「 騙されるな、金正恩の瀬戸際外交 」
『週刊新潮』 2018年3月22日号
日本ルネッサンス 第795回
ドナルド・トランプ、金正恩、文在寅——3人のユニークな国家指導者が繰り広げる外交が米朝首脳会談に結びつき、朝鮮半島情勢が安定するとは思えない。
3人の共通項は、早急に大きな果実を手にしたいという思惑だ。トランプ大統領は秋の中間選挙を前に低いままの支持率を押し上げたい。
金朝鮮労働党委員長の足下では高齢者や子供たちの中から餓死者が出始めている。正恩氏は困窮した経済を脱して生き残らなければならない。
文大統領は国民がその危険に気づく前に1日も早く憲法を改正し、韓国を社会主義化してしまいたい。
三者三様の思惑が、急展開する外交の背景にある。3月5日、文大統領の特使団として北朝鮮を訪れた鄭義溶国家安保室長及び徐薫国家情報院長は、翌日韓国に戻り、北朝鮮の体制の安全が保障されれば核を保有する理由はないという正恩氏の伝言を発表した。正恩氏はトランプ氏に「出来るだけ早く会いたい」とも伝えてきたという。
鄭氏らは南北会談の内容を報告するために8日午前、ワシントンに到着、午後にはホワイトハウスに招かれた。鄭氏はマクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官に、徐氏はハスペルCIA副長官に直接報告した。
その後、右の4人にペンス副大統領、マティス国防長官、コーツ国家情報長官、ダンフォード統合参謀本部議長、ケリー首席補佐官が合流、在米韓国大使も参加した。
鄭氏らはトランプ大統領とは翌日、会談する予定だったが、韓国代表団がホワイトハウスにいると知った大統領が待ちきれずに彼らを執務室に招き入れた。
米朝首脳会談を望んでいるとの正恩氏の申し入れなどについて、トランプ氏はすでにCIA情報で把握していたと「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)紙などが報じた。
外交素人のトランプ氏
トランプ氏は実は、韓国代表団がワシントンに到着する8日午前よりも前の段階で、正恩氏の提案についてティラーソン国務長官に電話で伝えていた。但し、最も重要なこと、正恩氏との首脳会談に応じるという結論は、伝えていない。そのかわりに同日午後5時8分に「会談を計画中だ!」とツイッターで発信したのである。外交を担うティラーソン氏はどんな気持だったろうか。
さて、大統領執務室に招かれた鄭氏らはどうなったか。鄭氏の説明を聞くや否や、トランプ氏は正恩氏に4月にも会うと答えた。慌てたのは鄭氏である。文大統領の先を越されては困る。そこで南北会談の後がよい、5月だということになった。
これだけでも前代未聞の即断即決、大国外交にあるまじき異常事態だが異常はまだ続いた。トランプ氏は、米朝首脳会談実現へというニュースを、そのまま、ホワイトハウスで発表することを提案したそうだ。
その性急さに驚いた鄭氏は、マクマスター補佐官の部屋に急ぎ、発表文作成の共同作業に入った。それから、盗聴されない電話で、恐らく就寝中だった文大統領に連絡して事の推移を説明し、了承を得たという(NYT紙)。
その間にトランプ氏は何をしたか。普段は「フェイクニュースだ!」と忌み嫌っているメディア各社が控える記者会見室に自ら足を運び、「鼻高々」でこう予告した。
「間もなく重要発表があるぜ」
ティラーソン国務長官、マティス国防長官、マクマスター補佐官、ケリー首席補佐官らトランプ氏の側近はいずれも、正恩氏からの首脳会談申し入れへの対応について事前に大統領から意見を聞かれたりしていない。中国が背後に控える北朝鮮政策で、アメリカは国家戦略を練るまでもなく外交素人のトランプ氏の気まぐれに任せるしかないのか。
韓国政府代表団がホワイトハウスの会見室で発表することについても異論が出た。結果として記者会見室ではなく、ホワイトハウスの敷地内の道路上で青空会見を開くことになった。それでも、韓国政府要人が重要な外交政策に関して、トランプ大統領の決定を発表した点において、同会見は歴史に残る異例のものだった。
トランプ氏の決断の危うさは、しかし、翌日には早くも明らかにされた。サンダース報道官が、米朝首脳会談開催には前提条件がある、「金正恩氏が非核化の具体的かつ検証可能な行動をとらない限り、大統領は会わない」と発表したのだ。前日の大統領発言を否定したのである。
9日午後の同会見では、トランプ氏の決断についての質問が繰り返された。正恩氏の非核化の約束など信じられるのか、拘束されているアメリカ人3人を取り戻すことも要求せず、なぜ会うのか、2か月の準備期間で正恩氏の約束履行を確認できるのか、大統領は記者会見室ですごいニュースを発表すると言ったが、中国など関係諸国に通知する前にマスコミに発表してよいのか。
北朝鮮の狙い
ホワイトハウスも国防総省も突然の発表に驚いている、彼らはマスコミ報道で大統領の決断を知った、そのような外交は危険ではないか、などと、質問は果てしなく続いた。
サンダース氏は、北朝鮮の核廃棄など具体的行動があって、初めて首脳会談が行われる、具体的行動なくして首脳会談はないと繰り返した。
トランプ氏は恐らく米朝外交の詳しい歴史も複雑な内容も、北朝鮮の嘘にまみれた厚かましい外交手法も、十分に知らないに違いない。「ぶれずに圧力をかけたのは自分だ。自分に正恩氏はかなわない」と過信しているのではないか。圧力の効果はそのとおりだが、それでも余りにも拙速なトランプ外交への揺り戻しが政権内から出たに違いない。
北朝鮮の主張する非核化と、日本やアメリカが主張してきた非核化は、言葉は同じでも意味は全く異なる。
日米を含む世界が主張する非核化は北朝鮮の保有する全核物質、核関連施設、核兵器開発計画そのものを、「完全に」「検証可能な」「不可逆的な」方法で「解体」するというものだ。これは通常「CVID」(Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)と呼ばれる。
他方、北朝鮮の主張する非核化は「自衛用の北朝鮮の核を廃棄する前に、北朝鮮に核武装を迫った原因、つまりアメリカの核の脅威を取り除くことが必要だ。アメリカが朝鮮半島から核を撤去すれば北朝鮮も核を放棄する。結果として、朝鮮半島の非核化が実現する」というものだ。
北朝鮮の主張はさらに続く可能性もある。たとえば、朝鮮半島に核を置かなくても、ミサイルに搭載して攻撃できる。それを確実に避けるために、米韓同盟も解消して米軍は撤退してほしいというようなことだ。とどのつまり、北朝鮮の狙いは米韓や日米の切り離しであることを忘れてはならない。