「 危機の中、重要企業狙いの中華戦略 」
『週刊新潮』 2020年4月23日号
日本ルネッサンス 第898回
中国の動きが活発だ。内外における米国の統制力は陰ったと見て、今こそ勢力拡大の好機ととらえているのは明らかだ。
中国湖北省武漢発の新型コロナウイルスで国際社会は混乱の中にある。とりわけ米国は4月11日、感染者だけでなく死者においても世界最多の国となってしまった。米軍の海外展開の基盤である11隻の空母群の内4隻も武漢ウイルス汚染で展開不能、最悪の状況である。
米空母群の内、感染が最も深刻なのがグアムに停泊中のセオドア・ルーズベルトだ。乗組員4800人の内、10日現在で474人の感染が確認されたという。米ワシントン州に停泊中のニミッツにも、横須賀基地で整備中のロナルド・レーガン、ワシントン州で整備中のカール・ビンソンでも感染者が出た。
「ルーズベルト」の艦長クロージャー氏は、船内の感染状況に危機感を覚えて上司に報告した。しかし自分の地元の新聞に、感染者の隔離を求めた書簡を報道されてしまう。空母の動向は軍事機密であり、その内部の情報を中国に知らせる結果となったのは軍規違反だとして解任された。
これだけでも軍の規律の乱れを示すには十分だが、4月7日になって海軍長官代行のモドリー氏が辞任した。クロージャー氏について「頭がおかしい」などと痛烈な批判をしたことを、エスパー国防長官に咎められた結果だという。
米海軍の混乱、ここに極まれりという印象である。北京発の時事電は、中国共産党機関紙「環球時報」が「ウイルス感染によって米海軍の全世界への展開能力はすでに深刻な打撃を受け、東シナ海、台湾海峡、南シナ海で米軍は対処困難になっている」と、報じたことを伝えた。
このような時こそ、中国は攻勢に出るのである。中国人民解放軍(PLA)は全軍の兵士に『孫子』を必読の書として学習を命じている。その「軍争」にはこう書かれている。「整然たる旗じるしを迎え撃ってはならず、堂々たる陣地を撃ってはならない」。敵がしっかりしているときは攻めてはならない。そのような時は、「敵方の乱を待ち受け、敵方のざわめきを待ち受ける」のがよい、と。
米国への宣言
敵方、即ち米軍の乱れとざわめきの中で、PLAが大胆に動いているのがまさに現在である。
2月から3月にかけての彼らの行動は挑戦そのものだ。まず2月9日、最新鋭ステルス戦闘機「殲」と爆撃機「轟」が編隊を組んで、台湾の南側にあるフィリピンとの間のバシー海峡を通過し西太平洋に抜けた。編隊の中の4機の爆撃機は西太平洋に出た後、北上してわが国の沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡を通過した。10日にも轟の編隊がバシー海峡を往復、護衛機が台湾海峡の台湾側を飛行した。台湾は中国の一部であり、中国軍機はどこを飛ぶのも自由だという意思表示か。
PLAがバシー海峡を通過したことの意味はとりわけ深い。前統合幕僚長の河野克俊氏が指摘した。
「バシー海峡を通過し西太平洋を自由に飛行することは、PLAが第二列島線を易々と越えて南太平洋を押さえに来ているということです。彼らの目的は日米豪の連携を物理的に断ち切ることです。そのために南太平洋のソロモン諸島やパラオ、マーシャル諸島、キリバス、トンガなどに接近しています。PLAは第二列島線を制して、第三列島線の確保に向けて動いているのです」
第三列島線はハワイ諸島のオアフ島やカウアイ島の鼻先に設定されている。日付変更線からさらに少しばかり西に行った東経165度以西の太平洋ほぼ全域を囲い込む線である。太平洋を米国と二分割して支配する壮大な戦略目標を中国共産党は掲げているが、その達成には、まず足下の台湾制覇が必要だ。一連の軍事行動はそのためなのである。
2月28日には、PLAの爆撃機H6の編隊がまたもやバシー海峡を往復し、台湾の防空識別圏に侵入した。
3月16日には戦闘機「殲」の一群と早期警戒管制機が、台湾の南西沖で異例の夜間訓練を実施した。
台湾海峡も台湾本島も全て中国側に囲い込む形で異例の夜間訓練をし、その南に広がる海峡を自在に飛行するPLAの行動は、「台湾は中国の一部だ」と世界に示すためのものである。同時に、混乱の最中にある米国に、近い将来中国は南太平洋を席巻すると宣言しているのである。
他人事ではない。わが国の尖閣諸島海域に侵入する中国公船はコロナウイルス発生後、約50%も増えている。
中国ファンドの買収工作
中国発のコロナウイルスで世界中が迷惑を被り、混乱しているときに、なぜ、元凶国である中国は力による世界の現状変更を進めようとするのか、なぜ攻勢を強めるのか。穏やかで一本気な多くの日本人には理解し難いと思うが、中国共産党もPLAも、謀略を最高最善の武器と見做しているのである。謀略を基本とした兵法を理論づけ、体系化した孫子の兵法を骨身にしみるところまで学び、その謀略論を実践することこそ最善の勝ち方だと信ずる人々なのだ。
中国が意図しているのはあらゆる分野での勢力拡大である。武漢ウイルスで各国の経済は大打撃を受け、大恐慌にも匹敵する景気の落ち込みとも言われている。中国はこうした事態につけ込み、地価の下がった土地を買い、経営の苦しくなった企業の買収に動いている。
それに対して、欧米各国は中国の戦略のあくどさを喝破し、自国企業を中国ファンドによる買収工作から守るべく防衛策を発表した。
中部大学特任教授の細川昌彦氏は、欧米各国では外国資本による国内企業への投資を規制するため、対内投資規制強化と、国家ファンドの設立が相次いでいると指摘する。株価の急落であらゆる企業の買収が以前よりずっと容易になっている。そこを狙っているのが中国系ファンドである。狙われているのは国家の安全保障の基盤を支える幅広い産業だ。とりわけ注目されるのが「中国製造2025」でも明記されている半導体及びその製造装置である。半導体は米中が覇権を争う5G(第5世代移動通信システム)に必須のもので、中国の製造能力はまだ高くない。中国はこれらの国内生産を2030年までに自給率75%に引き上げるとしており、その手段として、たとえば台湾の半導体受託生産企業、TSMCの買収を虎視眈々と狙っている。
安全保障の根幹に関わる企業を中国に買われるのを阻止するための基金を、米国は5000億ドル(約55兆円)、ドイツは72兆円規模で設立した。
日本はどうか。コロナウイルスに関して生活支援や失業対策に注目する余り、国家の安全保障の土台をなす産業が丸々中国に買い取られるという危機感は全く見られない。この危機意識の欠如こそ最大の危機だ。