「 対中柔軟外交に見るベトナムの強さ 」
『週刊新潮』 2012年5月31日号
日本ルネッサンス 第511回
かつての敵、米国とベトナムが、互いにとっての眼前の脅威である中国と、細心の注意を払いながら如何にバランスをとっていくかを探っている。そんな印象を、過日訪れたベトナムの首都ハノイで抱いた。
国家基本問題研究所(国基研)の代表団団長としてベトナムを訪れ、ベトナム外交学院及び社会科学院中国研究所等との意見交換での焦点は、中国問題だった。
いま、世界で発生している問題の多くに中国が関わっている。2010年末に中東から始まった民主化運動は、チュニジア、エジプト、リビアの長期独裁政権を倒したが、シリアで足踏み中だ。アサド大統領は国連の調査ですでに1万人を超える反政府勢力の人々を軍隊を動員して殺害したにも拘わらず、国連の制裁を免れ続けている。中国とロシアが常任理事国として拒否権を行使してアサド大統領を守っているからだ。
核開発を目指すイランもまた、中国とロシアに守られている。
南シナ海及び東シナ海の領有権問題は、ひとえに、国際法や歴史的経緯を無視して、そのおよそすべてが自国の領土領海だと主張する中国ゆえに起きている。
だからこそ、いま、国際社会にとっての最大の問題が中国なのだ。一党独裁で巨大な市場を有し経済成長を続ける中国は、経済力ゆえに異常な軍拡を続け、周辺諸国に途方もない要求をする。それでも、いかなる国も中国の経済力を無視出来ず、中国との関係を維持しなければならない。一党独裁国家が強大な経済力と軍事力を自在に活用して自国の要求を貫こうとする初めての事象に私たちは直面しているのだ。
歴戦の強者とはいえ、ベトナムは日本や他の東南アジア諸国連合(ASEAN)の国よりも尚、中国の脅威と圧力を感じているはずだ。なんといっても、ベトナムは約1000年間、中国に支配された苦い歴史をもつ。いまも、1300キロの長い国境を中国と接し、中国の圧倒的優位に直面する。ベトナムの対中外交政策が慎重なのも当然だ。
外交交渉と実質解決策
両国の国力を比較してみる。GDPは中国の約500兆円に対し、ベトナムは10兆円弱、50倍以上の開きだ。国防予算は中国が1000億ドル台に乗ったと見られるのに対して、ベトナムは27億ドル、兵力は中国の228万人に対し48万人、主力艦船は149隻対14隻、潜水艦は71隻対2隻である。
ハノイの正面にはトンキン湾を隔てて海南島がある。中国の北海艦隊の母港、青島軍港と並ぶ大海軍基地を擁する島だ。中国が同基地の守りを固め、原子力潜水艦の能力をさらに高めれば、米国に対する核の第二撃能力が担保されると見られている。第一撃を受けたあと、尚反撃する能力が第二撃能力だが、これを確立した時点で、論理上、中国は米国と対等に戦う最低限の能力は達成したことになる。そのために必要なのが長距離核ミサイル搭載の原潜を隠すに足る深さを持つ南シナ海だといわれる。東シナ海も黄海も、その点十分な深さがないのだ。
南シナ海の80%以上を自国領だと主張してやまず、野望もあらわな中国にどう対処すべきか、ベトナム外交学院戦略研究所事務次長のグエン・フン・ソン氏は外交交渉と実質解決策の二要素を軸とすべきだと説いた。南シナ海防御では、まず、沿岸から200海里を沿岸国の排他的経済水域と定めた82年の国連海洋法や、2002年に中国とASEAN間で合意した南シナ海問題を平和裡に話し合って決めるための「行動宣言」の遵守を説くべきだという。
同時に海軍力を強化し国民全員が参加する「国民戦争」を徹底することで南シナ海を守るという。
何よりも平和志向と全方位外交だとする姿勢は、2年前に世界中の船に開放したカムラン湾についての説明でも変わらなかった。同湾には米艦船も入港し、近い将来、南シナ海の安全保障に米海軍が中心的な役割を果たすことが期待されているかと尋ねると、外交学院所長のトゥアン氏がこう答えた。
「米海軍との協力は特別なものではありません。米艦船の入港が注目されたのは、かつてのベトナム戦争と南シナ海の争いが目立つからでしょう。カムラン湾には中国、インド、豪州、カナダ、そして日本の船も入港しました」
米艦船寄港の事実は重いのだが、ベトナム側はあくまでも中国を刺激しないための公式説明を繰り返す。対立姿勢を見せないのが戦略なのだ。
摩擦を避けながらも、長期化が避けられないであろう南シナ海問題に備えて、眼前の危機には現実的対応で臨む。それがベトナムの「国民戦争」である。ソン氏が語った。
ベトナムを見習うべき
「南沙諸島には21のベトナム領有の島があります。我々は島々を守るために、第一段階で軍隊を送り込み居住させました。いまは一般国民の移住を奨励しています。お寺を建て僧侶6人を送り込みました。診療所、学校も建て人々が定着出来るようにしています。国民全員で国土を守るのです。中国は強い不満を表明していますが、我々の実効支配の前に手出ししにくいのです」
中国を恐れる余り、尖閣諸島から日本国民を遠ざけてきたわが国政府はベトナムの原則は譲らない強さを見習うべきだ。
ハノイの米政府筋が語った。
「ベトナムの対中外交は非常に微妙で思慮深いものでなければもちません。米国の対ベトナム外交はその点を踏まえなければ成功しないでしょう」
日本にとっても、米国にとっても、「対ベトナム外交の成功」とは、より豊かでより強く、より自立したベトナムを実現することだ。
その具体策が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加であろう。TPP参加はベトナムの国内経済を大きく変える可能性がある。国有企業や、ベトナム共産党や一部の人々に利権をもたらしてきた腐敗構造がTPPという外圧でかなり整理されると見られている。そうしたことを承知でTPP参加を決めたベトナムは、経済を新たな発展段階へと進め、活性化し、豊かさを実現、力を蓄える可能性が大きい。
だが、中国はベトナムのTPP参加を、米国への接近と見て、強く反対し、機会ある毎にベトナムに圧力をかけ続けている。そしていま、ベトナムがどの国に対してよりも協力と援助を求めているのが日本なのだ。これまで日本の援助は道路など陸上のインフラ整備に集中していたが、これからは海洋資源の保護や開発への協力も求めたいという。中国の脅威の前に自力で領土領海を守ろうとするベトナムに、日本は最大限の協力をし、中国に敢然と物を言わなければならない。