「 成功果たした中小企業の“親父”が教えるアジア諸国との上手な付き合い方 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年12月26日・2016年1月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1114
創業から70年、正社員59人、週4日で1日5時間勤務のパート社員45人の伊藤製作所が、日本的中小企業経営で世界に羽ばたいている。環太平洋経済連携協定(TPP)の時代に入ったいま、最も大きな成長が見込まれるのが独自技術を持つ中小企業だ。伊藤製作所の成功は、他の中小企業を成長に導く貴重なヒントになるだろう。
同社は金型製造会社である。代表取締役社長の伊藤澄夫氏は1995年にフィリピンのマニラに、2013年にインドネシアに進出した。大成功の鍵は日本の中小企業の経営方式を大事にすること、その心は「会社は家族」だという。
フィリピンもインドネシアもかつて日本軍が進出した国々だ。中国は2年後にユネスコの世界記憶遺産に「性奴隷としての慰安婦」を登録すべく準備中だが、中国単独の申請ではなく「日本軍の犠牲になった」国々との共同提案にすることをすでに明らかにしている。韓国に加えてフィリピンやインドネシアが対象に含まれている。
伊藤氏もこの歴史的背景、日本の敗戦直後、とりわけフィリピンには強い反日感情があったことを忘れてはならないと強調する。それがいま、最も親日的な国になっていることに、日本人として感謝することの大切さも説いている。
95年のフィリピン進出は、かつての戦争で傷つけた人々の子孫の幾人かを幸せにしてやりたいとの思いもあったと、氏は著書『ニッポンのスゴい親父力経営』(日経BP社)に書いている。
だが、最初からうまくいったわけではない。マニラ進出当初は中国系企業との合弁事業だった。社長は中国系フィリピン人で、社員を「上から目線で厳しく」指導した。02年、会社が50キロメートルも離れた輸出加工区に移転することになったとき、社員の7割が辞めると言いだした。その他の事情もあり、相手が合弁の解消を申し入れてきたとき、大きな変化が起こったのだ。
「日本企業独資となったことが分かるや、ほぼ全社員が新会社で働きたいと申し出てきたのです」「400年以上にわたる植民地支配で虐げられた彼らには、優しいボスが必要なのだなと感じました」と、伊藤氏は振り返る。
こうして、伊藤氏は「日本の親父」としての経営方式を確立していった。氏は日本の中小企業の強さを五点に集約する。(1)社員全員が会社と仕事を愛し離職率が少ない、(2)チームワークが良く、後輩の指導が好き、(3)良い製品を作ることを生きがいにしている社員が圧倒的に多い、(4)日本刀、奈良の大仏様、ゼロ戦や戦艦大和、新幹線などモノづくりへの誇りをしっかり持っている、(5)もったいないの精神を忘れない、である。
この5点の実践を、フィリピンでもインドネシアでも伊藤氏は目標とした。具体的にどうするのかを知りたいと読者の皆さんは思うに違いない。1つだけその心意気の例を示そう。
インドネシア進出を、当初、伊藤氏は考えていなかった。現地のアルマダ社から合弁を申し込まれたとき、丁重に断った。ところがアルマダ社のCEOは直談判のため、子息を連れて突然来日した。伊藤氏は名古屋駅前の一流ホテルのスイートルームを確保し、一行の滞在費を全額負担した。
「合弁を進めるなら相手の負担でよいが、お断りするのなら、相手に恥をかかせず、丁重に扱う。これが日本の中小企業の親父のやり方」と伊藤氏。
感銘を受けたCEOの合弁への思いは強まり、働き掛けは、伊藤氏がインドネシア進出を決意するまでさらに7カ月も続いた。財閥の当主であるこのCEOは、破格の好条件で伊藤製作所を迎えた。日本人の誠実さと技術力、教え惜しみせず、共栄を喜びとする真の優しさ、これこそ中国が最も恐れる日本の強さであろう。