「 石破首相が破壊する家族の一体性 」
『週刊新潮』 2025年1月2・9日合併号
日本ルネッサンス 第1129回
石破茂氏の国家観の欠如、日本人として備えているべき価値観の欠落ほど恐ろしいものはない。この宰相の下では中国の侵略で斃れる前に、わが国自体が自滅しかねない。口先でもてあそぶ石破構文で野党を煙に巻き多少支持率を上げ、本人は自信を持ち始めているそうだ。だが、石破氏お得意の丁寧な説明と誠実さで唱えてきた憲法改正論はどこに消えたのか。
令和7年は敗戦から80年。三世代が過ぎたこの間、私たちは非常識極まる現行憲法を甘受してきた。自由と権利が強調され、その対であるべき責任と義務はこの上なく疎かにされてきた。自国民を守り通す国家の責任を放棄し、危機に当たっても国家の交戦権を認めないと定めた世界唯一の愚かな憲法が日本国憲法だ。わが国の文化の香りなき憲法をひと文字も改めずに今日に至る私たち。
それでもわが国が崩壊することなく何とか持ってきたのには十分な理由があった。皇學館大学教授の松浦光修氏が語った。
「戦後のメディアや学校で、どれだけ非常識な歴史洗脳が行われようと、『ポリコレ』の洗脳が強要されようと、わが国にはまだ家庭教育という最後の砦がありました。しかし、日本を日本でなくさせようとする人々は、その最後の一線を破壊するため、家意識、家系意識を、消滅させようとしています」
家族と家庭を崩壊させる企みは三段階で進められてきたと、松浦氏は語る。
「第一段階がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)です。GHQに入り込んでいた多数の共産主義者は日本人を土台から作り直すため、日本社会の基盤である価値観を破壊する仕組みを作りました。即ち民法の改正です。昭和22年、明治の民法にあった『家』に関する規定をすべて排除しました」
彼らはまず「孝行」という価値観は親子を支配関係に置くもので好ましくないと全否定した。日本の善き価値観を生み出す伝統も消し去ろうとした。GHQが靖国神社を破壊しようとしたことはつとに知られている。流石に靖国神社には手を出せなかったが、GHQは目立たない形で日本人の心からご先祖を祭る場を奪う仕組みを考えた。それが昭和26年の公営住宅法だと松浦氏は言う。
「同法によって2DKを基本的な間取りとする51C型という公営アパートが次々に建てられました。座敷、床の間、神棚、仏壇が排除されましたが、その設計理論を担当したのが、西山夘三(うぞう)と浜口ミホの両氏、二人とも社会主義者といわれています」
日本初の女性建築家とされる浜口氏は台所を機能的で明るい場所に引き上げた一方、日本の住宅は封建的な家父長制の素地だとして、その構造的くびきを解き放す住宅設計をしたとされる。一方、マルクシズムに傾倒した西山氏は1994年に83歳で死去するまで建築学会の大御所として活躍した。
全国から反対論
第二段階が1999(平成11)年の男女共同参画社会基本法である。家族崩壊を目指した企みの第三段階が現在進行中の法整備の数々だ。松浦氏の指摘である。
「岸田文雄首相が法制化したLGBT法に始まり、石破氏が前のめりの選択的夫婦別姓、そして同性婚でわが国の建国以来、というより縄文時代以来のイエ意識、家族意識が根底から破壊され、日本はバラバラになり力をなくしていくと思います」
夫婦別姓の推進者は、夫婦同姓は日本の伝統ではなく、民法が成立した明治31(1898)年に定められたにすぎず、たかだか120年余の歴史しかない、と主張する。
早稲田大学元教授の洞富雄氏は、江戸時代後期の天明3(1783)年の奉加帳で苗字を書いていない寄進者(農民と庶民)は一人もいないと指摘している。また別の文書では、2345人の農民の内、わずかに16人を除いて他は全員、立派に苗字を書いていた。つまり江戸時代、庶民も普通に苗字を名乗っていたことを洞氏は証明したわけだ。
大阪観光大学観光学研究所研究員の濱田浩一郎氏による中世資料の研究では、正治元(1199)年の「紀伊国神野・真国荘百姓等言上状」に「貴族か武士」かと見紛うほど堂々とした姓を名乗る庶民の名前が連なっていた。
南北朝時代の建武4(1337)年の資料にも庶民が苗字を名乗っていた記録がある。そしてこれらの庶民はなんと、夫婦同姓(夫婦同苗字)だったのだ。
ところが、明治9(1876)年、太政官は当時の武家における慣習だった夫婦別姓に従って、「婦女は嫁(か)しても所生(生家)の氏を用いるべし」と定めた。権力のある人々のやり方を採用したのだ。すると、全国から反対論が巻き起こった。
「なりすまし日本人」
明治政府が夫婦別姓に傾いたとき、全国津々浦々から夫婦同姓にしてくれという反対の声が上がったわけだ。遂に明治31年、夫婦は同じ苗字になるとの法整備がなされた。少なくとも中世以降の大多数の国民の伝統は夫婦が同じ苗字で暮らすということだった。それを大事にしたいという庶民の声が通ったのだ。石破氏はこういう歴史も知らないのだろう。
夫婦別姓では子供は必ず、父母のどちらかと苗字が違うことになる。祖父母にさかのぼれば、また違う苗字も混じっているだろう。戸籍にはありとあらゆる苗字が飛び交い、最終的に戸籍は破壊される。「国籍証明」も「出産、死亡、婚姻」などの証明も困難になる。結果、外国から来た・来ている・来る予定の「なりすまし日本人」を判別できなくなる可能性が高いと松浦氏は警告する。
石破氏は「夫婦が別姓になると家族が崩壊するとか、よく分からない理屈があるが、やらない理由がよく分からない」(産経新聞2024年9月27日)と述べた。感度の鈍いどんよりとした石破氏ならではの発想だ。
令和3年の世論調査では夫婦別姓を求める人は28.9%にすぎない。大多数は家族同苗字制度や戸籍制度の破壊を望んでいない。
石破氏は「姓を変えなければならないということに対してものすごくつらくて悲しい思いを持っておられる方々が大勢いることは、決して忘れてはならぬ」と言うが、その反対の考え方の人々が「大勢いる」ことには思いが及ばない。
「家」の問題を深く考察した民俗学者の柳田國男は『先祖の話』(石文社)でこう書いた。
「われわれが百千年の久しきにわたって、積み重ねてきた所の経歴というものを、丸々その痕もないよその国々と、同一視することは許されない」
米中がせめぎ合い、日本はかつてなく厳しい局面にある。わが国は2025年、あらゆる意味で最も勁(つよ)くなければならない。日本の勁さは自らの国柄、歴史と価値観を知るところから生まれる。日本の伝統の力を最大限活用せねばならない。愚かなる宰相、石破氏にわが国の国柄を力の源泉とする知恵は働くだろうか。