「 「弱い日本」を望む米国の反日言説 」
『週刊新潮』 2014年12月18日号
日本ルネッサンス第635回
ペリー率いる黒船4隻は砲艦外交でわが国に開国を迫ったが、その後、日米関係はあからさまな敵対関係に陥ることなく基本的に友好関係を維持し、交易を拡大させた。明治38(1905)年、日本が日露戦争に勝ったとき、セオドア・ルーズベルト大統領は日本の勝利を喜び、ポーツマスでの講和条約の交渉を後押しして、ノーベル平和賞を受賞した。
これはしかし、表の出来事である。表の動きと同時進行で、アメリカは対日警戒心を抱き始める。日本を太平洋における仮想敵と位置づけ、いつの日か日米は戦うという前提で、明治39(1906)年には「オレンジ計画」と呼ばれる対日戦争計画を立案した。
同計画は、議会で立法化されたわけでも大統領が署名し正式に承認したわけでもないが、米海軍将校の遺伝子に組み込まれるまで深く研究され、改善を加えられ、完成された。この対日戦争計画が、日本が対米戦争を始める35年も前に作成されたことを見れば、アメリカの戦略の深さを思い知らされる。
日本への強い猜疑心と警戒心から生まれた同計画だったが、実はその発端は日本人への人種差別だったと、エドワード・ミラーの『オレンジ計画─アメリカの対日侵攻50年戦略』(新潮社)に明記されている。
明治24(1891)年から明治39年の間にカリフォルニアに渡った数千人の日本人移民は、白人社会の人種差別を受けた。差別を煽ったのはメディアだったが、とりわけ「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)はその先頭に立った。
たとえば1906年12月16日の紙面には、次のような記述が見える。
・日本人は地味で小柄で褐色で、我々のもとに召使いを送り出す人種だ。
・日本人と中国人とでは、はっきり言って中国人の方が服装にしても一般的な伝統にしてもはるかに好感が持たれている。
・日本人は日露戦争後、並はずれてうぬぼれるようになり、中国人と一緒に住もうとしない。
・アジア人は劣等人種にとどまらなければならず、それが気に入らないのであれば米国に来てはならない(『アメリカの戦争』田久保忠衛、恒文社21)
事実無根の主張
このような偏見と差別思想の報道に世論は刺激され、事態は緊迫した。それがオレンジ計画策定へと米海軍大学の背中を押したと、当の海軍大学資料に書かれている。
それから35年後の日米開戦の原因をNYTの報道に求めるつもりはないが、同紙の報道が日米関係悪化のひとつの要因となったのは確かだろう。さて、その同じ新聞が、今も不条理な対日非難を展開しているのだ。
12月2日、マーティン・ファクラー東京支局長が「戦争の書き直し、日本の右翼が新聞社を攻撃」と題して、一方的な日本叩きを展開した。慰安婦問題での日本国内の朝日新聞批判を「右翼」「超国家主義者」の行動と断定し、植村隆氏を犠牲者として描いた。ファクラー氏は「植村隆が記者として世に出た記事を書いたのは33歳の時だった」「ジャーナリズムから引退し、56歳のいま、彼は右翼政治勢力のターゲットになっている」と同情するのだ。
その上で、「安倍首相とその政治的仲間は朝日の悲劇を待ちに待った好機ととらえ、数万人の韓国などの国々の女性たちを日本軍の性奴隷として強制したという国際社会の定説(の否定)を狙っている」とも主張する。
続いて4日、同紙は朝日批判に対する批判を社説に格上げした。「日本における歴史のごまかし」と題し、「日本の右翼政治勢力が安倍政権に奨励されて」「第二次世界大戦時の恥ずべき歴史を否定する脅迫キャンペーンを展開中」と非難し、安倍首相と日本の右翼が歴史修正を目論んでいると言及した。
NYTは、植村氏が金学順氏の物語を捏造したことも、慰安婦とされる女性たちの証言が根拠を欠いていることも指摘しない。同紙によるこの種の一方的な報道は慰安婦問題に限らない。9月29日に掲載された、アメリカの歴史学者ハーバート・ビックス氏の「ヒロヒトは操り人形ではなく黒幕だ」の記事も同様だ。
ビックス氏の昭和天皇と日本、さらには安倍政権への非難は、如何にしてこれほど偏向し得るのかと思うほど知的公正さを欠いている。氏は「ヒロヒト」と呼び捨てにし、政策決定に天皇が介入する制度やイデオロギーを昭和天皇が体現していたと主張し、「戦後、アメリカ型の憲法が彼の統治権を剥奪したあとでさえも、政治に干渉し続けた」と甚だしい事実無根の主張を展開する。「ヒロヒトは臆病な日和見主義者で、何よりも皇室の維持に熱心だった」とも書いているが、根拠は全く示していない。昭和天皇が立憲君主として憲法を守り、政治介入をどれほど誠実に回避したかなど、全く見ていない。研究者の風上にも置けない誹謗中傷を書いて、氏は恥じない。その主張を載せてNYTも恥じない。
親中的姿勢と背中合わせ
同紙はなぜ悪質な言説を繰り返すのか。彼らの日本批判が、アメリカの対日観の一部であるとはいえ、今も根強く存在する日本蔑視の主張の反映であることを歴史は物語っている。
前述のようにオレンジ計画は、それまで弱小国だと見做していた日本が日露戦争で勝利し、日本人がアメリカに移住し始めたとき、彼らの強い警戒心として形になった。対日警戒心は、1922年のワシントン会議で日英同盟を破棄に追い込み、日本を孤立させる原動力ともなった。
無論、私は日米関係の悪化がアメリカだけの責任だとは思わない。1915年に日本が中国に突きつけた21か条の要求はアメリカの猜疑心を深め、アメリカに元々存在した親中反日の気運を大いに強めたと思う。
それでも、当時のアメリカの空気は必要以上に日本に厳しかった。戦略家、ジョージ・ケナンも「(米国の)外交活動の大半は、他の諸国ことに日本が、我々の好まない特定の行動を追求するのを阻止しようという狙いをもっていた」と書いたほどだ。
そして大東亜戦争に敗れた日本に、アメリカはどう対処したか。現行憲法に明らかなように、日本を自主独立の、強い国には二度とさせないという連合国軍総司令部(GHQ)民政局に代表される思想で、徹底的に変えようとした。彼らは日本が少しでも気概を取り戻そうとしたり、英霊に敬意を払おうとしたりすると非難する。慰安婦、天皇、靖国参拝や憲法改正への非難はすべて同根なのだ。日本を、自主独立の気概なき弱い国のままにするメカニズムとして現行憲法を作った人々の考え方は、現在も政界、学界、言論界、経済界に至るまで広範囲に存在する。彼らの対日姿勢はまた、過度と思えるほどの親中的姿勢と背中合わせである。日本は、この複雑な世界を賢い戦略で生きのびなければならない。