「 池口恵観氏の45億円はいかに調達されたのだろうか 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年4月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 980
3月26日、在日本朝鮮人総連合会(朝総連)の中央本部の土地・建物が競売にかけられ、池口恵観(えかん)氏が法主を務める最福寺(鹿児島市)が45億円の高値で落札した。最低価格の2倍弱、45億円の手当はすでについているとのことだが、池口氏が、落札した建物を朝総連に貸してもよいと語ったのには驚いた。その場所を「世界の民族融和」の拠点にしたいというのだ。
朝総連は、日本人の拉致や、北朝鮮の核ミサイル開発に必要な技術や資金の調達に関わっていた濃厚な疑惑を持たれている。いま、日本は国を挙げて、厳正な法執行で北朝鮮の暴挙を抑制しようとしている。そんなときに、「賃貸」の形を取って彼らの活動拠点を担保してやるのが宗教家のすることだろうか。そもそも45億円もの大金はどのように調達したのか。
社会の価値観の根底を成し、人間の心の癒やしと慰霊を期待される宗教は、無論、大事にすべきである。税制上の特別扱いは宗教の重要な役割を考慮するが故だ。そこで再び考える。池口氏が「手当はできている」と語った45億円は、一体どのように調達されたのか、と。
考えを巡らすと、私の周囲の人々の心の揺れや悩みに行き着く。私の周辺にもお葬式やお墓の心配をする人々が出始めた。子供のいない人は夫や両親のお墓を、自身の分も含めて守り続ける人がいないため、永代供養をお願いする適切なお寺を迷いつつ、探している。両親や先に逝った愛しい人々の魂が悲しむことのないよう、浄土で安心して過ごせるようにとの願いは、往々にしてお寺への少なからぬ金額の寄付となる。
子供はいても供養もお墓参りもおろそかになるのでは、と心配し、いっそ何も残さないのがよいとして昨今は海や山への散骨を望む人もいる。代々の立派なお墓があって子供がいても、いつまで守り続けられるのかと心配する人もいる。
現代の日本人が担い切れないと感じ始めているご先祖の供養とお墓の守りを幾十、幾百世代もの間、続けてきたこれまでの日本人は本当にすごい人たちだったと今更ながら実感させられる。それを可能にしたのは、長子が家を継ぎ、家族の歴史の継続に責任を持つという家族の絆が生きていたこと、神道・仏教への厚い信頼などであろう。
日本人の死生観について柳田國男は書いている。死後、日本人の魂は日本の上空のどこかにおられて、残された生者を見守ってくださっていると。その描写の通り、死者と生者はいまも、これからも、心を通わせ続けると信じてきたのが日本人だ。
それがいま、危うくなって前述のような悩みが生じている。どこから解決すべきなのか。すべての始まりが心にあることを思えば、その心のありようから、つまり、日本人の宗教観を問うことから始めるのが自然だろう。
あくまでも一般論ではあるが、お寺さんの存在感がなくなっている。本堂や仏像が立派でも、魂を救い、浄土の霊をお守りする誠実な祈りがそこにあるかといえば、無論例外はあるが、必ずしもそうとはいえない気がする。永代供養もお葬式も、生者は死者への思い故に高額の支払いをする。その気持ちをお寺は十分には受け止めていないような気がする。「気がする」などと曖昧な表現しかできないのは、この種のことはまさに一人ひとりが感じ取ることであって確たる証拠など出しようがないからだ。
このままでは、日本全体が明確な人口減少をたどるいま、家族はもっと小単位になるだろう。お墓の守りを含めてさまざまな価値観の維持がより難しくなる時代に入ったのだ。であればなおさら、しっかりした心が必要で、宗教界こそ、朝総連の建物以前に、本来の精神的支柱としての姿を取り戻さなければならないのは明らかだ。