「 日本も参考に、英国の国防と核抑止力 」
『週刊新潮』 2022年4月28日号
日本ルネッサンス 第997回
ロシアがマリウポリに立てこもるウクライナ軍に時限付きの投降を呼びかけた。プーチン大統領の恫喝は米国にも発せられた。4月15日の報道によると、バイデン大統領あての外交文書で、ウクライナへの高性能兵器の供与は戦闘を激化させ、「予測不能な結果を招く」と警告した。それでもゼレンスキー大統領は屈せず、シュミハリ首相は「最後まで戦う」と発信した。
これから起きるのは、西側諸国のさらなる団結と、ロシアとのさらなる厳しい戦いだろう。米国を筆頭に西側はウクライナに、攻撃力のより強い武器を供給し、ウクライナの完全敗北を回避しようとするだろう。ロシアの勝利は、核の使用さえ暗示するプーチン氏の究極の暴挙が罷り通ることを意味するからだ。
ロシアは言葉で強く恫喝しても、米国を筆頭とするNATO(北大西洋条約機構)との本格戦争になれば勝つ見込みはない。そのためにNATO攻撃には最大限慎重になるだろう。結果、ウクライナの戦争は長引く可能性が強い。ウクライナにとって何という悲劇か。
プーチン氏のロシア、習近平氏の中国が力で勢力拡大を図り続ける限り、諸国は二つの準備をしなければならない。➀中露両国に負けない同盟組織の一員となり、集団安全保障で互いに守り合う、➁自国の防衛力を出来得る限り強化する、である。
➀については、NATOに入れなかったウクライナの現状を見れば明らかだ。➁について、本当に何が起きるか分からない国際情勢の下では自国防衛の究極の力を養っておくことが大事だ。とりわけ日本は世界一危険な局面にある。私はいつも同じことを言うので繰り返しになるが、ロシア、中国、北朝鮮と、核及びミサイルに囲まれているのは広い世界で日本だけだ。
日本にとって学ぶところが多いのは英国型の国防政策であろう。英国はNATOの一員として米国の核による拡大抑止で守られている。加えて4隻の戦略ミサイル原子力潜水艦を保有する。サッチャー氏が首相に就任する前の労働党政権下ではこの4隻はポラリス潜水艦だった。
国防政策を転換
1979年5月のサッチャー氏の登場に続き、81年1月に共和党のレーガン氏が民主党のカーター氏を退けて米国大統領になると国際情勢は大きく変わり始めた。米ソ関係及びヨーロッパ情勢を洞察して英国の国防政策を転換したのがサッチャー氏だ。彼女は首相就任直後に、古くなったポラリスミサイルの代替兵器の選択にとりかかっている。当時米英間で考えられていた最善の後継システムはトライデントⅠ型MIRVシステムだ。
トライデントミサイルには、複数の核弾頭がそれぞれ個別の目標に向かうMIRV(マーブ=多目標弾頭再突入体)という重要な最新技術が含まれていた。79年12月6日、英国は時のカーター政権とトライデントⅠ型の購入で合意した。しかし、カーター氏はこの軍事的取り引きが公になれば自身の政治的立場に負の影響を及ぼすと心配した。氏は当時、ソ連を信じて善意の外交を展開中だった。氏の善意は79年12月24日のソ連によるアフガニスタン侵攻で踏みにじられ、氏は翌年の大統領選挙で敗北した。
81年1月にホワイトハウス入りしたレーガン氏は米国の軍事力の大幅拡張と近代化に集中した。トライデントⅠは新技術を盛り込んだトライデントⅡに格上げされ、82年には英国海軍への導入が決まった。
こうして英国の各原子力潜水艦には16基のトライデントミサイルが装備された。各々のミサイルには核弾頭3発が積めるため、各原潜の核弾頭は48発になる。英国は常時1隻を潜航させて、万が一、ロシアが英国を核攻撃するような時には海中からトライデントミサイルを発射して反撃する。こうして英国は強力な核の抑止力を備えた。
サッチャー氏が自前で強力な核抑止力を持つことに拘った背景に欧州における米欧関係の複雑さがあった。欧州では77年にソ連が新型のSS-20というミサイルを配備し始めた。3弾頭のMIRVを搭載し、命中精度が高く、再装填できて移動性もある。ソ連はまたSS-21、SS-22、SS-23など地対地ミサイル、新型長射程巡航ミサイル5種類を地上、海中、空中発射型新兵器として開発していた。
サッチャー氏は首相就任から1週間後、いち早くドイツを訪れ、シュミット首相とソ連の軍事的脅威への対応策を話し合っている。欧州諸国はまずソ連に通常兵器で対応するが、それで対応できなければ、次の手は米国が米国本土から発射する強力な戦略核兵器で守ってもらうしかなかった。サッチャー氏はこの二つの防御策の間に欧州配備の中距離核兵器がリンクしていなければ効果的ではないことを見通していた。
自国に対する信頼
シュミット氏も同じ考えで、ソ連のSS-20に匹敵する米国の中距離核ミサイルの開発、配備を強く望んでいた。米国は大急ぎでパーシングⅡを開発し、83年末には配備できるところまで漕ぎつけた。
ところが、83年5月、米国のウィリアムズバーグで行われたG7(先進七か国首脳会議)で突如、フランスとカナダが猛反発した。レーガン大統領の回顧録によると、ミッテラン仏大統領とトルドー加首相は、欧州への米国の中距離核ミサイルの配備などを支持する人々は戦争屋(warmongers)だと非難した。サミット参加国首脳間で激しい応酬があった。その後昼食会に向かうのにフランスとカナダは一人ぼっちで歩き、残りの国々は一緒に歩いたそうだ。昼食の席でも双方は一言も言葉を交わさなかった。
米国による拡大抑止への根本的猜疑心が欧州側にあり、米国の核をNATO擁護に使おうとしても米欧間の合意は可能なのかという疑問もあった。この複雑な状況の中でサッチャー氏は、国際的枠組みの整備は大事だが、それを強力に補完しておくことも大事だと考えたに違いない。英国は、それは自前の核だという結論に達し、米国最新鋭のトライデントミサイルを購入し、原子力潜水艦に搭載して今も海中深く遊弋(ゆうよく)させている。日本が見習うべき点だと思う。
英米の指導者には多くの共通点がある。その最たるものは自国に対する信頼であろう。サッチャー氏は「イギリスほど信頼されている国はない」と回想し、レーガン氏は「米国ほど他国の為に尽力した国はない」と誇っている。
完璧な国など存在しない。両国にも多くの欠点がある。しかし、自らを信頼することから、力が生まれる。日本にはどの国にも負けない力がある。それは人間重視の優しさと雄々しさだ。その力で戦後体制から脱却し日本国を立て直すのがよい。