「 なぜ日本人は半沢直樹を好むのか 」
『週刊新潮』2020年9月3日号
日本ルネッサンス 第915回
時折り本欄でご紹介する「言論テレビ」は、私が日本テレビでニュースキャスターを務めていた時からの古い友人たちとの共同作業から生まれた。スタッフとのつき合いはかれこれ40年だ。皆、歳月を重ねて今日に至っている。その「老兵」の輪の中に、畏友、花田紀凱氏も入って下さり「言論テレビ」はいま、開設9年目である。
私たちの基本は「伝えるべきことを伝える」「事実をして語らしめる」である。そんな気持ちで地上波のテレビ番組とはかなり異なる番組を、毎週金曜日夜9時から生放送で送り出している。地上波テレビが伝えない物事の全体像を伝えることで視聴者の方々の視野を広げるのに役立ちたいと願って続けているが、その中で気付いたことがある。
これこそ重要だと思って報じた番組がいつも多くの人に見てもらえるわけではなく、視聴者の好みに一定の傾向があることだ。たとえば、眼前で進行中の香港大事件への視聴者の関心は、必ずしも高くない。台湾、中国問題にも大きな関心があるようには思えない。香港に対する中国共産党の弾圧は近未来に日本への弾圧となり得る意味で、日本人こそ深い関心を持たなければ大変な事になると思うのだが、朝鮮半島問題、とりわけ韓国の文在寅政権に対する関心と較べると、香港・台湾・中国へのそれはとても低調なのである。
その印象は当たっているのか、親しい雑誌の編集者に尋ねてみた。週刊誌も月刊誌も世間一般の文字離れで販売部数は減少傾向にあり、彼らも読者の関心の向くところに敏感である。
限られた範囲内での会話にすぎないが、彼らも大体私と同じような感触を得ていることが判明した。産経新聞社の「正論」編集長・田北真樹子氏は「そのとおりなんです」と膝を打った。なぜそうなるのか。彼女の率直な表現を借りれば、「中国はヤクザで韓国はチンピラだから」ということになる。
悪魔のような行動
中国はいやな国だが大国だ。国土も広く人口は日本の10倍強、軍事力は世界第二で、市場も大きく経済力もある。彼らの価値観は文字どおりヤクザの如く、私たちとは相容れない。国際法、国内法に限らず彼らは法の埒外にある。力の行使も逡巡しない。それだけに面と向かって対立する相手としては手強い。他方韓国は日本攻撃の論理も手法もいわば分かり易(やす)い。その分、彼らの非を指摘するのも容易だ。彼らを相手とする場合、一言でいえば与(くみ)し易いことが多い。従って韓国報道の方が好まれると、彼女は見る。
WAC株式会社「WiLL」編集長の立林昭彦氏も「明らかに韓国問題の特集の方が中国や香港問題よりも読者に受ける」と語る。その理由について、「韓国の言動は余りにも奇妙キテレツで、端(はな)から優位に立てる余裕が日本人の側にある」からだと見る。他方中国は戦狼外交で国際社会にとって許されざることをしているにも拘わらず、巧妙である。彼らはその悪魔のような行動を外部社会に見せない。国際社会の目を一応気にして取り繕う。
ウイグル人の弾圧・拷問・虐殺などはその一例であろう。ウイグルの人は100万人単位で拘束、収容されて、ウイグル人であることを諦めさせられつつある。中華文化に同化して中国人になるよう、言語も宗教も暮らし方も奪われている。中国共産党に従わなければ拷問が待っているだけだ。ウイグル人が閉じ込められている地獄の実態は、中国政府が封じ込め政策をとる現在、具体的に示すことは難しい。抽象的に知るだけでは人の心を動かす力が弱いのか。それが香港問題や中国問題への関心の低さにつながっているのだろうか。
他方、韓国文在寅政権の愚かさは、根っからの左翼活動家、曺国(チョグク)氏の法相任命をはじめ、北朝鮮へのへつらい、韓国最高裁による戦時朝鮮人労働者問題での常軌を逸した対日政策など、非常に分かり易い。その馬鹿馬鹿しいほどの分かり易さゆえに多くの視聴者や読者をひきつけると、立林氏は言う。
花田氏の見方は多少異なる。
「あくまでもタイミングですよ。朝鮮問題も、香港・台湾・中国問題も、どのタイミングで、どんな内容を出すかが決め手です」と。
正にそのとおりだ。氏はさらに言った。
「ウチはどちらを扱っても、おかげさまでよく売れています。読者の皆さんに感謝しています」
ムムムッ。
花田コメントに感心しながら私はTBSの人気ドラマ「半沢直樹」を連想していた。わが家のきれい好きで働き者のお手伝いさんが欠かさず見る番組が二つある。「ポツンと一軒家」と「半沢直樹」である。週末、時々私もつき合って一緒に見る。
百倍返し
「ポツンと」を見ると心がほっこりあたたかくなる。日本人はこんなに親切で愛情深く、誠実で働きものなのだと、熟々(つくづく)納得する。そして母の故郷、新潟県小千谷市真人(まっと)町万年(まんねん)の田舎の人々や私の故郷長岡の友人たちを心底、懐かしむ。そして憧れる。私もあんな深い山の中の「ポツン」に住んでみたいと。その度に「出来ないくせに」と笑われている。
「倍返しだ!」と言って百倍返しする「半沢直樹」は、悪を挫き正義を実現してくれる心強いヒーローだ。「倍返し!」を貫くのは日本社会の基盤となってきた価値観である。正義、責任、公正さ、弱者への共感など日本人を日本人たらしめてきた大切な価値観が、半沢直樹の戦いを支えている。亡くなった李登輝元総統が日本人に思い出させようとした武士道精神が、現代社会のせめぎ合いのドラマの中にちりばめられている。その爽快さに拍手を送りたくなる。
私がここで知りたいのは、しかし、何故、視聴者はこの番組を好むのかということだ。如何にも悪巧みの頭領のような男がいて、その一派が巡らす陰謀に半沢直樹は打ち負かされそうになりながらも必ず勝つのである。悪は必ず懲罰され、倍返しだ!と半沢が一喝する。単純化されているが故に、安心して見られるのか。
池井戸潤氏の原作、『銀翼のイカロス』には、事の展開にまつわる詳細がぎっしり詰め込まれている。テレビドラマ化の過程で詳細のかなりの部分は省かれ、事の顛末の場面場面が象徴化され強調されている。その山場山場が見る人の胸に深く刻み込まれて、心を揺すぶり続けるのであろう。
私も言葉で表現して伝えようとする言論人だ。日本人はもっと中国の脅威に中・長期的視点で身構えるべきで、香港の運命は台湾、沖縄・日本の運命に重なるという大事なことを伝えたいのであれば、私の発する言葉が読む人、聞く人の心にもっと深く残るよう、努力しよう。