「 小泉首相よ、ベートーヴェンになれ 」
『週刊新潮』 2002年1月3・10日号
日本ルネッサンス 第1回
この冬もまた「第九」の季節がやってきた。歌えば高揚するあの詩。大正6年の初演から、ベートーヴェンの生地ドイツも含めて、日本ほど第九を演奏する国はおそらく他にはないだろう。
それにしても、ベートーヴェンが第九の最終楽章に組み入れた「歓喜の歌」、シラーの詩はフランス大革命の自由、平等、友愛を誇らかに謳いあげ、人間の尊厳を賛美し、共和主義への奔流へと走り込ませるような詩である。
全欧の心を共鳴させた詩人、シラーが1787年に発表した「歓喜によす」の初版では、王や領主や人民や乞食など、人間の不平等は「世の習わしを剣がわけ隔つる」と表現された。
権力が力による支配で人間差別を生んだと断言したわけだ。
そして、
「敢えて汝が魔力は結びつける
汝が優(やさし)き羽交(はがい)の下(もと)、
乞食は王侯の兄弟となる」
と、続けている。
「十八世紀のあの当時、乞食が王侯と同じになると謳ったのは、まさに革命です」と作曲家の三枝成彰氏は語る。暮れの日本は全国で革命の歌を歌っていることになる。
驚くべきはシラーの詩の最終節の激しさと予言性である。
「暴君の鎖を解き放ち
悪者にも寛容、
死中に活、
絞首台より生還!
死者といえど蘇る!」
と、いうふうに。
この世を楽園にするには、暴君の鎖を解き放ち、悪者とされている者をも怨し、絞首台にのぼるべき罪人も生き還らせることだと叫んでいる。『ベートーベン第九』を著した小松雄一郎氏はシラーの詩はまさに、その後におきるフランス革命を予測したと述べている。詩はバスチューユの監獄の破壊をも予言者的に描いたのだ。
が、革命後に、シラーはこの詩を、より穏やかに書き替えた。
「世の習しを剣がわけ隔つるを」を「世の習しを厳しくわけ隔つるを」に改め、差別を生ましめた主体をぼかした。「乞食は王侯の兄弟となる」を「すべての人々は兄弟となる」と無難な表現に書き替えた。また、最終節は全て削除した。
ベートーヴェンはそんなシラーの詩を解体し組み替えて己のものとし、初版の詩の新しい時代によせる熱情と歓喜を第九交響曲へと取り入れていった。嵐のような烈しさの中で「この接吻を全世界に」と謳いあげた。
ベートーヴェンはシラーの「歓喜によす」と出遭って実に32年後に第九の総譜を完成した。22歳の出遭いから54歳の完成まで、彼の孤独な心はどれほどシラーの詩に鼓舞され、震え、共鳴したことか。
「第九をここまでポピュラーにしたのは、アマチュアが挑んだからです」と、声楽家の岡村喬生氏は言う。 「『歓喜の歌』は実は難しい。人間の生理を無視して音楽に奉仕させるような非声楽的なパートが随所にありますから。
そんな難曲にアマチュアが挑み、バスの限界の高いFをテナーが助っ人する、高音をファルセット(うら声)で100人が出せば立派な『音』になるというふうに、難しさを人海戦術で乗り越えたんです」
文字どおり声を合わせて歌いあげ、コンサートの切符も参加者達が売り捌(さば)いてきた。だからこそ、第九は年末恒例コンサートとして定着してきた。自由と人間愛の革命歌は、まさに国民が支えてきたのだ。
幅広い国民の支持・新しい価値観への賛歌という意味で、小泉改革への高い支持と、第九の熱情は相通ずるものがあると私は思う。
現在も各種世論調査で小泉内閣への支持率は70%を越えている。驚くほどの国民が、この国の在り様を変えていきたいと欲しているのだ。
にもかかわらず、自民党内からの抵抗ぶりはどうだ。77特殊法人と86認可法人の全てを廃止もしくは民営化の対象とするとした小泉首相の意図は、凄まじい抵抗によって大きく挫かれた。18日に決定した整理合理化計画では、62法人を廃止・民営化するとされた。
だが、実際に組織がなくなるのは簡易保険福祉事業団と基盤技術研究促進センターの二法人のみ。他は独立行政法人に変身したり、或いは他の法人や機関と統合する焼け太りである。橋本龍太郎氏が手がけた省庁再編になんと似ていることか。数は減っても中身は変わらないのだ。
国民が求めているのは、そんなごまかしではない。第九の合唱とは異なり聞くに耐えない大声で小泉改革を批判していた自民党の政治家たちには視点を変えて欲しい。きちんと民営化すれば、喘いでいる特殊法人でさえすばらしい企業に生まれかわることが出来るのだ。
たとえば日本道路公団を単体で、上下一体で民営化すればどうなるか。国土交通省の役人たちは今だに道路資産の保有と運用を別々の組織に任せる上下分離を画策しているが、責任ある経営のためにはあくまでも上下一体でなければならない。
香港上海銀行の山田晴信氏の分析によると年間売り上げ約2兆円の道路公団は、株式上場を行えば株式時価総額3兆円の大企業となる。東京証券取引所の株式時価総額の約1%にあたる巨大企業の誕生は、NTTやJRの分割民営時のように市場の高揚を再現してくれるだろう。
さて上下一体の民営化会社は、20年で国民の負担なくして負の遺産を返済出来るというのが、山田氏の試算結果だ。しかも民営化初年度から、法人税も固定資産税も払い、歳入増に貢献する。私も小誌の特集記事の中で、新たな税負担なしの道路公団の立て直しを試算したが、負の遺産の返済は43年で可能だった。
返済期間は異なるが、両案ともに前提は同じである。上下一体の民営化と全ての高速道路の一時凍結である。この二つの条件をクリアしさえすれば、道路公団は立ち直れる。のみならず、株式上場すれば、日本経済を刺激し大きく梃子入れする効果を発揮できる。だからこそ、後ろ向きになるより前向きになるべきなのだ。
シラーも謳っている。
「歓びは忍苦する者には 手を延べ導く」
「雄々しく耐えよ、百万の人々よ!
より良き世界のために耐えよ!」
と。
自民党内の抵抗勢力がどれほど強くとも、首相は立ちすくむ必要はない。高い支持率は国民の改革への賛歌である。熱い望みである。ベートーヴェンが孤高のなかから不朽の第九を生み出したように、雄々しく耐え、新しい日本の未来を築くため、ひた走れ。
中世の神中心の時代から人間中心の時代へと文明を変えたルネッサンス。今や日本の神々は蒼白なる官僚か。国民の意思から離れて抵抗する政治家か。そうであってはならないのだ。この国の運命の舵を国民の心に沿って国民の手にとり戻すことだ。そうしてこそ「高坏(たかつき)に沸き溢れる歓喜、房なす黄金の花」とシラーが賛えた新しい世界が日本にも開けてくる。