「 柿の実をいかにハクビシンから守るか 臭いで撃退も小鳥が去って思案の日々 」
週刊ダイヤモンド 2018年11月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1253
庭のまん中あたりまで張り出している柿の木の枝にとまって、その小動物は、じっと私の方を見た。丸い大きなヌレヌレとした黒い瞳。鼻スジが白くスーッと通っている。かわいらしい顔だ。図鑑で確かめたらハクビシンだとわかった。これが彼と私の初めての出会い、柿の実が食べ頃に熟す丁度去年の秋のことだった。
その秋、何年か前に兄と植えた柿の木が初めて実をつけた。兄は亡くなり、私は柿の木を見ると朗らかだった兄のことを想い出す。柿は春に沢山の花をつける。枝々にくちゅくちゅとした若葉のかたまりのような芽が出るが、それを私は柿の花だと心得ている。それはすぐに実になるのだ。しかし、雨に打たれ風に吹かれて、小さな実はポロポロと落ちてしまう。昨年、枝に残って赤ちゃんの拳ほどの小さな、しっかりした実にまで成長したのは、数えてみると23個もあった。
私は毎日、書斎の窓から柿の実の成長を眺めて暮らした。もう少し大きく、そして甘くなったら、ひとつふたつもいで、兄に供え、ひとつふたつは母と私がたのしんで、あとは庭にやってくる小鳥たちについばんでもらおうと心づもりしていた。
ところが或る朝、葉も実も無残に食いちぎられてひどいことになっていた。踏みつけられたような葉が地面一杯に散らばり、かじられた実があちこちに放り投げられている。辛うじて枝に残った実には、鋭い爪で引っ掻いた跡がある。犯人はハクビシンに違いない。そういえば彼には鋭い爪があった。私はその年の柿の収穫を諦めざるを得なかった。
そんなことがあった後、夕暮れ時、家の北側を通る電線を器用に渡っていく小動物の姿を見た。日が暮れてはっきりとは見えないが、見事な技だ。1本の電線の上を難なく渡っていくのである。猫にできる芸当ではあるまい。大きな尾でバランスを取っていたから、ハクビシンに違いない。あの身軽さで木の枝々の、その先端になっている実を取ったのであろう。私はそのときから、次のシーズン、つまり1年後に柿の実をどのようにしてハクビシンの襲撃から守るかを考え始めた。
ハクビシン騒動はその後も続いた。わが家のお隣りには稲荷神社さんがいらっしゃる。それが大変なことになってしまった。屋根に小さな穴があけられて、ハクビシンがそこから屋根裏に出入りしていたのだ。神社さんはすぐにこの穴を塞いだが、ちょっと油断すると人家にも入ってくるらしい。かわいらしい顔で思わず魅了されるが、一定の距離を保った方がよさそうだ。しかし、人間の暮らすところには必ず食糧がある。都会に棲みついた小動物ときっかり区画を分けて住むこと自体が難しいのかもしれない。
今年もまた柿が実をつけた。そこで調べるとハクビシンを罠にかけて捕獲する専門家がいた。費用は10万円、とらえて処分するという。そうではなく、他によい手はないのだろうか。
さらに調べると、あった。唐辛子やニンニクなどありとあらゆる強烈な臭いを混ぜ合わせたような液体を塗り込んだ大きな赤い札を木の枝に下げるのである。費用は3000円。ハクビシンはこの臭いと赤い色が嫌いだそうだ。その赤い札を三枚、枝々に下げてみた。効果はてきめんだった。
書斎の窓から庭を眺め、シメシメ、ハクビシンはこの臭いで撃退したぞ、と思いながら原稿を書いていて、気がついた。小鳥の謳う声がきこえない。水浴びする愛らしい姿も見えない。1羽も来ていない。庭全体が静まりかえっている。こんなことは、わが家ではついぞなかった。原因は強烈な臭いを発散するあの赤い札に違いない。
私はどうすべきか。兄の想い出である柿の木とその実を守るのか、赤い札を外して小鳥たちをまたこの庭に招き入れるのか。思案の日々が続いている。