「 国民と共にあるお姿が皇室の特色と実感させてくれる美智子さまのお言葉 」
『週刊ダイヤモンド』 2011年10月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 909
皇后陛下美智子さまが77歳のお誕生日に宮内記者会の質問に答えておられる。皇室が本来の日本の国のかたちと日本人のよき姿を体現してくださっていることを実感させる内容である。
美智子さまは今年を「悲しみの多い年」と振り返られ、東日本大震災と内外の災害に言及された行間には、被災者すべてへの深い想いが満ちる。
大震災について、「こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と闘うところから始めねばなりませんでした」と、率直に吐露しておられるが、それはご自分を災害の外に置かず、被災者と自らを同化させておられるゆえの悲しみや絶望である。
「このような自分に、はたして人びとを見舞うことができるのか」という不安の中で、「苦しむ人びとの傍に行き、その人びとと共にあることをご自身の役割とお考えでいらっしゃる」陛下と共に美智子さまは被災地に向かわれた。
そして被災地でこう感じ取られた。
「災害発生直後、一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えてきた、人びとの健気で沈着な振る舞いでした。非常時に当たり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受け止め、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したと知ったことは、私にとりなににも勝る慰めとなり、気持ちの支えとなりました」
日本人の心情と振る舞いが美智子さまにとっても慰めと支えになった。正に日本人が心を一つにしたのがあの大震災だった。そこからの復興を実感なさったきっかけも、よき日本人の姿、人もまばらな道で「一人ひとり宛名の人を確かめては言葉をかけ、手紙を配」る被災地の郵便屋さんの姿だった。
「自分の持ち場で精一杯自分を役立てようとしている人」「その場その場で自分の務めを心を込めて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人びと」「こうした目に見えぬ絆が人びとを結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました」という美智子さまのお言葉が、責務を果たすことで社会の一隅を照らし、誰かの役に立ちたいと願い、実践する日本人の誠実さをあらためて思い起こさせ、私たちを励ましてくれる。
ご自身のご体調の優れないことについてはこう述べておられる。
「その多くは耐えられないといったものではないのですが、日程変更の可能性を伴うときは症状を発表せねばならず、そのつど人びとに心配をかけることを心苦しく思っています」
国民は皆、お二人のご健康を気づかい、過密日程を心配している。けれど、そんなことへの不満は微塵もなく、逆に人びとに心配をかけることを心苦しく思われている。そんな現在のご皇室の姿に、私たちはよいお手本を示してくださっていると感謝したいものだ。
「陛下も私も」「少ししんどい年令」としながらも、「人びとのために尽くすという陛下のお気持ちを大切に」していきたいと、美智子さまは結ばれているが、国民への想いに溢れるこの皇室の姿は、日本の歴史そのものである。
民への想いは聖武天皇のお妃、光明皇后が悲田院、施薬院を作られたところから明確なかたちを取ってきた。国民のために祈り、尽くすことを存在の根本とする皇室は、福祉という言葉もなかった時代から、民のために役立ってきた。近代ではハンセン病の啓蒙活動のために作られた藤楓協会がある。藤は大正天皇の皇后、貞明皇后のお印、楓は明治天皇の皇后、昭憲皇太后のお印で、皇室が中心になってハンセン病への偏見を取り払う努力を重ねてきた。
日本の皇室の「国民と共にある姿」が、現在もなお、皇室の特色なのだとしみじみと実感させてくれる美智子さまのお言葉だった。