「 全人代、習近平の思惑をどう止めるか 」
『週刊新潮』 2023年3月16日号
日本ルネッサンス 第1040回
3月5日、中国の全国人民代表大会(全人代・日本の国会に相当)が開幕、李克強首相が最後の政府活動報告を行った。1時間足らずの淡々とした演説には、さまざまな意味が込められていた。その中から習近平国家主席の思惑を読みとってみる。
李氏は報告を読み上げる中で何か所かを省略した。これらも含めて全て習氏の了承を得ているはずだが、省略されたのは「戦争準備の強化」や「軍の近代化の水準と実戦能力が著しく向上した」などの部分だった。香港及び台湾問題について共産党政権が厳しく対処し、秩序を確立したという部分は割愛され、ウクライナ侵略戦争についての言及は元々なかった。
中国が国際社会の目を意識し、穏やかな印象を醸し出そうとしているのが読みとれる。西側社会はいま一致団結して、ウクライナに侵略戦争を仕掛けたロシアに対抗する構えを作っている。ロシアを非難せずロシアの側に立ち続ける中国には深い不信の目が注がれている。米国ではバイデン大統領、ブリンケン国務長官以下要人らが、中国がロシアに対する軍事支援に踏み切る兆候について言及し、そのようなことは深刻な結果を招く、と警告し続けている。
こうした国際社会の厳しい視線を和らげるためにも中国はロシア・ウクライナ戦争で「善意の仲介者」を演じようとした。だが、2月24日に明らかにした12項目の和平提案はロシアの利益を代弁するばかりだとして全く評価されなかった。中国の面子は丸つぶれだったが、それでも彼らには米国との関係修復を図らなければならない理由がある。
昨年の中国の経済成長率は3%、若者の失業率は17.6%と発表されたが、実際には経済成長はマイナスの可能性があり、失業率は30%をこえているとみられている。
報告で李氏は「国内経済は需要不足」「民間投資と企業の先行きは不透明」「雇用対策は非常に困難」と述べた。「貿易成長の原動力が弱まり外部からの抑圧が増大化している」「科学技術のイノベーション能力が伸び悩んでいる」とも報告した。滲み出る苦況。経済立て直しのためには、米国との関係修復が欠かせない。
中国の軍拡の凄まじさ
バイデン政権の半導体関連物資・製品の禁輸措置は、日本とオランダも協力した厳しい内容だ。日米蘭が制裁を隙間なく実施すれば、中国の産業は行き詰まる。米国の制裁の壁を打ち破ることが、中国にとって何よりも重要である。経済成長を実現できず、国民生活をより豊かにできなければ、中国共産党の存在意義はないからだ。言葉は強気でも中国は米国との関係修復に力を注がざるを得ないのだ。
中国共産党の対外姿勢が少なくとも表面上柔らかに見える理由として、産経新聞台北支局長の矢板明夫氏は、中国国内の状況の変化を挙げる。
「昨年8月、ペロシ米下院議長が訪台したとき、中国は強く反発しました。その時期、中国国内で烈しい権力闘争が進行中でした。国内情勢が厳しいときは、外に敵を作り国内を引き締めるのが常套手段です。しかし今、状況は変わったのです」
昨年10月の共産党大会で人事を行った結果、中央政治局常務委員会も中央軍事委員会も習氏の「イエスマン」で固められた。習氏は国内の権力闘争を完全に制したのだ。もはや党内の反対勢力を気にすることもない。外敵を作り、危機感を強めて求心力を高める必要もなくなったというのだ。
台湾に関する習氏の微笑外交は表面の薄皮一枚だけでのことだ。その裏ではこの上なく厳しい認識で軍備を拡張中だ。習氏は、来年1月の台湾総統選挙にピタリと焦点を合わせ、「台湾統一では決して武力行使の放棄は約束しない」との原則を掲げ続ける。
国防予算は前年比で7.2%ふえることになった。元々中国の軍事費は公表値の1.5倍と考えるべきだと言われてきた。中国の軍拡の凄まじさが見てとれる。
ウクライナ侵略戦争に関して、人民解放軍(PLA)の機関紙「解放軍報」はロシア軍の統合作戦能力への疑問を呈し、PLA自身への戒めとすべきだと指摘した。予期せぬロシア軍の苦戦を見て、彼らはPLAが1979年の中越戦争以降、本格的な戦闘経験を欠くことに注目し、指揮官の能力向上の必要性を説いている。
米国防総省は米国の軍艦300隻足らずに比べて、中国海軍が世界最多の340隻を保有し、さらにあと3年で400隻にふやす予定であることに警鐘を鳴らし続けている。また、中国が台湾上陸に備えて戦車揚陸艦や揚陸輸送艦を2019年から22年にかけて1.5倍の52隻にふやしたなどと危機感をもって指摘する。
地球全体が戦争の瀬戸際
中国はこの急速な軍拡を進めるにもかかわらず、李氏は演説で敢えて台湾についての部分を素通りした。矢板氏は台湾における政治状況の変化が背景にあると指摘する。
「去年11月の台湾の統一地方選挙で与党民進党は惨敗しました。台北市長選では民進党の陳時中氏が、国民党の蒋介石元総統の曽孫、蒋万安氏に惨敗しました。敗北の責任をとって蔡英文氏は民進党主席を退かざるを得なかった。国民党に追い風が吹く中で、強硬策を取れば民進党を利することになると習氏は理解しているのです。来年1月の総統選挙まで、彼は台湾人に中国への恐怖感や警戒感を与えないようにして、様子を見ると思います」
どの国もいま、地球全体が戦争の瀬戸際にあることを意識しているのではないか。欧州での侵略戦争は続き、アジア諸国は台湾有事への深い危機感を共有しているはずだ。どの国も、とりわけ日台両国は全能力を傾注して、中国の侵略を思いとどまらせなければならない。なぜなら台湾有事は日本有事であり、戦場になるのは台湾と日本なのであるから。どれほどの犠牲か、どれほどの悲劇か、予想がつかない。
ウクライナは実によく戦っているが、戦争を抑止できなかった時点で、悲劇が始まってしまった。
岸田文雄首相は安全保障33文書を閣議決定して自衛隊と日本の軍事力を増強するとした。大いに評価するが、中国の蛮行を阻止するには外交力も最大限に活用しなければならない。その点で、林芳正外相がインドで開かれた20か国・地域(G20)外相会合に出席しなかったことは到底、理解できない。
参院予算委員会での基本的質疑には全閣僚が出席しなければならないからというのが参院自民党の考え方だったという。だが、林氏がG20を欠席して参院で質問に答えたのは、53秒間だった。予算委員会における全閣僚の出席は非常に大事だと、参院自民党は言う。しかし、予算案はすでに衆院を通過しており、参院送付から30日で自然成立する。参院での答弁は消化試合だ。参院には優れた議員も少なくないが、この局面で日本の外相をG20に送りこまないことで生じる損失を考えることができなかった。実に情けない。