「 改憲案の提示が国民主権の一丁目一番地 国会は国民に投票の機会を与えるべきだ 」
『週刊ダイヤモンド』 2018年11月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1255
臨時国会は10月24日に始まったばかりだが、その様子を見ていて、政党も国会議員も現実を見ていない、余りに無責任だと、腹立たしい思いになる。とりわけ焦眉の急である憲法改正について、なぜ、こうも無責任でいられるのか。
国際情勢の厳しさは、日本よ、急ぎ自力をつけよと警告している。国民、国家、国土は自国が守るという原点を思い出せと告げている。国民の命や安全に責任をもつべきは政府であるにも拘わらず、日本国政府には国民、国家を守る有効な手段を取ることができにくい。国の交戦権さえ認めない恐らく世界でたったひとつの、変な憲法ゆえである。
憲法改正を急ぐべしと問題提起を続けているのは、安倍晋三首相ばかりのように見える。首相は、「自民党の憲法改正案をこの臨時国会に提出できるように取りまとめを加速すべきだ」と幾度となく旗を振ってきたが、周りの動きはなぜかにぶい。
首相は繰り返し語っている。憲法改正は国会が決めるのではない。最終的に国民が決める、と。そのとおりだ。日本国憲法の三大原則は「平和主義」「人権尊重」「国民主権」である。国士舘大学特任教授の百地章氏は、「現行憲法で唯一、具体的に国民主権を発揮できる場は憲法改正のための国民投票だけです」と指摘する。
主権を行使する機会は、国会が憲法改正を提示(発議)して国民投票に踏み切るとき、初めて、国民に与えられる。国会が国民に改憲案を提示しなければ何も始まらない。改憲案を国民に示すことが、主権が国民にあることを証す1丁目1番地なのである。
だが、公明党はこう語っている。
「国民の関心は高まっているが、具体的にどう改正するか議論は熟していない。衆参両院の憲法審査会で議論を活性化し、与野党で幅広い合意を作る。その過程で国民的コンセンサスを作らなければならない」(井上義久副代表)
憲法調査会が2000年に設置され、07年に憲法改正の原案作成を任務とする憲法審査会ができた。憲法改正作業は約20年も続いているのだ。公明党は議論は熟していないというが、この20年間、一体政治家として何をしてきたのか。少なくとも自民、公明の間では議論は核心に触れるところまで熟しているではないか。
そもそも公明党は国民をバカにしているのではないか。安倍首相が提唱した9条1項と2項を維持したまま、自衛隊を憲法に書き込む案は公明党の案だった。
公明党が「加憲」を言い出したのは04年だ。10年後、彼らは「自衛隊の存在を明記」する加憲案を公約とした。安倍首相が17年5月に提唱した、自衛隊を憲法に書き込むという案は、再度強調するが、公明党の案そのものである。
公明党案を自民党が取り入れたのである。なぜ公明党はそこから議論を進めないのか。なぜまだ時期尚早だなどというのか。
公明党は驕っていないか。憲法改正が必要か否かは政治家が決める。国民には問わないし、決定もさせない。政治家の判断力が国民の判断力より優れており、国民に判断を任せることはしない、とでも考えているのではないか。このような国民不信の極みともいえる尊大さを、公明党の姿勢に見て取るのは間違いだろうか。
安倍首相が繰り返し指摘しているように、憲法改正は通常の法律改正とは異なる。法律は国民の代表である政治家が国会で議論して決める。憲法は国会が発議し、国民が投票で決定する。私たちは戦後一度も、国の基(もとい)である憲法について意思表示する権利を行使し得ていない。国会がその機会を奪い続けてきたからだ。しかし、いま、国会は国民を信じて発議し、国民に決定させるべきだ。