「 国際社会への理解深めるため必要な比較文化史からの視点 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年8月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1045
「空気を読むな」「真珠湾攻撃は武士道にかなったものだった」「言うべきことは言わなければならない」
ハッと胸に突き刺さる言葉で、平川祐弘(ひらかわ・すけひろ)氏は日本人の覚醒を促す。氏の著書『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書)は、比較文化史の大家が平易な表現で物した日本人のための教養の書である。
空気を読んで間違い続けて失敗した事例を、氏は、東京大学での教え子だった岡田克也氏らを取り上げて語っている。家永三郎氏が自身の書いた高校の日本史教科書が検定で修正を求められ、司法に訴えたとき、平川氏のクラスでそのことを取り上げた。当時1年生だった岡田氏は「朝日新聞」の社説のような意見を堂々と述べた。
その種の「模範解答」を言い続ければ、世論に支持され、ある程度まで必ず出世できるが、それが落とし穴だと氏は言うのだ。いまや岡田氏も、氏同様に朝日新聞的主張を繰り返した土井たか子氏も福島みずほ氏も日本では通用しなくなった。世界でも通用しない。
次に、真珠湾攻撃は武士道にかなっていたとの主張には意表を突かれたが、氏の理屈はこうだ。
〈日本は宣戦布告前に真珠湾攻撃に踏みきったため、sneaky(卑怯)だと非難されている。確かに日本海軍は戦艦アリゾナを轟沈させ千人余の米将兵が犠牲になったが、日本海軍は攻撃を軍施設に絞ったため、民間人犠牲者は68名にとどまった。米国は広島、長崎、各都市への攻撃で50万人以上の民間人を殺害した。爆撃が人道的か非人道的かは市民と軍人の死者の比率でわかる。その見地に立てば、真珠湾攻撃はむしろ武士道にかなっていた〉
氏は右の意見を、原爆搭載機エノラ・ゲイの展示をめぐって米国のスミソニアン博物館で議論が持ち上がったとき、英文雑誌「タイム」に投稿したという。無論、氏の主張は激しい議論を呼び起こす性質のものだ。だが、議論する意義は非常に深いのではないだろうか。歴史問題で苦しめられている現代の日本人であれば、この種の議論を提起できなければならないと、氏は説くのだ。
もう一点、靖国神社についての視点もご紹介したい。いわゆるA級戦犯であろうとも、死者は等しく祭るのが良い。英仏でも2013年に、軍紀違反で銃殺した自国の1000人を超す兵士たちをも「苛烈な戦闘におとらぬ苛酷な軍紀の犠牲者」として許すという処置が取られた。本居宣長が「善神(よきかみ)にこひねぎ……悪神(あしきかみ)をも和(なご)め祭(まつ)」ると書いたように、神道では善人も悪人も神になる。慰霊は善悪を超えて万人に行うからこそ慰霊なのだという主張だ。
そもそも人間による善悪の判断など当てにならない。戦争中、米国は神道と天皇崇拝が日本の軍国主義の元凶だとして、明治神宮を焼夷弾で狙い撃ちにした。だが米国大統領は明治神宮に参拝した。クリントン国務長官も09年、「日本の歴史と文化に敬意を表するため」と言って明治神宮に参拝した。神道、明治神宮、皇室への誤解が解けたように、靖国神社への誤解も、いつかきっと解けると、氏は言う。
氏の専門である比較文化史から世界を眺めることが、国際社会の事象への理解を深めてくれる。国際社会の国家と人間の営みを豊かな理解力で分析し、その力を土台に日本は世界に発信すれば良いのだ。
なお、氏は日本の国是とすべき大原則として五カ条の御誓文を挙げているが、私は大賛成である。日本の価値観を凝縮した御誓文こそ、世界に広めていくべきものと考えている。
本書の楽しみは、岡田氏らの失敗は「元旦から朝日を拝まずに朝日新聞を拝んでいた」ことだなどという真実を、随所にサラリと書いて笑わせてくれることだ。知的に、クールに皆さんにも読んでいただきたい。