「 日本は国家か――拉致から25年 」
『週刊新潮』 2002年2月28日号
日本ルネッサンス 第8回
横田めぐみさんの拉致から今年で四半世紀、13歳だった少女が38歳になる。
御両親の滋さんと早紀江さんは、同じ境遇に陥っている人々の家族を代表して2月14日、小泉首相に手紙で訴えた。早紀江さんが語る。
「二つ、お願いしました。ブッシュ大統領来日の折り、首脳会談の議題のテロ対策に関連して拉致問題解決についても話し合ってほしい、東シナ海に沈んでいる工作船を引き揚げて、侵入目的を解明してほしいの2点です」
手紙は平沢勝栄議員を通して官邸に届けられ、小泉首相から直ちに返事がきた。予算委員会が一段落したら、必ず家族に会うという内容だ。
工作船引き揚げについては政府内部に異なる意見がある。再び早紀江さんが語った。
「国際関係を考えたら引き揚げずに済ませるのもひとつの方法だとか、中国や北朝鮮を刺激するという慎重論には、吐き気がするほどの口惜しさです。それでも日本人かと思います。あの種の船が拉致に使われた可能性が高い。是非、引き揚げて調べてほしいのです」
拉致、偽造パスポート、工作船。なにがあっても、ひたすら忍従する日本政府は、この3月には朝銀信用組合に新たに4400億円余りの公的資金を投入する予定だ。
朝銀には、すでに98年に3200億円、昨年11月に3100億円の公的資金を投入済みだ。次の4400億円で総額は1兆円を超える。
なぜこんなことになるのか。預金保険機構は、信用組合に対する通常の法的措置で問題ないとの立場だ。
だが、朝銀の存在にまつわる欺瞞性とその経営の違法性を見れば、この組織が真っ当でないことは一目瞭然である。長銀と日本の他の信組を同列に論じて同じように法的救済の手を差しのべるのはおかしい。東京朝銀では、旧経営陣らが資金不正流用事件で業務上横領の罪に問われ裁判中だ。
朴日好氏は愛知朝銀を名古屋地裁に訴えた。預金していた17億5000万円を横領され、内12億5000万円が北朝鮮に送金されてしまったのだ。
朝銀の経営悪化はこの種の不法手段による資金集めと北朝鮮本国への不法送金が原因だと言われている。しかしなぜ、金融機関がこのような違法な横領や不法送金をするのか。
元朝鮮総聯の幹部の朴日好氏は、朝銀を通常の金融機関と考えてはならないという。朝銀は人事を通して完全に朝鮮総聯に支配されており、その朝鮮総聯は完全に北朝鮮の支配下にある、つまり朝銀は北朝鮮の出先機関だと証言するのだ。とすれば、北朝鮮政府の末端組織である朝銀に日本国民の税1兆円余を注入するのは、国民への背信である。拉致された人たちや家族へのひどい裏切りである。日本の政治家ならこの点を明確にして、日本人を拉致したままの北朝鮮に理不尽な税の投入などさせるべきではない。
微笑と棍棒
日本政府の姿勢と対照的なのが米国政府である。ブッシュ大統領は北朝鮮に無条件の対話を求める一方で、北朝鮮を“悪の枢軸”と呼び、金正日総書記は“国民の意思を反映していない”と決めつけた。
のみならず、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の特別査察を受け入れない限り、今年8月に開始予定の軽水炉建設の基礎工事は中止すべきとの議論も米国議会でおきている。
米朝間の94年の合意で北朝鮮が黒鉛炉を解体し、IAEAの査察を受け入れるのとひきかえに、米国が軽水炉2基を建設し北朝鮮にエネルギーを供給することになっている。この合意の実行は見送るべきとする米国の姿勢に北朝鮮は激しく反応した。
「わが方には米国と戦う十分な能力がある」「ブッシュは戦争狂信者」「火を好む者は火で焼け死ぬ」などの表現で連日のようにブッシュ大統領批判を展開し、金正日総書記は2月に入ってから矢継ぎ早に軍部隊を訪問、軍事力を誇示する動きにも出た。
それでも今回の反米キャンペーンには微妙な変化があると拓殖大の荒木和博助教授が分析した。
「労働新聞でも烈しい言葉で米国批判をしていますが、彼らの言葉遣いからすれば、まあ、通常の範囲内の表現です。注目したいのは、掲載場所です。本来なら、1面に載せると思われますが、一連のブッシュ批判は6頁ある紙面のうち、4面とか5面に掲載されていることが多いのです。米国と本当に対立する恐さを知っているからではないでしょうか」
米国の北朝鮮へのもうひとつの要求はクリントン時代にはなかった通常兵力の削減である。
在韓米軍のシュワルツ司令官は2000年6月の劇的な南北首脳会談のあと、北朝鮮の軍事力は縮小どころか、「より強大により優れたものとなり、韓国側により接近し、より致命的なものになった」と、2001年3月に米国議会で証言した。
120万の北朝鮮軍の内、70万の部隊、8000門以上の砲、2000両の戦車を含めた現役軍の70%が非武装地帯の90マイル以内に陣取っており、この比率が、首脳会談以降、上がり続けていると、同司令官は警告したのだ。
現状では北朝鮮は米韓連合軍とソウルに数時間、1時間に50万発以上を撃ち込む能力を備えているが、より強く警戒すべきは過去2年間、非武装地帯沿いの陣地を長距離ロケットなどでさらに強化したことだと司令官は強調している。
南北首脳会談から日も浅い2000年8月に、金総書記は韓国のマスコミ各社の社長団とのインタビューで「私の力は軍事力に由来する」と述べた。金総書記の信ずるものが軍事力であるのは明らかだ。
北朝鮮の通常兵力は、彼らが韓国を攻めるとしたら先頭に立つ力である。その部分が強化されつつあるとのシュワルツ司令官の警告を、ブッシュ大統領は正面から受けとめた。その結果が、第1に通常兵力削減要求、第2点は福井県立大学助教授の島田洋一氏の指摘のように、在韓米軍3万7000人のうち陸上部隊を中心に相当部分を半島外に移動させる考えである。
力を恃みとする相手には十二分に力を見せつける。同時に、自国の兵を犠牲にしないための戦略を、常に視野に入れている。ブッシュ大統領はセオドア・ルーズベルトの伝記を愛読しているそうだが、ルーズベルトは外交は微笑と棍棒の組み合わせであると説き、軍事力の効果を大活用した大統領だ。そのような米国だからこそ、金正日は恐れるのだ。
日本は米国と同じには出来ない。しかし、日本がやるべきことは、国家としての固い決意を示すことだ。自国の国民は守る。工作船はとらえる。沈めば引き揚げ、調査する。不正不法な相手に税金は投入しない。国家としては当然のこうしたことをひとつひとつ行っていくべきだ。
折りしも、日経の杉嶋岑元記者が2年間の抑留から解放された。「拉致問題は存在しない」と氏は述べたそうだ。心にもないこのような言葉を言わせるのが、北朝鮮のやり方だ。だが、責任の半分は日本国政府にもある。国家が国家たり得ていないから、あらゆる面で圧力は国民にかかってくるのだ。国家は国民のための盾となり、傘となれ。国民を守ってこその国家である。