「 日鉄を犠牲にするのか、石破訪米 」
『週刊新潮』 2025年2月20日号
日本ルネッサンス 第1135回
2月7日、ワシントンで日米首脳会談に臨んだ石破茂首相を、その成果も含めて100点満点だったとほめちぎる声がある。石破氏自身も帰国直後の9日、NHKの『日曜討論』をはじめとするテレビ番組でトランプ大統領と個人的信頼関係を築き得たとの見解を示した。果して本当にそうか。私は大いに疑問を抱く。
今回の首脳会談で恐らく最も注目されたのが日本製鉄によるUSスチール全株の買収案件だった。石破氏は、日鉄はUSスチールを買収するのではなく巨額の投資をするとしてトランプ氏の合意をとりつけた。バイデン前大統領による日鉄の買収計画の全面禁止をトランプ氏が覆したのであり、石破氏は「大きな成果だった」と自画自賛した。
トランプ氏は会見で3度も4度も日鉄を「日産」と言い間違えながら、「日鉄は買収でなく、投資を行う」「来週(2月9日の週)にも日鉄と会う」「私が仲介(mediate)する」などと語った。9日には大統領専用機内で記者たちに「日鉄が過半の出資をすることはない」とも述べた。
もうひとりの主役である石破氏は、7日、こう語った―「買収ではない、投資なのだと。日本の技術も加えて、よい製品を作り出し、日本、アメリカそして世界に貢献できるUSスチールの製品が生み出されていくことに、日本も投資を行う。どちらかが利益を得るというような一方的な関係にならない。そういうことを大統領との間で強く認識し共有した」
石破、トランプ両首脳は日鉄がUSスチールの買収と子会社化を諦め、巨額の投資と技術供与に踏み切ると決意したかのように語る。
だが、日鉄側の言い分は全く異なる。「そもそも日鉄は両首脳の一連の発言を全く把握していませんでした。石破政権は日鉄と事前協議を行っていましたが、最も重要な事項については相談せずに、米国側へ提案してしまったのです」(関係者)
石破氏はさらに9日、「読売新聞」の取材に、日鉄のUSスチール買収計画の修正案については、米国企業としての存続を前提に、投資と買収を線引きする法的な詰めの作業が行われると語っている。事態はこれからも変化しつつ進展することになる。
鉄は国家なり
石破氏が自賛するように、トランプ氏との会談で日鉄の買収計画は全面禁止の決定を逃れ、米国での事業拡大に向けて交渉の窓口が開かれたのは確かだ。しかし、石破氏がトランプ氏に約束したことは「政府が他人(日鉄)のカネで米国に大盤振舞いする」(同)ようなものであり、日鉄にとってこのような一方的介入がこれからも続くことは歓迎できないというのだ。
ペンシルベニア州ピッツバーグに本社を置くUSスチールは、かつて世界をリードする名門製鉄企業だった。それが今や粗鋼生産量で世界24位に落ちた。日鉄が買収すれば両社合わせて世界第3位のメーカーになる。中国に勝てる見込みがでてくる。
日鉄の強味はその技術にある。高炉の技術は世界一で、米国にはない。鋼板技術も同様だ。日鉄の鋼板は厚さ3ミリから6ミリ、薄い方は自動車などに、厚い方は船などに使われる。薄くて強靭でしなやかだ。この問題に詳しい加藤康子氏はタイタニック号が日鉄の鋼板で造られていたなら沈没しなかったと言う。
日鉄はこれら世界一の技術を2兆円超の資金と共にUSスチールに持っていくという。日鉄が全株を買ってもUSスチールの看板は変えない。役員の過半数は米国人にする。従業員には10年間の雇用を約束する。日鉄の一連の誓約ゆえに、USスチールは役員も労働組合も株主もおよそ皆、日鉄による買収を切望している。
政府の強い指導による産業政策は、国益のために時として必要ではある。しかし、鉄鋼業についての石破政権の政策はわが国の国益にどうつながるのだろうか。
なぜ、日鉄は世界一の技術を持ちながら海外に拠点を移そうとしているのか。原因はわが国の産業政策、具体的にはエネルギー政策が根本的に間違っているからだ。日鉄が日本国内では事業の継続ができないように、政府が追いやっているからだ。
菅義偉氏が首相のとき、氏は小泉進次郎氏、河野太郎氏ら再生エネルギー重視派の助言に従い日本全体のエネルギー供給の内、再生エネルギーの比率を異常に高めていくことを軸にエネルギー基本計画を作成した。小泉氏も河野氏もCО2の大幅削減を要求し、石炭などの化石燃料を用いる火力発電及び原子力発電をできるだけ早く退けようとした。
鉄は国家なりと言われるが、その生産には非常に高い熱量の高炉が欠かせない。最高の品質の鋼板は高炉で鉄鉱石を高温で溶かして生産する。だがそのときCО2が大量に発生するとして、菅氏らは日鉄などが高炉の使用をやめざるを得ないようなエネルギー政策を、さらに打ち出した。高炉のかわりにCО2を出さない電炉を使えというのだ。しかし、電炉の力は高炉にかなわない。最高の品質の鋼板は作れない。
だらしない姿を晒して…
斯(か)かくして日鉄はCО2排出がある程度許される米国を目指すのだ。結果として、わが国は基幹産業としての鉄鋼業を失う運命にある。菅、小泉、河野三氏らの誤ったエネルギー政策によって、鉄だけでなく、やがて自動車産業も日本から離れざるを得ない時が来るだろう。三氏の責任は非常に重い。
日鉄とUSスチールの件はこうしたわが国の産業政策の根本的な欠陥に結びつけて考えなければならない。単にトランプ氏の了解を得るか否かの次元で考えてはならないのだ。
今回の首脳会談での石破氏の発言、挙措は宰相としては不合格のレベルであろう。氏は会談でも記者会見でも、まともにトランプ氏の目を見ていない。正視する自信がなかったのか。暖炉前での歓談では、肥満した腹部を突き出し椅子の背にもたれかかっていた。G7諸国のどこにもこんなだらしない姿を晒している首脳はいない。
そのような石破氏にトランプ氏は、「自分も彼ほどハンサムだったらよかったのに」と、嫌味ととれるコメントを口にした。記者会見の終わり方も尋常ではなかった。米国メディアが関税について問うと、石破氏は「仮定の質問には答えかねるというのが定番の答えだ」と返した。するとトランプ氏は「ワオ、名回答だ。総理は自分が何をすべきかが分かっているんですね。では皆さん、ありがとうございました」と大きな身振りを交えて発すると、石破氏を一瞥することもなく「やれやれ終わった」と言わんばかりにさっさと会場を出た。
雛壇に一人取り残された石破氏はそれでも語っている。トランプ氏を「間近に見ることの感動は格別」だった、「本当に誠実な、力強い、合衆国と世界に対する強い使命感を持たれた方だと、全くお世辞抜きで感じとった」と。政策の内容も宰相としての中身もうつろではないか。
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