「 中国の脅威による「変化」は日本の好機 」
『週刊新潮』 2015年1月15日号
「日本ルネッサンス」 第638回
昨年暮れ、シンクタンク「国家基本問題研究所」の主催で「戦後70年――国際政治の地殻変動にどう対処するか」と題したシンポジウムを行った。日米中印4か国の論者が参加する予定だったが、前夜祭前日の夜中、突然、中国から出席を見合わせるとのメールが入った。
さまざまな見方が可能だが、何が起きたのかについては推測の域を出ない。ただ私が直感的に思ったのは、今更ではあるが、自由な言論を愛する人にとって中国とはまことに生きづらい国だということだ。
シンポジウムは非常に充実した内容となった。いま、まさに世界史的大変化が進む中で、米中の動きをどう読み解くべきかについて、速いテンポで熱い討論が交わされ、出色の、充実した内容になったと、掛け値なく思う。
戦後70年、世界がすっかり変わってしまったことをだれもが感じているだろう。日本を取り巻く情勢がかつてないほど厳しく、日本が正しく対処しなければ非常に困難な道に押しやられることも改めて言う必要はないだろう。変化の要因の第1は中国の覇権主義にある。第2は、世界最強国の実力を持ちながら、指導者が世界観と大戦略を欠くゆえに、中国の歴史的挑戦に受け身の対処しかできないアメリカである。
こうした中、アメリカの裏庭、中米での中国の動きが注目されている。12月下旬、ニカラグアで中国系企業が大運河の工事を始めた。太平洋とカリブ海、さらには大西洋をつなぐ総延長280㌔の大運河建設工事には、これまで環境への悪影響をはじめ多くの問題が指摘されてきた。また、最低でも6兆円に上るとされる資金調達についての疑問もある。にも拘らず、中国は2020年、つまり東京オリンピック開催の年までの完成を目指すそうだ。思わず私は幾つかのことを連想した。
大陸国家から海洋国家へ
ひとつは、ニカラグア運河の南東にあるパナマ運河が世界政治にもたらした衝撃である。パナマ運河は、日露戦争に勝利した日本に警戒心を抱いた米大統領、セオドア・ルーズベルトが、親友で当時米海軍大学校校長を務めていたアルフレッド・セイヤー・マハンに命じて日本の勝因を分析させ、将来の対日戦を念頭に工事を進めさせた。
運河が1914年に完成すると、アメリカ海軍は大西洋から一気に太平洋に展開することが可能になった。運河開通が計りしれない地政学的優位をもたらし、アメリカが大英帝国に代わる勢力として、超大国の座へと駆け上がる契機となった。
その近くで、中国がニカラグア運河建設にとりかかったのだ。完成すれば、どれ程のインパクトを世界経済及び軍事バランスに与えることか。
前述のように、運河完成は東京オリンピックの年だという。となれば、1964年の東京オリンピックを思い出す。当時、アジア初のスポーツと友好の祭典の開催国として日本人が喜び祝っているとき、中国人もまた、別の理由で国をあげて祝っていた。彼らは初めての核実験成功という国の偉業をたたえていたのだ。
海ひとつ隔てた彼我の間で、両国民の喜びの理由は全く異なるものだった。70年にも同じようなことがあった。日本人は大阪万博開催を祝い、中国人は日本の全ての基地を射程におさめる中距離ミサイル実験の成功に喜んでいた。
この対比が2020年、2度目の東京オリンピックを祝う日本と、地政学的・戦略的砦としてのニカラグア運河完成を喜ぶ中国という、対照的な姿として再現されるのだろうか。
もうひとつ気になることは、この運河建設をどう見るかである。アメリカに対する中国の大胆な挑戦と見ることも可能だ。しかし、この大計画が果たしてアメリカと何の協力もなしにできるのだろうかと考えざるを得ない。
中国では、ニカラグア運河建設着手とほぼ同時期に、長江の支流の水を1400㌔北に運ぶ、総工費約3・9兆円の南水北調プロジェクトのうち、中央ルートが完成した。自信をつけたであろう中国が将来、マレー半島のタイ、ミャンマー領クラ地峡で運河建設に着手する可能性も忘れてはならない。
このように凄まじく膨張する中国だが、アメリカとの関係は対立だけではない。経済面での相互依存性を見れば、両国は切り離すことのできない関係にある。競合しながらも共存の道から外れない知恵が働くゆえんである。先入観を排して米中の関係を見なければ、日本が孤立することにもなる。
そのうえで最悪のケースを想定してみる。中国がニカラグア運河を完成させ、大西洋と太平洋を我が物顔に往来して、南シナ海を中国の内海とした後、南シナ海とインド洋をも一体化させ、世界の大海に展開する大戦略が現実になることだ。中国が大陸国家から海洋国家へと野心的飛翔を遂げ、21世紀の中華帝国を出現させるとしたら、力強い対抗策をすでに打ち始めていなければならない。
生き残りの必須条件
しかし、オバマ政権にはなす術がないかのようだ。前述の国基研のシンポジウムで、ペンシルバニア大学教授のアーサー・ウォルドロン氏が、米中関係について、1972年2月21日のニクソン・毛沢東会談を引用しながら興味深い一面を指摘した。ニクソンは毛沢東との初会談でこう問うている。
「我々は日本の将来図について考えなければなりません。(中略)日本を完全に防備力のないままに中立国とするのがよいのか、それとも当面アメリカと多少の関係を維持させるのがよいのか」
世界の政治と軍事の枠組みを一変させかねない、日本にとっての重大事を米中で決めようというのだ。このニクソン・毛会談こそ現在、中国がアメリカに執拗に働きかける新型大国関係の原型である。ニクソン発言の7か月前、キッシンジャー大統領補佐官は周恩来首相に、在日米軍は中国向けではなく日本の暴走を抑制し再武装を先送りするためだと語っている。米中両大国に挟まれている日本にとって、両国の思惑を正確に読みとることは生き残りの必須条件である。
利害関係が絡み合う複雑な国際関係を解きほぐして日本の道を切り開くには、常に国益をキーワードにすればよい。国際政治では国益が全てである。だからこそ、不変の国益を前提として関係は変化するのだ。かつて日本を警戒し、軍事力は持たせられないと公言したキッシンジャー氏が、いま、日本は普通の国になれると言い始めた。皮肉な言い方だが、これは中国の脅威のおかげである。
安倍首相も日本も、集団的自衛権を法制化して日米安保体制を強化し、憲法改正に向けての議論を始める時を得たのである。