「 力の結集を、今が拉致解決の好機だ 」
『週刊新潮』 2022年11月3日号
日本ルネッサンス 第1022回
毎年秋になると「家族会」「救う会」「拉致議連」は、北朝鮮に拉致された人々の奪還を誓う国民大集会を開催する。今年も東京・千代田区の砂防会館に全国から多くの人々が集った。小泉純一郎元首相の訪朝から20年、家族会が被害者の実名を公表し、救出運動を始めて25年、横田めぐみさんが拉致されて45年が過ぎた。13歳のめぐみさんは58歳になった。会の冒頭、暗殺された安倍晋三元首相に皆で黙祷を捧げた。横田早紀江さんがしみじみと語った。
「安倍さんほど一生懸命になって下さった方はいません。世界中に拉致のことを説明して下さった。遠いアフリカの国でも、拉致について何の知識もない首脳たちにまで、必ず言って下さり、拉致はテロだとする国連制裁を実現して下さった。どんなに状況が苦しくてもいつも朗らかな方でした。その方がいなくなった。私は声をあげて泣きました。こんなにすばらしい方をなぜ、こんなにも早く、天は召されたのか。神様の御心がわかりません。安倍さんのことを話し始めると涙で言葉が続かなくなりますから、私は集会では北朝鮮の指導者がどれほど残酷な運命に、私たちを突き落としたかを話したのです」
黙祷の後、集会で早紀江さんが語ったのは、突如子供が消えていなくなったことへの母としての衝撃、悲しみ、絶望の思いだった。めぐみさんが煙のように消えて20年がすぎたとき、或る日突然、北朝鮮にいると伝えられた。居場所がわかった、解決は早いと、単純に喜んだ。しかしそれから25年が過ぎた。その間に小泉氏が訪朝し、曽我ひとみさん、蓮池薫さんら5人が帰国したが、それも20年も前のことだ。
「おととしの2月に有本嘉代子さん(恵子さんの母)、同じ年の6月に主人(滋さん)が、そして去年の12月には飯塚繁雄さん(田口八重子さんの兄)が亡くなりました。私も年を取りました。節々が痛く、食事も進まない。家族会の方々は皆同じです。政府も国民の皆さんも本当に一所懸命やって下さるのに、こんなに長い年月がすぎても、解決できない。クタクタです」と早紀江さん。
米軍の斬首作戦
「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」の日、岸田文雄首相は豪州訪問から帰国し、集会で語った。安倍氏と同じく、拉致問題解決に全力を尽くすと、用意された挨拶文をゆったりと読み上げたが、疲れた様子が見てとれた。
毎年、集会では家族会の皆さんが当事者の想いを語ってきたが、今年は救う会代表の西岡力氏が現状報告を行った。西岡氏はこの四半世紀をふり返り、みんな疲れているかもしれないが、今が大事な頑張り時なのだと、ざっと以下のように語った。
20年前、我々は5人を取り戻し、1回、勝った。その5年前に家族会を作り、家族の皆さん方が世論を盛り上げたからだ。金正日氏は日本から得たいものが沢山あった。それらを得るには拉致を認めなければならないと悟り、認めた。
けれどそのとき、彼は嘘をついた。拉致したのは13人、5人を帰すが8人は死亡した、と。それで決着をつけようとしたが、嘘はバレた。それでも正恩氏は強気で16年と17年の2年間にミサイルを40回発射、核実験を3回行った。
トランプ氏が米国大統領になると、正恩氏に強い圧力をかけた。17年9月23日、ステルス性が高く60トンもの爆弾を運べるB―1B爆撃機2機を北朝鮮の元山上空に飛行させた。北朝鮮は防空レーダーもなく2機の飛来に気がつかなかった。このときから正恩氏は本気で米軍の斬首作戦を恐れ始めた。圧力が効いたのだ。
正恩氏はそれ以降、核・ミサイルの実験を全てやめ、18年6月にはシンガポールでトランプ氏との首脳会談に応じた。19年2月にはベトナムのハノイで二度目の米朝首脳会談に臨んだ。ハノイでは冒頭、「テタテ」と呼ばれる首脳同士だけの会談で、トランプ氏は、拉致問題の解決を望んでいるという安倍氏の言葉を伝えた。
一対一の会談ではその国にとっての最重要課題を持ち出すのが通例だ。テタテという大事な機会を他国の懸案を伝えるのに使うなど異例である。それをトランプ氏は安倍氏のためにやってくれたのだ。
正恩氏は戸惑って話題を逸らしたという。両首脳はその後夕食会に臨み、翌朝、再び、テタテを行った。その時、またもやトランプ氏が拉致問題を持ち出したのだ。トランプ氏は自分が最も信頼する日本のシンゾー・アベは拉致問題の解決のことしか言わない。拉致・ミサイル・核問題を解決したら北朝鮮には夢のような未来が待っている。アメリカはそのための援助はしない。シンゾーがする。シンゾーは全員の帰国を望んでいる。それが実現すれば日本の資金が来る。だから拉致を解決するのが君のためにもよいのだという主旨を正恩氏に語った。
「完全な心理戦です」
正恩氏は今度はきちんと回答した。トランプ氏が本気であると認識して、初めて意味のある回答をしたのだ。この点については私も安倍氏自身から聞いた。拉致問題の解決が眼前に近づいた瞬間だ。しかし、正恩氏はまたもや嘘をついた。核、ウラン濃縮、ミサイル開発などの件でアメリカを騙そうとした。それを安全保障問題担当の大統領補佐官、ジョン・ボルトン氏が見抜いた。米朝会談はここで決裂し、拉致問題の解決も遠のいた。
「しかし今、同じような状況が生まれています」と、西岡氏。
「金正恩は今年48回もミサイルを発射しました。米国が黙認するわけはなく、米韓両国から特殊部隊が参加して、大規模な合同軍事演習を行いました。金正恩氏を標的にした斬首作戦を想定した、実戦さながらの訓練です。その映像を米軍側がフェイスブックにアップした。完全な心理戦です」
北朝鮮に米軍の実力と日本の資金力を見せつける時だ。北朝鮮は国連制裁を受け、すでに食糧危機に陥っている。軍さえも困窮しており、正恩氏暗殺計画が未然に露見したとはいえ複数回おきている。
正恩氏は米軍の斬首作戦と、北朝鮮の国民の恨みの双方を恐れているのだ。生き残るには、さらなる弾圧よりも国民に食糧を供給し、工場を稼働させて皆が食べていけるようにすることだろう。核・ミサイルよりも先に拉致が解決されればどうなるか。経済の復興で北朝鮮社会が安定する。ロシアや中国に北朝鮮がより深く引きずり込まれることも防げる。正恩氏が米軍の力と国民の反乱を恐れているいま、日米協調でより平和的な出口戦略を示すことが大事だろう。そのために日本は政府も家族会も救う会も国民も、いまこそ頑張るときだ。全員の帰国なしには北朝鮮への支援はないと言い続けることが大事だと、西岡氏は言う。その道を目指して諦めないことが重要だ。