「 自民党よ、負けるなら潔く負けよ 民主党と議論を戦わせて 」
『週刊ダイヤモンド』 2009年7月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 796
自民党が内紛状態である。麻生太郎首相が党人事刷新の構えを見せれば、党長老も反麻生派も反対する。「麻生首相では選挙は闘えない」として、総選挙前の総裁交代を目指して、総裁選挙を行なえとの要求も広がっている。
自民党には、すばらしい人材も多いが、このような状況では人材がいたとしてもその力の生かしようがない。自民党の現在の混乱を見ると「狂人走、不狂人走」という言葉が浮かんでくる。「一人の狂人が走り出すと、他の狂人ではない人びともつられて走り出す」という意味だ。
「付和雷同」よりも、もっと激しい意味合いである。自分を見失って動揺し、周囲に影響されてやみくもに走る状態だと考えればよいだろうか。
じつはこの言葉は、歴代首相を指南したといわれる四元義隆氏が、その晩年によく口にしたものだと、『昭和激流 四元義隆の生涯』(新潮社)で金子淳一氏が書いている。金子氏は、もともと、この言葉は「戦国時代末期から江戸時代初期に活躍した、京都大徳寺清巌和尚の言葉だ」とも解説する。
いずれにしても衆議院議員の任期は9月までであり、近々の選挙は避けられない。そんなときに総裁を代えるのは無意味だと、総裁選挙を主張する人たちは考えないのか。安倍晋三、福田康夫両首相がおのおの、1年で辞任したとき、自民党はそれなりに考えてわずか20人の小派閥の麻生氏を選び党の運命を託したはずだ。支持率急落だからといって、またもや次の人物を選ぶ心算(つも)りか。
だが、新総裁を選んでも、自民党は負けるだろう。誰が次の総裁になっても、勝てないだろう。時の流れと、国民の心を読み取ることのできる人には、十分にわかるはずだ。敗北が避けられない自民党にとって、今、最も重要なのは、いかにきちんとした負け方をするかということだと。きちんとした負け方とは、敗北の後の自民党の再生につながる負け方である。
自民党への国民の信頼は、その大部分が失われている。総裁一人を取り換えただけで信頼も支持率も回復すると考えるのは間違いだ。国民が自民党に問うていることは、もっと、根深い。ある時点から、まともな国づくりに失敗してきた自民党への失望は、自民党議員が考えるより、はるかに深いのだ。
自民党への信頼が失われ始めたのは、田中角栄氏の金権政治のときからか、中曽根康弘氏の中国へのもの言わぬ外交のときからか、自社連立のときからか、それとも戦後政治の基調をなしてきた官僚主導の政治になすすべもなく、およそすべてを任せきりにしてきたことゆえか。意見は分かれると思うが、政治の機能停止への深い失望感ゆえに、国民は自民党離れを起こしている。
そのことを踏まえなければ、自民党の再生は難しい。かつて野党に転じた自民党は、日本社会党との連立で政権を奪還した。自社連立で政権は取り戻したが、以降、自民党を自民党たらしめてきた価値観は揺らぎ続けた。
今は、公明党との連立で、自民党的な価値観はあらゆる分野で、なお、崩れつつある。
選挙に落選するという眼前の恐怖におびえて、総裁の首を挿げ替えようとするだけでなく、高い人気を保つ東国原英夫宮崎県知事らを担ごうとしているが、いずれも自民党の展望を開くことにはならないだろう。
そんなことより、安全保障政策をはじめとする民主党の政策の矛盾を突くことだ。教育政策を問い、日本教職員組合を含む組合との関係をただすべきだ。定住外国人に地方参政権だけでなく、国政への参政権も与えるのが将来のあり方だという鳩山由紀夫代表の言葉の真意を確かめるべきだ。
こうした真っ正面からの議論を戦わせて、それでも敗れるとしても、その敗北は、必ず、次の局面で自民党の立ち直りを可能にするはずだと思う。
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「 自民党よ、負けるなら潔く負けよ 民主党と議論を戦わせて 」
桜井よしこさんのブログより
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