「 松浦光修氏が語る特別な『わが国』 」
『週刊新潮』 2024年8月29日号
日本ルネッサンス 第1111回
日本は国の基盤を失い、漂流しているかのようだ。日本人の底力を引き出し困難にもめげない勁(つよ)い国にするには何が必要か。「言論テレビ」で皇學館大学教授の松浦光修氏に語ってもらった。松浦氏は安倍晋三総理や中川昭一氏らが創った若手保守議員の勉強会(後の創生日本)の、いわば指導に当たった人物である。
「歴史認識をはじめ問題は幅広いと思います。その根本にあるのは、まず、日本は自分の国なんだという意識を取り戻すことです」
日本が日本人の祖国であるのは自明のことだが、松浦氏はまさにその意識が薄らいでいると喝破する。一例として言葉遣いの問題を挙げた。
「昔は政治家、言論人、学者、みな『わが国』という言い方が普通でした。ところが最近は『この国』という表現が一般的になってきました。司馬遼太郎さんの『この国のかたち』というエッセイの影響もあるかもしれません。けれど実は、敗戦でGHQが日本を占領したとき、使用を禁止された多くの言葉の中にも『わが国』が入っているのです」
言葉ほど大事なものはない。言葉は心であり、人はそこに意味を込め、価値を託し発信する。GHQはそれを選択的に削り、日本人の価値観を破壊した。昭和22年の教科書検定基準では多くの言葉が使用禁止となり、その筆頭が天皇に関する用語だった。
「たとえば『大君』です。二つ目が国家的拡張に関する言葉で、八紘一宇など。三つ目が国体や愛国心につながる用語です」と松浦氏。
すべて国家の基盤に直結する言葉だ。松浦氏がさらに指摘した。
「次に神話です。私は神代の物語と表現しますが、日本国はどのようにして誕生したか。神代の時代に生まれた日本国は誰が守ってきたのか。代表例としてかつての日本人は楠木正成を識っていましたが、楠公は教科書や歴史から消されました。登場するときには悪党として出てきます」
GHQは本居宣長のような、日本の国体を明らかにするために天才的な学問的業績を残した人物も消し去った。そして何が日本に残ったか。
「日本民族の記憶」
「空中にポンと生まれて、ポンと消えていくような、非常に刹那的な人生観ではないでしょうか。先祖とも、子孫ともつながりがなく、ただ偶然生まれて偶然死んでいくような人生観がそこから形成される。だからポリコレのような流行りの価値観に染まり易いのです」
先祖と自分、自分と子孫、未来永劫続く天壌無窮の神勅に基づく日本、これら一連の表現は全て軍国主義に結びつけられ否定された。そして、日本人は自分のことだけ考えていればよいという人生観を刷り込まれてきたとの指摘だ。
「日本人は教育熱心ですから、昔から親は子どもに勉強しなさいと言ってきた。何のための勉強かと子どもが尋ねると、戦後は『あなたの将来の為』と言うのが普通になった。世の為、人の為と言わなくなった。つまり、自分が偉くなる、豊かになる。その為だけに人生を使うことは、実は人間にとって非常に不自然なことなのですが、もはや誰も他者の為に尽くせと、教えなくなった」
そして日本人は、当然の帰結として祖国のすばらしさを忘れてしまった。日本国の歴史を振りかえれば少なくとも二つ、突出したすばらしさがある。⓵革命がなかったこと、⓶植民地化されなかったことだ。
「⓵は明治維新が好例でしょう。官軍は徳川慶喜を朝敵として討ちましたが、慶喜はその後公爵となって幸せな余生を過ごしました。会津の松平容保も賊軍とされましたが後に正三位となり穏やかな余生を送っています。敗者を徹底的に貶めない武士道の伝統です。そしてその源流は大国主命の国造りにあると思います」
古事記、日本書紀に書かれている国譲りの物語が武士道の源だというのである。大国主命が完成させた葦原中国は、天照大御神の子どもの神様が「知らす」(統治する)べき国だとする天照大御神の神勅によって交渉が始まる。厳しい局面もあったが、最後に出雲大社に大事に祭られることを約束されて大国主命は国を譲る。
「血を見ることなく国譲りが行われた。この神代の物語は日本民族の記憶の中にあります。明治維新に戻りますと、西南の役も含めて戦いの犠牲者は約3万人。フランス革命では内乱や処刑、対外戦争で約100万人です。流血の規模が2桁違います。ロシア革命、中国共産党革命に至っては多分3桁違います。にもかかわらず、日本は明治維新によって西洋諸国をはるかに超える規模の階級間移動を成し遂げたのです」
悪意の世界戦略
次に、⓶の植民地化されなかった点について松浦氏は大航海時代に日本がイベリア半島の二つの国、スペインとポルトガルの悪意の世界戦略を退けたことを強調する。彼らは布教と貿易と信仰の三点セットで北米大陸、南米大陸、アフリカ、インド洋などにおいて先住民を殺戮し搾取し、奴隷にしていった。
「東と西から侵略を進めたスペインとポルトガルは地球の裏側のアジア、日本列島でぶつかります」と松浦氏。彼らが日本に到達した頃、わが国は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らの時代だった。信長らは当初、外来の文化や価値観に興味を抱き貿易にも前向きだった。だが、イベリア勢力2か国は数百人とも数万人ともいわれる日本人を買い取って船底に積み重ね、手足を鉄の鎖でしばり奴隷として売り捌いていた。また、神社や寺院を焼き払わせ破壊させた。
秀吉は彼らの蛮行を知り、彼らの船が侵略目的の大きな軍艦であることを確かめると直ちにバテレン追放令を出した。わが国には彼らに負けない武力を有する戦国大名がひしめいていた。間一髪、武威の力でわが国は植民地化を免れた。
しかし、戦後、これらは全て放棄させられ、歴史も忘却させられた。それでもわが国の国体の軸である神代から続く皇室は、絶えることなく126代続いて今日に至る。
「奇跡です。初代天皇をさらに遡れば、伊耶那岐神、伊耶那美神、天之御中主神まで行く、つまりわが国には宇宙の始まりからずっと続く連続性、天地万物とつながる歴史があるのです。だから風にも、土にも、川にも海にも山にも神様がいる。伊耶那岐神、伊耶那美神がお生みになった国土、自然だからです」
天地、自然、万物と日本人はつながって生きている。その象徴が宮中三殿での毎日の陛下の祈りだと松浦氏は解説する。そして20年に一度、伊勢神宮御遷宮の年、日本国民は人口10万人の伊勢市に大挙して訪れ参拝する。平成25年の時、参拝者は実に1420万人に上った。伊勢神宮が皇室の神社であることを意識していない人も、そこが特別に大事な神社であることを感じているのだ。
心の奥深いところに民族の記憶が残っている。歴史を学んでわが国の国体を知れば、そこから力は湧いてくる。松浦氏の言葉を心一杯に受けとめ希望をつなぎ続けようと考えた。