「 卵と万年筆で考えさせられた月日の飛び去る速さと今後の人生 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年5月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1034
私事で恐縮だが、最近、ある“事件”が起きた。それをきっかけに、随分昔の出来事が脳裏によみがえった。水にこだわっていた時期のことだった。それを通すと、素晴らしく体に良い水が出来るという機械を購入した。ステンレスの箱の中に白金ワイヤのわっかが沈んでいて、そこに電気を通す仕組みである。
容器の上に置くと、植物は生き生きと茂り、花は美しく咲くと説明され、私はその上に卵を1パック置いた。これで卵はずっと新鮮に保たれる。適当なときに料理しよう。そう思いつつ、10日かそこいらが過ぎた日、私は料理に取り掛かった。
卵を手に取って、私は仰天した。こんなはずはない。だが、目を凝らせばそこには紛れもない現実があった。私は深く息を吸い込み、思い切り吐き出した。わずか10日ほどと思った時間は、賞味期限の日から数えてすでに半年が過ぎていたのだ。
話は変わり、神田の金ペン堂といえば世界の万年筆メーカーが神業とあがめる職人芸で知られている。ご主人の古矢健二さんの技に驚嘆して、ペリカン、ウォーターマン、モンブランなど世界中のメーカーから見学者が訪れる。
万年筆で一番大事なことは、ペン先を紙に付けた瞬間に、インクがスムーズに流れることだが、この大事な基本要素を備えていないペンは、実は意外に多い。
古矢さんは有名海外ブランドの万年筆もそのまま売ることはない。まず解体し、部品一つ一つを調整し、組み直す。この過程で使うルーペは古矢さんの親指の腹の曲線に沿うように擦り減っている。何十年にもわたる古矢さんの仕事ぶりを何よりも雄弁に、道具が伝えてくれるのだ。こうして古矢さんの手に掛かった万年筆は金ペン堂で生まれ変わる。
よみがえったペンは、手に取った瞬間から書き手の思い通りに美しいインクの跡を残しながら文章をつづっていく。ペンの程よい重さが文字を書く速度を後押ししてくれる。
年に1度、せめて2年に1度、金ペン堂に寄って、具合の悪い万年筆を直してもらい、ついでに気に入ったペンを自分にプレゼントする。それが私の楽しみの一つ、のはずだった。
ペンはいつも私の周りにある。いつも手にしている。だから、私の心の中では金ペン堂のおやじさんは友達みたいなものだ。だがそれにしてもしばらくご無沙汰が続いてしまった。久しぶりにお店をのぞいてみようか。修理を頼んでおいたペンもあるし。そこで電話をした。するとご主人ではなく若主人が応対して、こう言うのだ。
「父はいまは家で仕事をしております」
まあ、いつからと、私は尋ねた。
「7~8年になりましょうか」
そんなばかな。私は2~3年前、お父さまとお店で話しましたよ。そのときにペンの修理も頼みました、と私。
「はい、でも、もう7~8年も店には来ておりません」
だって私は……と言いよどんでいると、若主人が申し訳なさそうに言った。
「最後にいらしたのは2005年となっています。そのときお預かりしたペンはよく修理してございます」
なんと9年が過ぎていたのだ。その間、ご主人、私は勝手におやじさんと心の中で呼んでいるのだが、そのご当人の古矢さんが耐え難い腰痛で入院し、その後自宅療養に入っていたことを、私はうかつにも知らなかったのだ。本当になんということだろう。
卵のケースと同じである。うかうかと、私は九年もの長い時間を過ごしてしまった。月日の飛び去るこの速さ。光陰人を待たず。昔の人はよくいったものだ。怖い怖い。こうして人生は、夢幻のごとく、過ぎ去っていくのだろうか。私の人生、これからどう過ごすのか、真剣に思いつつ、いつ古矢さんをお見舞いしようかと考えている。