「 皆で映画「Fukushima50」を観よう 」
『週刊新潮』 2020年2月6日号
日本ルネッサンス 第887回
週末、東京・千代田区の東京国際フォーラムで福島の原発事故を描いた映画「Fukushima50」のワールドプレミアがあった。
1000年に一度と言われたマグニチュード9の大地震とそれに続く大津波に襲われた東京電力福島第一原発(イチエフ)を守ろうと、現場がどのように戦ったかを描いた作品だ。東電本社のエリート社員と現地採用の職員が心をひとつにし、原発を守るという使命を果たし、古里と日本を守ろうと、命を賭けて挑んだ戦いの記録である。
広い会場には多くのメディアが詰めかけ、200倍の応募で客席も満杯だった。上映に先立ち、バイオリニストの五嶋龍氏らがフルオーケストラをバックにテーマ曲を演奏した。世界に名を馳せる五嶋氏を招いた映画製作の主、角川歴彦氏の思い入れの深さを感じとった。原作者の門田隆将氏がポツンとつぶやいた。
「すごいことになっている……」
門田氏は『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)でイチエフの男たち、女たち、その家族の思いと行動を忠実に再現した。巨大原発が人間のコントロールの枠を突き抜けて暴走しようとする。その暴走を止めるために、現場は一体となった。究極の場面でイチエフの所長、吉田昌郎も中央制御室の長、伊崎利夫も、共に死んでくれる人々の顔を思い浮かべた。彼らは他者のために自分を犠牲にすることを誇り高く選び取り、そのとおり行動した。
だからこそ世界は最後の最後まで現場に踏みとどまった50人を「フクシマフィフティ」と呼んで敬意を払った。門田氏が描いたのはそうした日本人の精神だ。
五嶋氏の演奏、主演の佐藤浩市、渡辺謙両氏ら俳優の挨拶に続いて映画が始まったとき、私の中に思いがけない身体反応が起きた。それは冒頭でいきなり地震の場面が登場したときだ。物理的に体が動いてしまったのだ。胸が苦しい。私は知らず知らず、拳をギュッと握りしめていた。あのとき東京で大変な揺れを感じたのは確かだが、福島や宮城や岩手や震源地に近い所にいた人たちの受けた衝撃とは似ても似つかぬものだったはずだ。なのにこの身体反応だ。ならば現地の人たちはこの映画をどのように受けとめるのだろうか。
「誠実で立派な日本人」
3.11以来、ずっと交流を続けている福島県広野町の西本由美子さんが語った。彼女は身ひとつで避難させられたが、その後、いち早く自宅に戻り古里再建に取り組んだ。
「震災から今年で10年目に入りますが、いまだに3月11日午後になると、2011年の3月11日に戻ってしまう。100インチのテレビが倒れ、小皿が飛び交い、慌てて外に出ると隣家の瓦が飛んできた。砂が強風に巻き上げられて灰色の嵐が吹きすさんでいた。私はただ地べたに這いつくばった。その光景がよみがえってくる。だからあれ以来私はずっと、3月11日はどこにもいかずに自宅にいます。この映画もまだ恐くて見ていません」
それでも西本さんは映画が事実を忠実に見せてくれるのを期待する。
「一人一人の知っていること、体験は限られています。そうした体験と証言、思いをまとめて、私たちがしたことは何だったのか、良いことも悪いことも含めて記録に残す作品であってほしいと思います」
そうした視点に立つと今更ながら当時の民主党政権、菅直人首相、枝野幸男官房長官らの「罪」が際立つ。他方、門田氏は語る。
「映画は原発への賛否、政治的立場から離れて作っています。私が本当に知ってほしいのは現場の人々がどれ程誠実で立派な日本人だったかということです。家族への愛情、古里への愛と共に、自分の仕事への使命感と誇りゆえです。地元採用のいわば名もなき人々が、東電本社からの所長と一緒にいかに勇敢に責任を果たしたか。そのことを知らずして、この事故を語ることは許されません」
勇敢に戦ったフクシマフィフティを、世界は英雄として讃えた。それをしかし、朝日新聞は「命令に違反して逃げた」と非難した。その非難が全くの虚偽だったのは周知のとおりだ。
だがもっと悪いのは首相の菅氏だった。映画では佐野史郎氏が首相の役を演じたが、未曾有の大危機の中で現場の事情に全く配慮せず、自身の能力を過信して次々と無理難題を突きつけた愚かな人物だ。彼が現場を視察したタイミングが原発の制御に如何に大事な時間帯であったか。その前後の様子は何時何分まで正確に刻まれて描かれており、これは永遠に記録として、また人々の心の中に記憶として残るだろう。
大震災から10年目
門田氏らは作品作りで原発の賛否、政治への批判を焦点にしないように注意を払ったが、事実が菅氏や枝野氏まで含めてその罪を雄弁に語っているのだ。西本さんが強調した。
「福島県人として実感するのは菅さん、枝野さんたちの政策がどれ程私たちの生活を、今も路頭に迷わせているかということです。民主党政権は原発のことも、事故への対応も、その後の復興策もわかっていない人たちです。ならば学ばなければならない。にも拘わらず、彼らは学びもしなかった」
西本さんの厳しい批判は自民党にも向けられる。自民党は民主党政権の後始末の一端として、これからの日本の原発政策をどうしたいのか、はっきり説明し方針を示すべき立場であるにも拘わらず、それをしていないからである。
「Fukushima50」の試写は福島から始まった。多くの地元の人が見た。映画に登場する「福島民友」の記者はいま、県会議員になっている。西本さんは県議となった元記者や、その家族の皆さん、試写会場に出向いた友人たちと語り合った。
「皆、言っていました。自分たちの知る限り、事実は正確だ、と」
西本さんは大震災から10年目に入る今年、もう少し強くなりたいと願っている。これまで3月11日は家に閉じこもってきたが、今年からその日の午後を普通に暮らせるようになりたいという。そしてようやく映画を見に行く気になった。
私は映画を見ながら泣いた。左隣の男の人も右隣の男の人も泣いていた。立派な日本人の精神に触れさせてもらったからだ。フクシマフィフティは朝日が言うように逃げたのではない。菅氏がなじったように逃げようとしたわけではない。立派に戦った人々である。そのことを世界にわかってもらうためにこの映画はある。角川氏が嬉しそうに語った。
「世界73か国の上映が決まりました」
世界の多くの人々に見てほしい。その前に多くの日本人に見てほしい映画だった。もうひとつ言えば、原作『死の淵を見た男』を一読するのもよい。