「 新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く 」
『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278
「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指しておられる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。
そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学である。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となることが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違があるのではないか。
そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の一部である。
東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれた。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。
昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問われた昭和天皇は、以下のように答えられた。
「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生も)平等にすべて今も尊敬しています」
帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。
東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推された。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。
白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 国史』、見事な作品である。
昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となったが、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。
上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。
小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。
新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。