「 チェルノブイリに学ばなかった民主党首脳部にこそ責任がある 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年3月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 975
福島県相馬市で2011年6月、酪農業の菅野重清さん(当時54歳)が「原発さえなければ」と書き残して自殺した。今年2月20日、妻のバネッサさん(34歳)が、東京電力に慰謝料など1億1,000万円を求めて東京地方裁判所に提訴すると発表、同日夜の「報道ステーション」で古舘伊知郎氏は、菅野さんは搾ったミルクをジャブジャブ捨てていた、毎日がこの繰り返しだったと沈痛な表情で伝えた。
事故を起こした東京電力に重大な責任があるのは無論だが、はたして全責任が東京電力にあるのだろうか。より大きな責任は民主党、とりわけ菅直人、枝野幸男、細野豪志三氏らにあるのではないか。彼らの原発事故対応はおよそ全てといってよいほどに間違っていた。結果、命を絶たなくてもよいはずの多くの人々が、菅野さんのように自死していったと私は思う。
民主党政権の事故対応のひどさを理解するには、福島とチェルノブイリの事故対応を比べてみるのがよい。
国際放射線防護委員会(ICRP)の基準は、放射線被曝は出来るだけ少ないのがよいとしながらも、(1)5年間で100ミリシーベルトを超えない、(2)緊急の場合でも、年間被曝量は50ミリシーベルト以下にする、(3)緊急時から平常時に戻る過渡期においては被曝量は年間20ミリシーベルトから1ミリシーベルトを許容範囲とし、出来るだけ早期に1ミリシーベルトに下げていくと定めている。
細野氏らはICRPの国際基準を政府方針で、あえていえば、書類上は活用しながら、現場ではこれらの基準を完全に無視した。被災現場で細野氏が示した基準は事実上、「年間1ミリシーベルト以上は許容しない」という極めて非科学的なものだった。それを超える地域では国の責任で徹底的に除染するとして、氏自身除染のパフォーマンスをしていたのを思い出す。そうした中で乳牛も次々に殺処分された。
非科学的なものだった福島の対応とチェルノブイリの事故を乗り越えた旧ソ連ウクライナの対応を比べてみる。
チェルノブイリの事故では、福島の場合と比較にならないほど大量の放射性物質が放出された。しかし、ウクライナ政府は、原発から50キロメートル離れたスラブチッチ市に新しい町をつくると決定した。スラブチッチも事故の影響で放射線量は自然界の通常水準よりも高かったが、科学的に健康被害が認められるレベルではないと判断したのだ。
新しい町の建設は事故後4カ月で決定され、ウクライナ政府はこれを「夢の町」にすると決意、1988年には人々が住み始めた。決定から1年と8カ月での快挙である。
映像を見ると、町は赤レンガ造りの一戸建てと低層集合住宅に分かれる。一戸建ては子供3人以上の家族専用で、チェルノブイリで働いていた労働者を優先し、無料で提供された。こうして夢の町にはたくさんの子供が生まれた。
歩道、自転車道、車道は全て並木で分離され、町全体が緑で覆われた。放射線医学研究センターを造り、被曝した2万3,000人が登録され、健康管理が無料で行われている。
牧草経由で放射能汚染された乳牛や肉牛を飼育する酪農家には科学的指導が徹底された。牛の餌にプルシアンブルーという人間にも無害の青色顔料を混ぜて、出荷前の2カ月間食べさせると、体内の放射性セシウムが劇的に排出されるのだ。この措置を施した結果、1頭の牛も犠牲にならず、ミルクも捨てられず全て人間の食用として活用された。もちろん、酪農家の誰一人、自殺などしていない。
このような事例になぜ民主党首脳部は学ばなかったのか。なぜ1ミリシーベルトにこだわったのか。この非科学的な施策が放射能への極端な恐怖を呼び、多くの人々を死に追いやったのではないのか。そう考えれば、訴えられるべきは民主党首脳部だと私は考える。