「 ウクライナ危機は他人事ではないぞ 」
『週刊新潮』 2022年2月24日
日本ルネッサンス 第988回
ジェイク・サリバン米国家安全保障担当大統領補佐官が2月11日、ウクライナ在住の米国人全員に48時間以内の退避を勧告した。20日閉幕の北京冬季五輪の間にもロシア軍のウクライナ侵攻があり得るとして、侵攻は空爆とミサイル攻撃で始まり、国籍を問わず民間人が犠牲になる可能性があると語った。「退避できたのにしなかった人々を救出するために、米兵士を戦争地帯に送りこんで危険にさらすことを大統領はしない」とも氏は述べた。
「ニューヨーク・タイムズ」紙は12、13日の週末にウクライナ軍の訓練の為に駐留していた米軍人約150人が撤退し、キエフ空港から米国人を乗せて飛び立ったチャーター機やプライベート・ジェット機がこの6年間で最多を記録したと報じた。
ウクライナがどんな状況に陥っても軍事介入しないというバイデン政権の固い意志は明らかだ。そうした中、ウクライナのゼレンスキー大統領がバイデン氏に、この2~3日間にウクライナの首都キエフを訪問してほしい、緊張緩和に必ず役立つと懇願したことが、非現実的な夢想に縋(すが)るものとして冷ややかに論評されている。欧米諸国のある種突き放した視線が、私には他人事と思えない。岸田文雄首相の夢見る核なき世界と、国防を他国に頼るという姿勢が、いまや米国を鼻白ませていることに岸田氏こそ気づくべきだろう。
米国の軍事不介入の決断が西側諸国のウクライナ政策の基調となっている。英仏、わが国を含む多くが米国に追随中だ。プーチン露大統領の軍事侵攻を経済制裁中心の戦術で乗り切れるとは思えないが、それでも今はG7諸国をがっちりまとめることが第一だ。だがそれさえもバイデン政権はできていない。
「冷戦以来最も親密」
その典型例がドイツである。14~15日にウクライナとロシアを訪れたショルツ独首相の目的は、プーチン氏のゴールがどこにあるのかを見極めることだった。ロシアはキエフを陥した後、ウクライナをどう治めるのか。資源豊富な東側を奪うとして、資源も少なくチェルノブイリを含む西側もとるのか。ロシアとの国境にある東側のドネツクとルガンスクの両人民共和国は親露派住民に支配されているが、二つの共和国を独立させるのか、それともカザフスタンでロシアが企んで成功したように、キエフに親露政権を打ち立てて、ロシアの支配下に置くのかなど、シナリオはいくらでも考えられる。
ショルツ氏はそうした中で、ロシアとドイツを結ぶガスパイプライン、ノルドストリーム2の操業に漕ぎつけようとするのではないか。エネルギーの60%をロシアに依存するドイツは結局、G7の中の異端児となって、ロシアを利する行動に走る可能性も心しておくべきだ。
混沌の中で、16日にもロシアが軍事侵攻か、との情報が永田町に走った。岸田氏は14日午前、国家安全保障会議(NSC)を開いたが、ウクライナ問題についての方針を明確に示したわけではない。岸田氏はバイデン氏と共に迷走し始めていないか。
米国の大戦略はいま、最大の脅威である中国に力を集中させるという当初目的から大きく外れて、最も好ましくない方向に展開しているのではないか。カーター政権の国家安全保障担当大統領補佐官を務めたズビグニュー・ブレジンスキー氏はかつて、中露を大連合させてはならない、中露大連合は米国にとっての最大の脅威となると警告した。
バイデン大統領は昨年8月末にアフガニスタンから這々(ほうほう)の体で撤退した。それでも中東から手を引き中国に集中するという戦略意図は正しいものとして受け入れられた。
しかし今米国は、中国に集中するのではなく、中露を接近させてしまった。北京五輪を機に行われた中露首脳会談後の共同声明を見れば、彼らの大連合路線は明白だ。中露は自分たちこそが真の民主主義国だと主張し、国連中心主義を謳い上げた。弱小国を巻き込んで数で勝負すれば勝目はあると見ているのだ。
ロシアは「一つの中国政策」を支持し、「台湾は中国の一部」「台湾の独立は認めない」と宣言した。日米主導のインド太平洋戦略は「閉鎖的ブロック圏の構築」だとして反対し、「AUKUS」にも強い異議を表明、ロシアは習近平主席の「人類運命共同体」の実現が重要だとへつらい、日本のトリチウム水の海洋放出も非難した。そのうえで、両国は「冷戦以来最も親密な同盟関係にある」とした。情報筋は、「軍事同盟でないことが、辛うじての救いだ」と語る。
政界一の酒豪
国家基本問題研究所副理事長でニクソン研究の第一人者である田久保忠衛氏が指摘した。
「いま、逆ニクソン戦略をとるべきときなのです。ニクソンはソ連が強かったとき、その弟分の中国をソ連から引き離して、ソ連を崩壊に導いた。中国が巨大になったいま、ロシアを中国から引き離すことに知恵を絞らなければならないのです。それを目指したのが、安倍元首相であり、トランプ前大統領でした」
両氏の試みは道半ばだが、両氏の想い描いた大戦略は正しかったと言える。にも拘わらず、ウクライナ危機に岸田首相は何をしているのか。
岸田氏は安倍晋三首相の下で4年7か月も外相を務めた。政界一の酒豪である岸田氏はロシア外相のラブロフ氏と幾度も酒を酌み交わす機会があったはずではないか。その人脈をなぜ、活かせないのか。岸田氏は著書で、「自分ほどの外交、防衛の専門家はいない」と書いているではないか。秀才といわれる林芳正外相も同様だ。明晰な頭脳をなぜ、ロシア外交に活用しないのか。
外務省首脳は、日本にはそのツテがないと嘆く。だが、日本が危機打開に向けて何の努力もしなければ、同じような危機が台湾、尖閣、沖縄を襲うとき、米欧諸国に力を貸してくれと頼めるわけがない。欧州の生命線を脅かすウクライナ危機の局面で日本は動かなかったと認識されてしまえば、台湾有事は日本の有事だ、助けてくれと要請しても、国際社会が応じてくれるとは思えない。
ウクライナは、国連常任理事国全てがウクライナを侵略することはないと誓ったその言葉を信頼して、かつて持っていた核を全て放棄してロシアに渡した。しかし今、どの国も、軍事介入してまでウクライナを助けようとはしない。だからウクライナ人は自分たちの力で戦うと文字どおり必死の思いである。
他方日本は憲法改正もしていない。自衛隊は「国軍」でさえない。国民に戦う気はあるか。岸田氏は非核三原則を唱え、核戦力縮減を唱えるばかりだ。余りの非現実性ゆえに米国が岸田氏に疑念を抱いている兆しが見てとれる。岸田氏も林氏も現実を見て出直さなければ、日本も、いわんや台湾も守れはしないだろう。