「 日本の朝鮮統治、米国知識人の見方 」
『週刊新潮』 2013年9月12日号
日本ルネッサンス 第573号
人間が思い込みや偏見によってどれほど事実を見ることが出来ないでいるか。それでも知性ある存在としての人間は必ず、一定の時を経れば事実に気づき、物事の本質を読みとることが出来るようになる。歴史問題における不条理な日本非難についても、必ず、人間の知性は事実や真実に辿りつく日が来る。
私はそう信じてきたが、漸く人間の知性の証しとしての書物に巡り合った気がする。日本を雁字搦めに縛ってきた歴史問題の深い闇を晴らしてくれると思われるその書は、ハワイ大学名誉教授のジョージ・アキタ氏とコースタル・カロライナ大学准教授のブランドン・パーマー氏の共著、塩谷紘氏訳の『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』(草思社)である。
ジョージタウン大学教授のケビン・M・ドーク氏が序文で同書を「開かれた歴史検証」と鋭く洞察した。朝鮮民族の優秀性を強調する余り、彼らを支配した日本統治及び日本人のおよそ全てを悪し様に非難する民族主義的歴史観から脱却して、公正公平に日本統治を見つめる作業を、アキタ氏は続けてきた。激しい日本非難にも耳を傾け、それらをひとつひとつ丁寧に検証してきた。
ドーク氏が指摘するように、アキタ、パーマー両氏には「朝鮮統治における日本の帝国主義の負の側面まで良しと」する気はない。「日本統治下における植民地朝鮮の体験」という「イデオロギーと感情の両面で最も物議を醸すテーマ」に対して、両氏の研究姿勢はあくまでも開かれている。ドーク氏はそれを「清々しいまでの率直さ、健全な判断力、そしてどこまでも客観的な証拠に依拠して」いると高く評価した。
そのような姿勢で見る日本の朝鮮統治の実態はどうなのか。
歴史の真実
本書の冒頭で、アキタ氏は童元摸教授や韓国系米国人外交官のアンドリュー・ハク・オウ氏らが、民族主義史観に基づく厳しい対日非難の論を展開する具体例を取り上げ、続く章で、アキタ氏は自身、かつて日本の朝鮮統治に関する悪評を全面的に信じていたと告白する。
氏はしかし、本書の共著者となったパーマー氏が大学院生時代に書いた論文、「第二次日中戦争時における日本軍の中の朝鮮人たち─1937─43年の朝鮮人対象の特別志願兵制度」を読んだとき、問題意識が芽生えたという。
アキタ氏は日本の徴兵令の起草者である山縣有朋の研究を30年以上続けている近代日本政治史の世界的泰斗である。パーマー氏が論文で、「絶大な権力を誇り、独裁主義的と目された日本の支配体制下で、朝鮮人に対して大量殺戮的な行動が取られたことを暗示するものは何も見当たらない」「特別志願兵制度と徴兵制度を実施するにあたって総督府が選んだ手順と行動は、日本の植民地政策は日本の国益にかなうかたちで施行されたとはいうものの、比較的穏健なものであった」と指摘したとき、それを冷静にとらえる十分な知的土台がアキタ氏の側にあった。
だからこそ、山縣の研究がアキタ氏の中でパーマー論文と共鳴し始めた。以降、氏は10年の長きにわたって、日本の朝鮮統治の実態を探りあてるべく研究を重ね、そうして生まれたのが本書である。
アキタ氏は民族主義史観に立った日本非難の研究の中に、歴史の真実を見落としている点があるのではないかと、精緻な分析を行ってきた。たとえば前述の童氏は論文で、1936年の朝鮮での世論調査を引用している。それによると、「朝鮮は独立すべし」と8.1%が答え、「朝鮮に有利な時期に独立すべし」が11%、「独立を諦める」が32.6%、「どちらでも構わない」が48.3%である。
別の調査では日本政府への姿勢について、「反日的」が11.1%、「改革を求める」が14.9%、「満足」が37.7%、「無関心」が36.1%だ。
アキタ氏は、当時の政府主導で行われた調査の解釈は慎重にとしながらも、右の世論調査から、「朝鮮人民が当時、『つねに独立すべしと考えている』と正直に回答しても身に危険は迫らないと感じていたこと」が見えてくるのであり、「日本側が彼らのこうした回答を記録した点」こそ注目すべきだと指摘する。
『九分どおり公平』
本書には多くの証言がおさめられているが、日本統治下の朝鮮民族の記憶を辿った女性のひとりが米国在住のヒルディ・カン氏だ。彼女は在米コリアンの大家族の長男と結婚し、夫のカン・サンウク氏と共に51人の在米コリアンの聞き書きを『Under the black umbrella』(コーネル大学出版)にまとめた。これは2006年、日本語訳『黒い傘の下で』としてブルース・インターアクションズから出版された。彼女の著述をアキタ氏は次のように紹介する。
「彼女の義父がいかにも懐かしげに語っていた体験談は、すべて『日本の過酷な統治時代に起こったこと』だったと気づいて(彼女は)感銘を受けた(中略)彼女は自問する。『私が聞けると期待していた(日本の)残虐行為に関する話が出ないのはなぜなのだろうか』」
アキタ氏は、「面談した人々は、日本の朝鮮統治の中に複雑さ、陰影、矛盾、そして正常な部分を見ていたのと同時に、一般の日本人のみならず警察官まで含めて、ときには好意的にすら受け止めていた」こと、「『面談した人々はいずれも《私は辛いことは何も体験していません》の類の前置きをしてから回想を始めた』というカン女史の記述」に注目するのだ。
カン氏の著作には、3.1抗日運動に関して、警察はデモ参加者を逮捕し始めたが年長の男たちへの「警察署長の……ものの言い方は丁寧」で、「彼らを縛っていた縄を解き、帰宅を許してくれた」などの記述もある。或る朝鮮の女性が「要するに、日本人も、私たちも、同じ人間だったということよ」と語っている。
アキタ氏はこのような言葉を紹介し、日本統治下で朝鮮人が限りなく虐待され搾取されたとする民族主義史観と比較して考えるよう読者に促しているのだ。
慰安婦についての貴重な研究も本書に紹介されている。サンフランシスコ州立大学の人類学教授、C・サラ・ソウ氏の、大半の女性が騙されて慰安婦となり売春を始めたという主張は間違いという指摘については既に5月30日号の小欄で紹介した。
アキタ教授の結論は「日本の植民地政策は、汚点は確かにあったものの、同時代の他の植民地保有国との比較において(中略)『九分どおり公平 almost fair』だったと判断されてもよいのではないか」というものだ。
本書はやがて英文で米国でも出版される予定である。私はこの開かれた客観的な研究が日本の未来を支えてくれると信じている。