「 非礼『韓国』に抗する究極の策がある 」
『週刊新潮』 2012年8月30日号
日本ルネッサンス 第523回
竹島、尖閣諸島、北方領土。戦後最大の危機はなぜ一挙に起きたのか。答えは明らかである。自国の防衛を他国に依存し、自らは出来得る限り軍備を退けてきた戦後体制のツケが噴出し始めたのだ。
国際関係の基本は軍事力にあるという平易かつ明白な原理も、アジア・太平洋に高まる緊張も見ようとせず、特にこの10年日本のみ、ひたすら軍事力を削減してきた結果である。
韓国、中国に対する野田佳彦首相以下民主党政権の策はそんな無防備な国家体制から生まれたものだ。その意味で野田政権は現行憲法の落とし子であり、現行憲法下の日本の限界を鮮やかに切り出してみせてもいる。そうした中、李明博韓国大統領の竹島への上陸に対して、国際法に訴える方法を選んだのは、それでも妥当な第一歩であろう。
領土という最も激しくナショナリズムを掻きたてる問題において、日韓の示した国柄は、大人しすぎる日本と激昂しすぎる韓国、まさに両極端の姿である。
玄葉外相は8月11日、淡々と「国際司法裁判所への提訴を含む、国際法に基づいた平和的な解決を検討したい」と語った。韓国外交通商部は即日、日本政府の方針は「一顧だに値しない」と強く非難した。与党セヌリ党は12日、日本政府に「盗っ人たけだけしい」という言葉で迫った。
野田首相は17日、親書を李大統領に送ったが、韓国が国際司法裁判所への提訴に同意することは金輪際ないだろう。結果、日本政府の単独提訴となる。その場合韓国は、提訴に応じない理由を国際司法裁判所に説明しなければならない。歴史的にも国際法上も竹島は日本固有の領土であるため、この展開は日本にとってはむしろ好ましいと言えるだろう。
国家元首としての資質
紛争を国際法によって冷静に決着させるにしても、そこに国家としての情念がなければ、国際社会を説得して成果を得ることなど出来ないだろう。また、国家も人間も怒るべきときには真に怒らなければならない。竹島上陸から4日後、李大統領の天皇陛下に関する発言こそ、日本が国家として怒るべきときだった。
「天皇が(韓国を)訪問したいのであれば、独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝罪するというのならよい」「何ヵ月も悩んで『痛惜の念』だとか、こんな単語ひとつ(の謝罪)なら来る必要はない」という発言に、日本国民が抱いた深い失望感や強い憤りは、「遺憾である」という野田首相の言葉では表現し得ない。首相は、なぜ、この場面で日本国民を代表して李大統領の非礼を質さないのか。たとえば日本国はこれまで天皇陛下を筆頭に36回も謝罪を重ねてきた。天皇陛下のお言葉にしても事前に何ヵ月もかけて両国が知恵を出し合い、練り上げたものだ。それを「単語ひとつ」と切り捨てるかのような発言は日韓両国の幾十年もの努力と交流を台無しにするもので、国家元首としての資質を疑わざるを得ないと伝えるべき場面だ。
野田首相は日韓間の協調と双方の国益のために、今こそ李大統領に冷静に問うべきだ。就任以来、韓国軍及び国境の島への北朝鮮の軍事攻撃に対して一度も報復していないのはなぜか。韓国の海に侵入した中国漁船の船長が韓国海洋警察官を刺殺しても、韓国の人権活動家が中国に拘束され拷問されても一度も公式の非難声明も出さないのはなぜか。北朝鮮と中国に物を言わず、突如、日本国への挑発行為に走る理由はなにか。問うべきことを正面から問い、烈しくともあくまでも前向きに議論をしなければならないのが、北朝鮮とその背後の中国問題を抱えた日韓両国の現実であるはずだ。いま、韓国に最も必要なのは、不安定な北朝鮮情勢に、日米両国と共に協力し合いながら備えることである。にも拘らず、日本に牙を剥くのは理性を失っており、韓国政府は国益のために冷静になるべきだと、日本がさとすのがよい。
そうした次元には遠いが、それでも野田政権は15日、控え目ながらも反応し始めた。松原仁国家公安委員長が靖国神社参拝後、大統領発言を「礼を失した発言」と批判した。安住淳財務相は17日、「日本国民の感情を逆なでする発言は、私としては看過ならない」と述べ、25日に予定されていた日韓財務相会合の延期、日韓間の通貨スワップ協定の見直しの可能性に言及した。日韓両政府は円とウォンのスワップ限度額を従来の130億ドルから700億ドルに引き上げることを昨年10月に決定済みだが、同協定は一言でいえば韓国への日本の配慮である。
憲法の改正しかない
中国に関して、民主党は今回少なくとも二つの事を成し遂げた。ひとつは、台湾と意思の疎通をはかり、中台を連携させなかったことだ。もう一点は、罰則は極めて軽微だが、入管法違反という日本の法律に基づいて不法上陸者を強制送還し、尖閣諸島に日本の実効支配が及んでいると証明したことだ。
だが、急いで次の手を打たなければ日本の実効支配を法執行によって証明したとの主張は日本の自己満足で終わってしまいかねない。
まず、現在進行中の来年度予算編成では特定分野以外は一層の歳出削減が求められるが、防衛費及び海保の予算は例外として増額することだ。自衛隊も海保も人員を増やし、船や潜水艦など装備も増強しなければならない。なんとしてでも集団的自衛権の行使にも踏み込まなければならない。さらに、衆議院で成立済みの海上保安庁法改正案を参議院で通すことだ。最低これだけのことを速やかに行うことなしには、危機は乗り切れない。
紛争処理に当たって国連をはじめとする国際機関や国際法を十分に尊重しなければならないのは当然だが、国際的解決を促す力は、単に正義や理性の力だけではない。軍事力や経済力が物を言う。それが国際社会の現実である。
韓半島の歴史を振りかえると、地政学的に彼らが常に周辺の大国の影響を受けてきたこと、生き残りのために常により強い国に従ってきたことが見えてくる。強い国に従うのが彼らの方程式であれば、韓国政府の現在の「反日」は日本の国力衰えたりと、彼らが判断していることの反映である。事実、李大統領がいみじくも語った。「国際社会での日本の影響力は、以前と同じではない」と。
力を衰えさせつつある日本は、竹島上陸にも天皇陛下への非礼にも対応出来まいと見ているのだ。であれば、日本があらゆる意味でより強い国になるしか解決の道はない。中国に対しても同様だ。それは究極的には憲法の改正しかないのである。領土問題という国家の主権に関する深刻な危機に直面したことを奇貨とし、強い国を目指すのだ。