「 歴史になり切っていない大東亜戦争時の従軍慰安婦 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年5月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 986
NHKも各新聞も連日、安倍晋三首相の歴史認識を否定的に取り上げている。韓国や中国の対日歴史批判は実は日本国内メディア、NHKや朝日新聞の報道が誘導してきた面がある。それにしても歴史認識とは何か、歴史をどう定義するのか、100年前のことは歴史なのか。では50年前、10年前のことはどうか。
柳田國男の『遠野物語』を英訳したロナルド・モース氏は「物事が歴史になるには三世代、90年かかる」と語る。第二次世界大戦はその意味でまだ歴史になり切っていないということか。
それはそうだろう。靖国神社に参拝するなと言われても、「靖国で会おう」と言って死に別れた軍人たち、その友人、家族、ゆかりの人々はまだ存命である。自らとはどこか切り離された歴史ではなく、わが事として受け止めざるを得ない切実さがある。
「南京大虐殺」も同様だ。「大虐殺」と批判されても、実際に南京で戦った元軍人たちはそのようなことは一切ないと語るではないか。また慰安婦を強制連行して奴隷のごとく扱ったと言われても、事実ではないと少なからぬ存命の先人たちが訴えているではないか。
大東亜戦争はその意味で歴史になり切ってはいないのである。個々人の、あるいは家族の、日本社会のそうした生々しい記憶が無理やりにねじ曲げられて「これが真実の歴史だ」と突きつけられ、認識を共有せよと言われても、不可能である。
私の恩師、ジョージ・アキタ先生がまもなく出版予定の著書『日本の朝鮮統治は公平だった』(仮題)の中で、サンフランシスコ州立大学人類学のC・サラ・ソウ教授の研究の一端を紹介している。ソウ教授は韓国系米国人で漢字名は蘇貞姫である。
「ソウは、大半の女性たちは周旋業者にだまされて売春を始めたとの主張は間違っている、との立場を取る。ほとんどの場合、従軍慰安婦になる過程は開かれたものであり、当該の女性(とその家族)は、自分の行く先が売春宿であることを認識していた」とアキタ先生はソウ教授の著書を引用する。
記述はさらに次のように続く。
「当時、おびただしい数の朝鮮人女性が、父親または夫によって売春宿に売られたり、あるいは一家を貧困から救うために自ら進んでその道を選んだりしていた。朝鮮の儒教的父権社会にあっては、女性は使い捨て可能な人的資源として扱われたのだった」
「これらの女性はほとんどが朝鮮人の仲介人に買われたが、日本人の周旋業者も多かった」
「ここでわれわれは慰安婦集めのあらゆる過程で朝鮮人の存在が重大な鍵を握っていたことを認識する。朝鮮の男性は女性の家族構成員を朝鮮人の斡旋業者に売り、それら業者が彼女たちを売春宿に売ったのである。朝鮮の女性は構造的暴力の犠牲者であり、父権主義的な朝鮮社会において家庭では発言権を奪われ、植民地制度ゆえに自らの苦境に抗う機会はほとんどなかった」
ソウ教授はまた「日本兵が日本人、あるいは朝鮮人の軍慰安所の経営者に対して、自らが受けた性的サービスの代価をきちんと支払った、と軍慰安所に関するほとんどの記述が示している点に注目する。女性たちに賃金を支払うか否かは、経営者次第だった」とも書いている。
アキタ先生は「議論の中でしばしば無視されてきたのが、多くの日本人慰安婦である」と指摘する。
「日本人売春婦たちとて、朝鮮人の売春婦たちと同様の犠牲を払わされていたのである。彼女らの多くは貧困家庭の出で、家長によって売春宿に売りに出されている。しかし、国際社会はこれらの女性たちが味わった塗炭の苦しみについて、なぜか憤慨しない」
こうした地道な研究が、韓国や中国の主張が捏造であることを明らかにする日が必ず来ると、私は考えている。