「 注視せよ、コロナで動く米中関係 」
『週刊新潮』 2020年4月16日号
日本ルネッサンス 第897回
中国共産党の海外向け機関紙「環球時報」に3月31日、「新型コロナウイルスが米国の世紀を終わらせた」とするコラムが掲載された。著者の王文氏は中国人民大学重陽金融研究院執行院長で専門は国際関係論だ。
王氏はざっと以下のように書いた。
「新型コロナウイルスの感染が1941年以降で初めて米国の全面的介入のない全地球的問題になるとは、多くの人には思いも寄らなかったかもしれない。米国は自らの身を守ることも難しくなった。トランプ政権は無分別な自信を持ち、ウソをつき、他国への恨み言を繰り返し、責任を転嫁する。世界のリーダーを自称する米国が全人類共通の災難を前に他国を助けられないだけでなく、いかなる国も米国に援助や寄付を積極的に申し出ていない。感染が米国の世紀を終わらせたことに議論の余地はない」
政府の機関紙が右のコラムを掲載したことは、少なくとも習近平国家主席も同様の認識だということか。
王氏は次のようにも書いた。
「瀕死の米帝国にとって最も気がかりな国際的ライバルが中国だ」
これこそ中国人の視点だ。マイケル・ピルズベリー氏が『China2049』で明らかにしたのは、米国は基本的に善意で中国を支援してきたということだ。もっと言えば日本よりも中国を信頼し、重視するのが米国のアジア外交だった。米国は数年前まで、中国が豊かになれるところまで自分たちが支援してやれば、彼らはやがて米国のような開かれた民主的な国になると、本気で信じていた。中国が米国を最大の敵と見做してきたのとは対照的に、米国は中国との関係を楽観視していたのだ。
環球時報が報じるのは王氏のような単なる敵意に満ちた主張だけではない。昨年6月、中国共産党のシンクタンク、社会科学院のガオ・リンウェン氏が「米国に適確に反撃せよ」と題して投稿した。米国が中国のサプライチェーンに依存している産業分野を注意深く洗い出し、米国経済の最も弱いところを拳で続けざまに打って締め上げよという戦略論だ。今回の武漢ウイルス襲来で明らかになったサプライチェーン問題で、ガオ発言が現実になった感がある。
マスクを巡る争い
中国の攻勢は多様な形をとる。武漢ウイルスとの戦いで政治的難局に直面している欧米諸国に、中国は巧みな善意外交を展開する。そのひとつが医療・医薬品の提供だ。
たとえばマスクを巡る欧米諸国の争いの渦の中で、中国政府は「コロナウイルスを克服した」大国として世界約100以上の国々に医薬品援助を公約した。4月5日、ニューヨーク州には早速マスク100万枚、医療用マスク10万枚、人工呼吸器1000台等が届けられた。クオモ同州知事は心からの謝意を表明し、CNNはこれを「米国の命運は中国に握られている」と報じた。
中国に握られているのは大統領選挙を11月に控えるトランプ氏の命運でもあろう。当初ウイルス問題を楽観的にとらえていたトランプ氏は、世界最悪となった米国の悲劇の前で、再選への道として、➀ウイルスとの戦いを制すること、➁米国経済、とりわけ支持基盤の農民や労働者層のために経済の回復を急がなければならないと考えている。明らかに中国はそこを見逃さなかった。
3月27日、米側の要請で実現したとされる米中首脳電話会談以降、トランプ氏の対中政策は融和策に傾いたのかと思わせる兆候がある。
わかり易い事例がトランプ氏の言葉遣いだ。氏は新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼んでいたが、会談後は、「コロナウイルス」と変えた。
米国の感染者が中国の感染者数を上回ったことが公式に確認されたタイミングで行われた電話会談で、習氏は米中の協力の必要性を説き、中国の惜しみない情報提供と援助を申し出た。トランプ氏は直後に「(中国に)多大なる尊敬を!」とツイッター発信した。トランプ氏が再選のために中国の力を追い風として利用する可能性さえ、私達は見ておかねばならないだろう。
米国内の対中政策には以前から、二つの大きな流れがある。中国に対して安全保障問題で譲ってはならないとする対中原理原則擁護派と、中国と折り合って経済運営をスムーズに運びたいという対中融和派である。融和派と書いたが、彼らは中国と折り合いながらも自由貿易の価値観を捨てたわけではない。
極めて大雑把に言って、前者にはポンペオ国務長官、オブライエン、ナバロ両大統領補佐官、ポッティンジャー大統領副補佐官らがおり、後者にはムニューシン財務長官、クドロー国家経済会議委員長らに加えて、大統領の長女イヴァンカ氏の夫のクシュナー氏らがいる。
米国の敗北
この二つの勢力の力のせめぎ合いが、ウイルス問題への対処にも影響を及ぼしている。ポッティンジャー氏らは中国由来のウイルス禍の情報を得た昨年12月下旬、中国からの入国を即禁止するよう提言したが、経済への悪影響を心配するムニューシン、クドロー両氏らの反対で結論を出せなかったと、ロイター通信が伝えている。
トランプ政権発表の数字によると、その間、毎日1万4000人の中国人が米国に流入、ウイルスを広げていったという。
新型コロナウイルス発生の地を巡って、米中間で険しい感情的対立が続いていた間、ムニューシン、クドロー両氏は国内経済対策の立案に集中し、トランプ氏の対中政策は強硬派によって担われていたという。
他方で、クシュナー氏が中国側と交渉して大量の医療品が米国に届き、首脳の電話会談が行われ、それによって流れが変わりつつあるというのだ。
元々、トランプ氏の対中観は戦略というより戦術次元から生まれているといってよいだろう。氏の主な対中要求は、中国は米国から輸入せよ、とりわけ農産物を買うべしというものだ。コロナウイルス騒動の最中でも、中国による米国産トウモロコシや小麦の輸入量を週毎の統計でチェックしているとされるトランプ氏にとって、最重要課題は米国の実利につながる貿易関係を維持することであろう。だが眼前の利益を重視する余り、対中宥和策に米国が走るとしたら、それは米国の敗北を意味しかねず、日本にとっては悪夢そのものだ。
ムニューシン、クドロー両氏の考えの中には少なくとも、中国による知的財産の窃盗、先進技術の強制的移動、国有企業への不公平な優遇策などは許さないという原理原則へのこだわりがある。トランプ政権を支える人々の多様な考え方の中で大統領自身の軸足がどこに落ち着くのか。誰にも見通せない。米中関係は文字どおり世界秩序の形を規定する。トランプ大統領の揺らぎこそ、日本にとって最大の懸案である。