「 米国は貫徹できるか、厳しい対中政策 」
『週刊新潮』 2019年2月14日号
日本ルネッサンス 第839回
2日間にわたる米中閣僚級貿易協議が終わった1月31日、トランプ米大統領は中国代表団を率いる劉鶴副首相と会談した。トランプ氏は、「極めて大きな進展があった」とし、中国が米国の大豆500万トンの輸入を約束したことについて「アメリカの農家がとても喜ぶだろう」と上機嫌で語った。
中国による大量のオピオイド系鎮静剤、フェンタニルの密輸出阻止についても、トランプ氏は習近平主席が対策を講じると約束したと、語っている。この約束は、実は昨年12月の米中首脳会談で決めたことだ。酒も煙草も嗜まないといわれるトランプ氏は、習慣性が強く最悪の場合過剰使用で死に至るこの種の薬剤がとても嫌いなのである。
現時点では、トランプ氏の喜びは中国の苦しみだ。今回、米通商代表部のライトハイザー代表がぎりぎりまで詰めた主要事項は、米国の貿易赤字削減、中国による技術移転の強要阻止、同じく中国による知的財産の窃盗の阻止などである。こうした点についての合意を如何に確実に実施するか、そのための監視システムの構築も焦点だった。
トランプ氏が喜んだ大豆は、全体の問題のごく一部にすぎない。現に、米国内では大豆や天然ガス、その他の対中輸出拡大は大きな問題ではなく、「中国製造2025」に代表される中国の産業、技術政策を阻止することこそ大事なのだという意見が強い。
1月31日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、元来アメリカが最も得手とするサービス分野こそ中国におけるシェアを高めるべきだが、そこには厚い障壁があると解説する記事が目についた。金融、保険、エンジニアリング、コンサルティング、ソフトウエアの開発などで中国市場をもっと開かせよというのだ。しかし、フェイスブック、グーグル、ユーチューブなどの苦い体験を思い出せば、これらのサービス分野こそ、中国が最も開放したくないと考えていることは明らかだ。こうした分野でアメリカの要求を受け入れてしまえば、人々の意識も生活も大きく変わりかねない。中国共産党一党支配の崩壊が猛スピードで進む結果になるだろう。
構造的な景気減速
中国人民大学米国研究センター主任の時殷弘(じいんこう)教授が、米側の要求である究極の構造改革やその実行を担保する監視メカニズムは、中国の主権への侵犯や国内秩序への干渉となる可能性が高い、とのコメントを「産経新聞」に寄せていたが、それこそが米国の狙いであり、中国の恐れる点であろう。
米国の対中政策は凄まじく厳しい。貿易に関する米中閣僚級協議開催直前に、米司法省はファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者をニューヨークの連邦大陪審が起訴したと発表し、孟氏の身柄引き渡しをカナダ当局に正式に要請した。
カナダ政府は米国との協定に従って要請に応じざるを得ないであろう。孟氏が米国に引き渡された場合、彼女は最高で60年の刑を受ける可能性があると、福井県立大学教授の島田洋一氏は語る。
「米国当局は長期刑をチラつかせながら、孟氏にファーウェイと中国共産党が行ってきた全ての不法行為を自白させようとするでしょう。協力しなければ、彼女は100歳をすぎてもまだアメリカの刑務所に入れられていることになりかねません。協力すれば、彼女と彼女の息子のために、一生米国で安全に暮らせる環境も、そのための資金も用意するでしょう。アメリカはなんとしても中国に5G(第5世代移動通信システム)の分野で主導権を取られたくないのです」
孟氏のケースは、米中間で進行する貿易交渉と同じく、否、それ以上に深刻な問題だと、島田氏は強調する。いま、米国は貿易、軍事、人権、外交などで中国締め上げに力を注いでいる。米中の戦いで中国に勝ち目はあるのか。
中国経済の2018年の成長率は6.6%と発表された。28年ぶりの低い伸びだと発表されたが、実はもっと低く1.67%だったという資料もあると、人民大学国際通貨研究所副所長の向松祚(こうしょうそ)氏が指摘している。向氏は別の試算方法ではGDPはマイナス成長になるとの見解さえ示している。
向氏の言を俟たずとも中国の統計の信頼性の低さは余りにも有名で、中国経済が公式発表の数字よりもはるかに深刻な低成長に落ちていることは十分に考えられる。
中国のGDPの約25%を生み出す不動産業界の不況も甚しい。去年1年間で、大手不動産会社は住宅価格を30%といわれる幅で引き下げたという。今年もかなりの値下げが懸念されており、銀行は大量の不良債権を抱え込んでいる。地方政府は過剰債務に陥っており、中小企業にはお金が回らない。構造的な景気減速に入ってしまっているが、打つ手がないのが中国経済だ。
四面楚歌の中国
国内経済の減速に加えて、対外事業としての一帯一路への信頼を、中国はすでに失ってしまった。債務の罠のカラクリは見破られ、中国と協力したいという国はなくなりつつある。国際戦略の専門家、田久保忠衛氏が「言論テレビ」で語った。
「中曽根康弘氏の名言ですが、外交で大切なことは筋を通すとか通さないということではなく、国際世論を敵にしないことだというのです。いまの中国は世界のほぼすべての国を敵に回しています」
中国が他国の領土を奪う手法は債務の罠だけではない。南シナ海での振る舞いが示しているのは、中国は軍事力の行使もためらわないということだ。世界はこのことをすでに十分理解した。だからこそ、米国の「航行の自由」作戦に、英国とフランスは、昨年夏から合流し始めた。
まさに四面楚歌の中国である。このままいけば、米国は中国の横暴を止めるだろう。だが、物事はそれ程うまくいかないかもしれない。最大の不安要因がトランプ氏である。
1月31日、トランプ氏の中東政策に共和党上院議員、53名中43名という圧倒的多数が反対した。シリアからひと月以内に撤退すると、トランプ氏が唐突に言い出し、反対したマティス国防長官の更迭を発表したのが昨年末だった。状況不利と見たのであろう。トランプ氏は、メラニア夫人を伴って突然イラクを訪れ、米軍関係者を慰問した。撤退時期などで多少、軌道修正をはかったとしても、シリア及びアフガニスタンからの撤退という基本方針は変えないと見られている。
イラクからの早すぎる撤退で失敗したのがオバマ大統領だった。トランプ大統領も同じ轍を踏みかけている。それは中東の混乱を増大させ、トランプ氏の政治基盤を崩しかねない。そのとき、笑うのは中国であり、世界は本当の危機に陥る。