「 米でも絶賛の中国の要人が豹変 国家間で求められる国益の視点 」
『週刊ダイヤモンド』 2016年7月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1141
中国の要人に戴秉国(たい・へいこく)という人物がいる。胡錦濤前政権の外交トップを務めた実力者である。彼の前では外務大臣の王毅氏など、小僧っ子のような存在である。
米国をはじめとする世界が戴氏をどれほど重視していたかは、ヒラリー・クリントン氏が2014年に出版した回顧録『Hard Choices(困難な選択)』からも見えてくる。
同書には日本関連の記述はほとんど見当たらない。むしろ韓国に関する記述の方が多いほどに、日本は忘れ去られ、申し訳程度に登場するのみだ。対照的なのが中国である。中国については2つの章にわたって詳細に記されており、どの文章にもどの段落にも、クリントン氏の熱い思いが溢れている。
09年早春、クリントン氏は、国務長官として、初の外遊先に日本を選んだ。わが国には22時間滞在したが、日米対話は上滑りするばかりで成果はなかった。彼女の関心が日本にはなかったからである。ところが、日本の後に訪れた中国で彼女は、丸4日を過ごした。そのときに出会ったのが戴氏である。
一言で言えば彼は彼女の心をつかんだのだ。クリントン氏の中国への入れ込みの強さは、Dai Bingguo、つまり戴秉国氏への彼女の個人的な思い入れの強さそのものだといってよい。クリントン氏はこう書いている。
「会った瞬間から会話が弾んだ。われわれは(その後)何年にもわたって、会話を重ねた。彼は私に度々講義(lecture)をするのだった。いかに米国のアジア政策が間違っているか、彼は皮肉をちりばめながら、しかし、穏やかな笑顔を忘れずに語る」
世界最強国の国務長官が、戴氏の米国批判に熱心に耳を傾ける姿が浮かんでくる。ある日の会話では、戴氏が胸から一葉の写真を取り出して見せた。小さなかわいい女の子の写真である。恐らく戴氏の孫であろう。
「われわれの仕事は全てこの子たちのためですよ」と戴氏が語った。
クリントン氏は「彼の心情はそのまま私の心情でもあった」と述懐する。
戴氏がクリントン氏の未来世代にかける「情熱を共有」したことが、2人の関係が長く太く続いたことの基本だったとクリントン氏は書いている。
健康維持のための運動と長時間の散歩を戴氏に勧められてまんざらでもない彼女の姿勢は、彼に対する親近感の表れでもあろう。
ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も戴氏についてクリントン氏に申し送りしていた。キッシンジャー氏は「中国で会った人物の中で恐らく最も素晴らしく、かつ開明的人物」だと戴氏について語り、その識見の深さと、中国政界における氏の重要性を強調したという。
米国要人に絶賛された戴氏はしかし、豹変した。7月5日、氏は米ワシントンで講演し、南シナ海領有権問題に関してオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が12日に下す裁定は「ただの紙くずだ」と語った。
中国外務省が公開した資料では、氏は次のようにも語っている。
「仲裁裁判所の決定は何も重大なことではない」「いかなる国家も中国に対し、裁定に従うよう強制してはならない」「フィリピンが挑発的な行動を取れば、中国は決して座視しない」
キッシンジャー氏が「最も開明的」な人物と呼び、クリントン氏が「会った瞬間から会話が弾んだ」人物は、激しい対米発言もしている。
「たとえ10隻の空母戦闘群全てを南シナ海に派遣しても、中国人を脅かすことはできない」
国家間の関係の前には個人的友情や好意など、残念ながら、木っ端みじんに吹き飛ぶのだ。永遠なのは国益だけである。国益実現のための冷静な見方のできる国にならなければ生き残っていけないとつくづく、思う。