「 岸田首相の危うい「宏池会路線」 」
「週刊新潮」 2021年12月23日号
日本ルネッサンス 第980回
岸田文雄政権発足から日も浅い為、評価を下すのには慎重であるべきなのは当然だ。しかし、早くも先行き不透明感が顕れてきたのではないか。宏池会に脈々と伝わる何ともいえない対中宥和姿勢、優柔不断、結果としての手遅れ感が否めない。
支持率も安定しているかに見える岸田政権だが、北京五輪に関して首相がどのように考えているのか、明確ではない。北京五輪にどう対処するのか、選手団だけでなく政府関係者も参加するのか、選手は参加しても政府としては不参加のいわゆる外交的ボイコットを選ぶのか。この選択は中国との向き合い方を象徴することになる。
米国はすでに外交的ボイコットを決めた。英豪加なども同様だ。他方、主要国の中で日本は態度表明をしていない。
12月13日の衆議院予算委員会で自民党の高市早苗政調会長に外交的ボイコットの可能性について訊かれ、岸田氏は「総合的に判断していきます」と答えた。これまで繰り返してきた、事実上何も言わない空疎な回答である。まともに答えないという意味では林芳正外相も同様だ。
国際社会は中国共産党のウイグル人弾圧政策を「ジェノサイド」と認定し、人権侵害を改めない中国に北京五輪外交的ボイコットという圧力で臨んでいる。岸田首相もウイグル人弾圧を問題視し、人権問題を重視する考えから、これまで以下のように語ってきた。
「ウイグル、チベット、モンゴル民族、香港など、人権等を巡る諸問題について、主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めます」(自民党総裁としての公約)、「私の内閣では、人権をはじめとした普遍的価値を守り抜く」(12月9日、衆院本会議)、「深刻な人権状況にしっかり声を上げていきます」(民主主義サミット)。
ここまで明確に発信しておきながら、なぜ、現段階に至っても岸田氏は、日本国首相として、外交的ボイコットを宣言できないのか。米中が対立する価値観の戦いにおいて、日本の立ち位置をなぜはっきりさせないのか。
中国共産党の魔の手
中国共産党はウイグル人、モンゴル人、チベット人の弾圧政策を改めるどころか、逆に監視態勢の強化に乗り出している。
悪魔のような中国共産党の魔の手は海外にまで及ぶ。わが国で働き、或いは学ぶ前述の三民族の人々を中国共産党工作員は恒常的に監視し、恫喝する。中国にいる家族を人質に取って密告を強いる。こうした悪行を彼らはわが国で行っている。それだけではない。わが国の国民、少なくとも7人が正当な理由を示されずに中国で逮捕され、長年拘束されている。
人権問題以外にも日本には中国共産党に抗議し、北京五輪を外交的にボイコットすべき理由は少なくない。尖閣諸島のわが国海域には中国の武装公船4隻がほぼ常駐している。中国の艦隊は10月中旬、ロシア艦隊と共にわが国を一周し、挑戦的な軍事訓練を展開した。歴史問題では、中国共産党の機関メディアが「日本は慰安婦70万人を強制連行した」という途方もない歴史の捏造を始めている。北京五輪への対応ではこうした中国の振舞全体を考慮するのは当然だ。
米英豪加諸国と共に、日本政府は北京五輪に祝意を送らず、外交的ボイコットの先頭に立つべきなのである。にも拘わらず、岸田首相、林外相共に、中国に対して沈黙する。
彼らの沈黙は次の事例でも明らかだ。バイデン米大統領は12月9、10日の2日間、中国など強権国家の脅威に対処すべく世界110か国・地域を招いて「民主主義サミット」を開催した。サミットに合わせて「輸出管理・人権構想(イニシアチブ)」を立ち上げると発表した。これは、人権侵害を助長しかねないデジタル監視技術、たとえば監視カメラや顔認証、スマホなどから情報を抜き取るスパイウェアといった技術等を、中国企業などに輸出しないように、今後1年かけて有志国が協力して輸出管理の行動規範を作ろうというものだ。
同構想の参加国として署名したのは米国の他には豪州、デンマーク、ノルウェーである。賛同し、支持を表明した国々は英仏加などである。だが日本はどちらにも入っていない。前述のように岸田首相は、人権など普遍的価値を守り抜くと度々決意表明してきたにも拘わらず、である。
なぜこんなに後ろ向きなのか。もうひとつ奇妙なのは、中国を念頭に置いた米国発のこれらの動きが、岸田政権内で必ずしも共有されていないことだ。国際人権問題担当首相補佐官に就任した中谷元氏は、12月7日の日本経済新聞の記事「人権侵害を阻止 多国間輸出規制」で、初めてバイデン氏が「輸出管理・人権構想」を発表することを知った。外務省が情報を上げていなかったというのだ。
なぜ消極的なのか
明星大学教授の細川昌彦氏が指摘した。
「外務省は中国との関係から、中国を対象にした規制などには一貫して否定的です。中国を追い込む国際的枠組みについての情報を日本側に伝えないというようなトリックは、民主主義サミットでの輸出管理・人権構想についての事例で行われただけではありません。6月のG7首脳会合の共同声明の中の関連部分についても、外務省が要約した資料からは省かれていたのです」
そもそも外務省には、バイデン政権の民主主義サミットに対する不信感がある。どの国を招くのか外すのかの基準も定かではない。ASEAN10か国から招かれたのはフィリピン、マレーシア、インドネシアの3か国のみで、シンガポールもベトナムも排除された。ASEANを分断するかのような手法は、中東や欧州に対しても使われている。多くの国をまとめるというより分断しかねない選別が目につく。確かにバイデン政権への信頼が揺らぎそうな事例だ。
「しかし」と萩生田光一経産大臣は語る。
「日本国の戦略の基本は米国との緊密な協力を守ることです。ですから、米国提案の枠組みにもっと前向きの姿勢で取り組むのがいいでしょう。今すぐ署名できなくとも、たとえば来年早々に署名国になれる状況を作り出す姿勢が大事。それが国益だと考えます」
経産省に比べて外務省はなぜ消極的なのか。とどの詰まり、中国には十分に物を言えないということではないか。伝統的と言ってもよいほどの対中宥和の姿勢が外務省にはある。それは宏池会の対中姿勢の根本と重なるのではないか。まだ断定には早いと思いながらも、岸田政権のこれからに危惧を抱いてしまう理由である。