「 米国の対中宥和策は有害無益だ 」
『週刊新潮』 2023年6月15日号
日本ルネッサンス 第1052回
6月2~4日、シンガポールのシャングリラホテルで「アジア安全保障会議」が開催された。オースティン米国防長官は3日に演説したが、事件はその直前に起きた。米海軍のミサイル駆逐艦「チャン・フーン」とカナダ海軍のフリゲート艦「モントリオール」が台湾海峡の国際水域を北上中、中国艦船がチャン・フーンを追い抜き、船首前方を二度横切った。一時、中国艦はチャン・フーンの前方140メートルまで接近、チャン・フーンが減速して辛うじて衝突を免れた。
中国人民解放軍(PLA)の無謀な行動はこれが初めてではない。5月26日にも南シナ海上空で中国の戦闘機が米偵察機の前方400フィート(約120メートル)に接近、あわや大惨事になるところだった。米軍は「不必要な攻撃的作戦だ」として抗議した。
このような状況下でオースティン氏が演説し、翌日、中国の李尚福国務委員兼国防相が演説した。メディアは両氏が非難合戦を繰り広げたと報道したが、公平に言えば、オースティン氏と李氏の演説は各々、理性と感情の演説とも言うべき性格を帯びていた。感情的非難を展開したのは李氏だった。
オースティン氏は多くの時間を世界情勢の分析に割き、最後の部分で台湾に触れた。米国は「ひとつの中国政策」を軸に、「現状維持」を重視し台湾海峡の平和と安全を守ると強調した。紛争は悲惨な結果をもたらすだけで米国は紛争も冷戦も望んでいない、そのために米国は中国との、とりわけ軍と軍の意思の疎通が大事だとして次のように語った。
「中国が米中両軍の危機管理機構に真剣に関わろうとしないことを深く懸念する。大国は透明性と責任において世界の灯(ともしび)であるべきだ」
演説でも質疑応答でも氏は中国を必要以上に非難することなく自制的だった。世界中が憂慮する中国の急速な核増産及び台湾侵攻に関しても、中国との紛争は差し迫っておらず不可避でもないと繰り返し、インド太平洋にアジア版NATOを創る気はないと強調した。
李国防相の挑発
他方、翌4日の李国防相の演説は烈しかった。米ニューヨーク・タイムズ紙が李氏の態度を「北京はますます自信を深めた様子」と報じたように、李氏は冒頭から挑発的だった。「世界を見渡すと冷戦思考がよみがえっている」、「習近平主席は地球安全保障構想を呼びかけた」が「アジア太平洋はかつてない安全保障上の挑戦を受けている」、「誰が地域の平和を乱しているのか。混乱と不安定の原因は何か。某国はカラー革命を起こさせ、世界各地で代理戦争をやっている」と、明らかに米国を念頭に置いて批判を展開した。
さらに中国は多くの国々と、国連の精神と国際法に基づいたウィンウィンの関係を築いてきたと空虚な自慢をした後、台湾に言及した。
「台湾は中国の国内問題だ。台湾は中国の台湾だ。台湾についての決定は中国人が下す。180か国以上が『ひとつの中国の原則』に同意している」と語り、悪いのは「民進党(DPP)の指導者で、彼らは(中国と台湾はひとつの国だとする)92年合意を否定し、台湾独立勢力の拡張を推し進めた」と非難した。
台湾独立の動きには、「中国軍は一秒たりとも躊躇しない」との強硬発言を二度、繰り返した。
李氏は「中国は米国と新型大国関係の構築を目指す」と語って演説を締めくくったが、これは2008年に中国が米国に「太平洋分割統治」を持ちかけて以来の彼らの夢である。太平洋をハワイを基点に東西に二分し、中国が西を、米国が東をとるという考えだ。後に習近平主席が二度オバマ大統領に提案し、オバマ氏は危うく同案に乗りかけたことがある。
この後の質疑応答では、前日に発生した中国艦によるチャン・フーンへの挑発的な接近問題について問われた。質問はシャングリラ会議の主催者によってこう提起された。
「中国艦と中国機が国際水域、国際空域で他国の艦船や機体に近づきすぎたと思われている件について、指摘したいことはありますか」
極めて中立的かつ公平な問い方だったが、李氏はいきり立った。
「ご指摘の事案はなぜ他の国々の近くではなく、中国の近くで発生したのか。中国機も中国艦も他国の近海で主導権を取ろうとして展開することなどない。この種の事故を防ぐには、軍艦や戦闘機を所有する国々が他国近くの空や海で(他国を)取り囲むような行動をしないことだ。なぜそこに行くのか。我々に言わせれば、自分のことをやれ、自分の戦艦、戦闘機を大事にしろ、自分の領空領海の面倒を見ろということだ。そうすれば何の問題も起きないはずだ」
一気にこう語った李氏は明らかに怒り心頭に発していたのだ。我を忘れて罵ってしまった。国際会議でこんな発言をするのは国際政治において言葉がどれ程の重要性を持つかを理解していない証拠だ。理性に徹することのできない人物が中国人民解放軍の幹部であることに怖ろしさを感じる。
烈しい米国非難
このような中国に対して米国はこれまでに高官級で十数回、実務レベルで十回近く会談を呼びかけた。だが中国側はそれらすべてを断ってきた。
シャングリラ会議開催の最中、米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が5月に訪中していたことが明らかになった。氏はバイデン氏が最も信頼する側近だという。昨年、バイデン氏はナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問を止めさせるために、バーンズ氏を使って説得しようとした。ペロシ氏は断ったが、大統領がそうした重要な仕事を頼むほど信頼されているのだ。
バーンズ訪中と同月、サリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)はウィーンで中国外交のトップを務める政治局委員、王毅氏と会談した。サリバン氏は6月2日、「米国は、ロシアや中国を抑止するために核戦力を増強する必要はない」、中露両国との核軍縮協議について「無条件で臨む用意がある」と語っている。
米国務省のクリテンブリンク次官補は現在(4~10日)、中国とニュージーランドを訪問中だ。
米中関係の雪解けは多層的に進んでいるのだ。李国防相の烈しい米国非難が米国の足下を見透かしての発言である可能性もある。台湾海峡や南シナ海での人民解放軍の無謀な挑発も同様かもしれない。米中会談を切望するバイデン氏が中国に宥和的すぎる姿勢を取っているからだ。宥和的に懇願すればするほど、中国は多くを要求する。米国は後退を迫られる。力しか信じない中国に宥和的姿勢は禁物である。米国が譲りすぎることは日本をはじめ西側世界にとって大問題だと、ここでバイデン氏に忠告すべきではないか。それができるのは中国と2000年以上の交流があり、それ故に中国の怖ろしさを知っている日本である。日本の国益のために、岸田文雄首相はバイデン政権の対中宥和策に警鐘を鳴らすべきだ。