行に保有している50億ドル(約4,500億円)を超える資金を引き出せなくなり、軍や組織を支配出来なくなるからだと考えられた。ところが、もっと別の理由があったと張氏は語るのだ。
「米国の制裁で北韓内でドルがさらに暴騰し、市場不安も高まり、政権の命が脅かされます。為替レートの防御能力が皆無の北韓ほど『外貨による侵略』に脆弱な国はありません。ドルの支配力こそが政権を潰しかねないのです」
だからこそ、金正日は次なる抵抗に進んだ、それが去年暮れの通貨改革だというのだ。ウォンを政府のコントロールの下に引き戻し、貨幣価値を自力で調整しようとしたわけだ。外貨闇取引所への一斉検挙も平仄が合う。だが、と張氏は反問する。
「北韓は崩れ始めた巨大ダムのようなものです。砂袋を積んで持ちこたえられるものでしょうか」
政治空白で漂流する鳩山政権は、近い将来予見されるこの朝鮮半島情勢の流動化と有事に対処出来るのか。崩れ落ちようとする巨大ダムを、それでも支え続けて、北朝鮮への影響力確保を至上命題とする中国に、対処出来るか。そのような危機に備えての米韓両国との戦略を構築出来るのか。展望は果てしなく暗い。