「 自民党総裁の選出基準はこれだ 」
『週刊新潮』 2024年9月5日号
日本ルネッサンス 第1112回
自民党の次期総裁に相応しい人物を尋ねる世論調査では石破茂、小泉進次郎、高市早苗、小林鷹之、河野太郎の各氏が上位を占める。
9月12日の告示日までには尚多数の出馬が明らかになるだろう。右に挙げた候補者は高市氏、小林氏の保守勢力と、いわゆる「小石河」三氏のリベラル勢力に明確に二分される。双方の政策のどちらを取るかは日本が経済的に栄えるか否か、独自の国柄を維持し独立国として存続できるか否か、の分岐点になる。
選挙権を有する自民党の党員及び政治家は両陣営を特徴づける政策の違いを見極め正しい判断を下す責任がある。とりあえず二点、エネルギー政策と皇位継承安定化の法整備に焦点を当ててみる。
エネルギーが国家経済の基盤であるのはいうまでもない。太陽光や風力発電はCО2を排出しないクリーンエネルギーとして評価され、わが国は狭い国土のあらゆる場所、あの貴重な釧路湿原にまでソーラーパネルを敷き詰めた。結果、国土面積あたりの太陽光発電量は世界一となった。それでも人工知能(AI)の急速な発達により急増する電力需要にはとても対処できない。原発の積極活用が世界の潮流となったのは当然なのだ。
米原子力学会の年次総会に出席したシンクタンク「国家基本問題研究所」理事の奈良林直(ただし)東京工業大学特任教授の指摘だ。
「米国では現在100ギガワット(発電容量100万キロワットの原発100基分)が産み出されています。これを2030年代に新たに100ギガワット、40年代にもう100ギガワットを、原子力発電で産出し、3倍に増やしてカーボンニュートラルを達成することを決定しました」
この会議では欧州のCО2排出の図表が示されたが、グリーンで塗られた排出量の少ない国はノルウェー、スイス、フィンランド、スウェーデン、フランスなど原子力と水力発電を主とする国々であり、原発を止め再エネに大金をつぎ込んだドイツは排出量の多い焦げ茶色になっていた。
貧しい国へと転落
日本が採るべき道は明らかだ。再エネに何十兆円もの資金をつぎ込む現在の政策を転換し、原子力発電をもっと活用することだ。3.11の後、日本の原発の安全性は飛躍的に高まった。前向きに活用すればCО2の排出なしに電力を安定的に供給し、国民生活と産業を支えていける。
この点で評価できるのは高市氏と小林氏だ。両氏は安全性を確認したうえで原発の再稼働を進めるとの立場で、リプレース(建て替え)や新規増設も公約している。
小石河勢力はその反対の極地に立つ。小泉氏は2019年9月11日、環境相就任直後の会見で「どうやったら(原発を)残せるかでなく、どうやったらなくせるかを考えたい」と語り、同月22日、ニューヨークで開かれた環境関連の会合で「日本もCО2削減にセクシーに取り組む」と発言、記者から「How?」と質され、回答できなかった。エネルギー問題についての氏の考えは空虚である。
石破氏は5回目となる今回の出馬表明に当たって「原発ゼロに最大限努力する」と語った。
河野氏は「(原子力規制委員会が)安全性を確認した原発の再稼働を認める」と語る一方で、「青森県六ヶ所村の日本原燃再処理工場の稼働は認めない」とも語っている。欺瞞そのものだ。なぜなら再処理工場が稼働して営業運転に入らないと、全国の原発の使用済み燃料プールが満杯になり、原発は運転停止に追い込まれるからだ。河野氏の本音が反原発にあることを示す発言であろう。
「小石河」三氏のいずれが総理総裁になっても、彼らのエネルギー政策では日本経済は立ち行かない。日本は貧しい国へと転落するだろう。
もう一点、皇位継承安定化の為の法整備はどうだ。皇室を巡る状況は心許ない。2600年を超える長い歴史において、皇室が男系で皇位を継承し、126代の今日まで途切れなく続いてきたのは奇跡だ。けれど私たちは、なぜ皇室が大事なのか、日本国の中枢を成す皇室の意味は何なのかを粗方忘れ去っている。日本の国柄、先人たちがそれを守って生き、それを守る為に死んでいった日本国の価値観を置き去りにしてしまっている。
私はここで米国の現在とその歴史を考える。周知のように米国は祖国英国と戦って独立を勝ち取った。1776年に独立宣言を発し、政治の真の目的とは生命、自由、及び幸福の追求という道義的目標を持ったものでなければならないと謳った。13年後、仏が人権宣言を発表、人権として自由、財産、安全及び抑圧への抵抗を掲げた。
「万民保全の道」
米歴史学会の会長だったチャールズ・ビーァド博士は、右の二つの宣言には当時の欧州と米国の理想の大きな相違が表れていると指摘した。氏は先人の研究を引用して解説した。
「18世紀にあっては、世界の何処においても、幸福の追求を[権利として]宣言するという人間などが存在するとは考えられないことだった。ただ、開拓者精神を持つ新世界だけが、その例外であった」(『アメリカ共和国・アメリカ憲法の基本的精神をめぐって』松本重治訳、みすず書房)
米独立宣言は欧米史上初めて人間が幸福であることを追求する権利を謳った。欧州のくびきから逃れた新世界の人々だったから出来たことで、これは米国人の心の最も深いところで誇りや力の源泉となっているはずだ。
一方、日本では米国の独立宣言より1172年も早い604年に聖徳太子が十七条の憲法を定めた。民の安寧を実現する為の為政者の心得だ。さらにそれは1200年余りも後の明治維新で五箇条の御誓文を支える理念となった。国民一人一人が意味ある一生を過ごせるように教え喩し、その為に明治天皇自ら率先して五箇条の誓いを守ることで「万民保全の道」を立てると天地神明に誓った。
604年の昔からわが国は国民の為の政治を国是としてきたのだ。人間の幸福を追求する権利を掲げた米国よりずっと前からわが国はすばらしかった。その歴史の中枢に皇室の存在があった。この事実を知れば私たちの心には日本人としての誇りと勇気が湧いてくるはずだ。
こうした事実を忘れてしまっただけでなく、今では皇位継承さえ心許なくなっている。これでは日本人も日本国も真の力など発揮できない。激変する世界の中で、いま、わが国は米国に頼ってばかりいられない。日本本来の力や勇気の源泉を一人一人の心の中に保っておかなければならない。その為に歴史を識る、皇室を守る。第一歩が皇位継承の安定化を担保することだ。
この点について河野、石破両氏は皇室の根本を崩壊させることになる女系天皇論者だ。小泉氏は明確な立場を打ち出していない。他方、高市、小林両氏は長い歴史を通して日本人が守ってきた男系男子の天皇を支持している。次期総裁は少なくともこれら二つの基準に鑑みて選ぶべきだ。