「 日本の政治家に学ばせたいW杯チームの“心構え” 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年6月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 450回
とうとう見てしまった9日夜のW杯、日本・ロシア戦である。お尻に火がついたような締切原稿のことは、この際忘れて、楽しんだ。
日本チームのコーディネーションのよさは、私にさえもすぐにわかった。大柄なロシア選手を相手に、小柄な日本人選手が決して小柄に見えなかったのも驚きだ。ゴールを決めた金髪頭の稲本潤一は、試合後のインタビューでの落着きぶりもすばらしかった。自分1人でなく、チーム全体で取った点だと、じつにしっかりした口調で語ったが、その姿は、22歳の若者のそれよりずっとおとなびていた。
そうなのだ、4年前のW杯のときに比べて、日本人選手全員がおとなびて見えたのだ。小柄な体格、全体的に童顔なこともあって、4年前の日本チームは、他国のおとなチームのなかの少年チーム的な印象さえあったが、今年は違っていた。
6月10日の「読売新聞」の「編集手帳」が興味深いことを書いている。「トルシエ監督は若い選手の練習メニューにユニホームを引っ張ったり、ひじや肩を使うプレーも取り入れた」と。
「乱暴なプレーをしろと言っている訳ではない。相手の荒さにうろたえないように、抜け目のなさを身に着けるように」ということのためだそうだ。
瞬時の判断が勝敗を決するスポーツでは、その人物の神髄が否応なく、すべてを決める。頭で理屈を考えて、自分をとり繕う余裕はないから、生身の自分自身が赤裸々に顕われる。その人の心構え、精神そのものがスポーツを支える心棒になっているのだ。
だからこそ、普段の基礎練習をはじめ、技を磨き体力をつけることと同じく、心を鍛えておくことが重要なのだ。
心を鍛えるとはどういうことか。厳しく自己点検し、全体のなかに自分を置いて客観視し、同時に、相手のどんな出方も、それを事実としてとらえる客観能力を身につけることだ。自分の在り方、相手の在り方に、動揺させられないだけの勁(つよ)さを養うことだ。
こちらがルールを守っても、相手方が守らないことはいくらでもある。国際社会は、思いがけないルール違反と欺瞞に満ちている。そんなとき、驚かず、あわてず、自分のプレイを続ける強い心を育てることなのだ。
トルシエ監督は、ひと言でいえば、すべての予測外の事態に対して危機管理できる勁い心を養わせようとしたのではないか。
プーチン大統領は「スポーツは強い国家、強い民族を証明する」と公言している(6月8日「産経新聞」斉藤勉)。このような持論を持つ同大統領は、ロシアチームの合宿所に駆けつけて、「本当の男の戦い、自己献身と意思、美しいサッカーを望む。狭量でない真の愛国主義を発揮せよ」と檄を飛ばしたと、斉藤記者が伝えている。
プーチン大統領もまた、スポーツで表現される強さは、心の勁さと同質だと識(し)っているのだ。その意味で、同大統領が語った「狭量でない真の愛国主義を発揮せよ」との言葉は興味深い。
ロシアを再び世界一の強大な軍事大国に仕立て直すと公約したプーチン、その強い軍事力を具現化した国内少数民族、チェチェン族への烈しい弾圧を思えば、「狭量でない愛国主義」という表現に抵抗も、欺瞞も覚える。
だが、プーチン大統領の下、ロシアが、ちょうど9ヵ月前の米国同時多発テロ以降、どれほど国際政治の場でロシアの地位を高め、国益を増進させたかを考えれば、ロシア外交の巧みさをこそ直視する客観性を、日本は身につけなければならない。
トルシエ監督やプーチン大統領の説いた、強く揺らがぬおとなの価値観を身につけるべきは、W杯の選手たちだけでなく、日本の政治家や外交官たちなのである。