「 習近平の毛沢東路線は世界の不幸だ 」
『週刊新潮』 2021年3月18日号
日本ルネッサンス 第942回
習近平国家主席の下、中国はおよそ全ての分野で・逆方向・に走っている。中国自身も否定し、一旦は離れた毛沢東の路線に強硬な攻めの姿勢で立ち戻ろうとしている。それは現在の中国の強さの表現というより、彼らの抱える矛盾と弱さの反映ではないか。それが、3月5日に開幕した全国人民代表大会(国会に相当)の前半を見ての感想である。
開幕当日、李克強国務院総理が政府活動報告を行ったが、読めば読むほど国柄の違いを強く感じて興味深い。開口一番、李氏はこう言っている。「突如として発生した新型コロナウイルス……」。
たしかに突如として発生したのであろう。しかしそれは明らかに中国で発生し、中国政府の隠蔽があって世界に広がったのである。にも拘わらず、そのことについての反省や申し訳ないという表現は一言もない。つき合いたくない国柄である。
今回の全人代で世界が注目したのは、今年のGDP成長率の目標値だった。李首相が発表した6%以上を妥当だと評す声がある一方で、「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は社説で「6%」に込められた中国の深刻な内情に注目している。武漢ウイルス禍で経済が落ち込んだあとの回復値を示す値なので、8%や10%を掲げてもおかしくないはずが、6%という「低め」に設定したのはなぜか、と問うのだ。
中国の統計が信用できないことには定評があるが、中央政府が高めの目標値を設定すれば、地方政府はその数字に合わせてくる。無用な借り入れで無駄なプロジェクトを組み、実態経済とは無縁の投資などで統計上、GDPをふやすことなど、中国では日常茶飯だ。
これまで犯してきたこの種の間違いを繰り返させないために、習近平政権が低めの目標にしたのではと、WSJは推論したわけだ。それだけ中国の金融・財政事情は劣化しているということだ。この際、中国経済の脆弱性をきちんと見ておけということでもあろう。
強すぎる民間経済は危険
李演説で非常に興味深かったもうひとつの点は国有企業についての部分だ。李首相は、国有企業を優先して民業を圧迫する「国進民退」政策を変えようと努力してきたという。「国有企業改革3か年行動計画」を打ち出し、「国有経済の配置最適化と構造調整を加速させて、民営経済の発展」を促したとして、こう語っている。
「いささかも揺るぐことなく公有制経済を定着・発展させ、いささかも揺るぐことなく非公有制経済の発展を奨励・支援・リードしていく」
両方を分け隔てなく平等に扱うと断言したのに、その直後に、「国有資本・国有企業をより強く、よりよく、より大きくする」とも言っている。
性格が正反対の経済主体のどちらを優先するのか。答えは現実を見ればすぐにわかる。昨年11月3日、史上最大規模になるはずだったアリババグループ傘下の金融会社、アント・グループの新規株式公開が突然習主席の指示で延期された。その他の多くの企業動向も合わせて見れば、中国は明らかに国有企業優先政策に向かっている。国有企業は民営化するのでなく、逆に、かつ急速に、民営企業を傘下におさめつつある。昨年1年間で国有企業に経営権を譲渡した、もしくはさせられた上場企業は48社に上るとの報道もある。結果として興味深い負の変化が生まれている。
国進民退政策の下で国有企業は土地、資本を含むあらゆる資源を優先的に配分されているにも拘わらず、民営企業の実績にはかなわないのが事実だ。2年前の段階で、民営企業は中国全体の税収の50%、GDPの60%、都市雇用の70%を生み出していた。それが20年末の段階で、民営企業は圧迫されているにも拘わらず、税収では60%に増やした。GDPも60%を維持し、雇用に至っては80%まで民営企業が生み出した。
こうした流れがあっても、習主席は民業を圧迫する。中国共産党の一党独裁を保ち続けるために、また自身の独裁専制政治を維持するために、強すぎる民間経済は危険すぎるのであろう。
習主席は全人代初日に、内モンゴル自治区の代表らによる会議にわざわざ出席して、同自治区で中国語(漢語)の普及推進を命じている。モンゴル人にモンゴル語を使わせてはならない、モンゴル人からモンゴル人らしさを奪って漢民族に同化させよというのだ。
中国政府は歴代、チベット人やウイグル人など、異民族の漢民族への同化策をこれまでもずっと進めてきた。しかし、習氏は、とりわけ強硬である。内モンゴル出身の楊海英・静岡大学教授は、習氏の意図を理解するためには彼が信奉している毛沢東の考えに立ち戻ればよいと指摘する。
毛沢東に関する膨大な量の出版物の中で、毛の言葉として定着しているのが赤い表紙の『毛沢東語録』(以下「語録」)であろう。全世界で50億冊も印刷されたそうだ。
文革は現在も続いている
習主席がなぜウイグル人を100万人規模で強制収容し、自由を奪い、宗教を奪い、思想教育をするのか。なぜモンゴル人から母語を奪い、彼らの生活習慣を奪うのか。チベット人になぜチベット仏教を禁ずるのか。「語録」にそのことを理解するのに役立つ毛沢東の言葉がある。少し長いが引用する。
「人民民主主義独裁には二つの方法がある。敵にたいしては独裁的方法をとる。必要な期間、政治活動に参加させず、人民政府の法律にしたがうことを強制し、労働に従事することを強制し、労働をつうじて新しい人間に改造する。人民にたいしては、これと反対であって、民主的方法をとる。かならず政治活動に参加させ、教育と説得によってはたらきかける」
習氏が指示したのは、毛沢東が敵に対してと述べた独裁的方法をとれということだ。即ち、漢民族にとってウイグル人もモンゴル人もチベット人も「敵」なのだ。漢民族以外の人々に民主的に接することなどないのであろう。文革の最中に熱烈に読まれていた「語録」の教えがいまも実践されている。この意味において、文革は現在も続いているのだ。
日本について毛沢東は何と言っていたか。日本は「語録」に複数回登場する。私たちが記憶しておくべきことは抗日軍事政治大学のことだ。日本を打ち破るための教育を徹底的に施したこの大学は文革当時、中国の教育革命の模範とされたと、「語録」を訳した竹内実氏が解説している。
如何にして日本を打ちのめすかという教えが、中国全土の毛沢東革命の土台となり、現在の習近平体制に引き継がれている。「語録」の中の思想は徹頭徹尾、戦争肯定論だ。すべての問題は戦争によって解決されると毛沢東は繰り返している。習氏は第二の毛沢東になろうとしている。日本人こそが、世界で一番中国共産党に警戒心を抱かなければならないと思う。