「 チベット亡命政府、新首相の抱負 」
『週刊新潮』 2011年10月6日号
日本ルネッサンス 第479回
9月22日から、シンクタンク『国家基本問題研究所』(国基研)のプロジェクトで、チベット亡命政府をインド北部のヒマーチャル・プラデシュ州に訪ねた。国基研とインドの最も伝統あるシンクタンク『世界問題評議会』共催の日印交流計画で訪印した自民党の下村博文、山谷えり子両氏も同行した。
デリー空港から1時間でダラムサラに着く。トヨタの四輪駆動車で約40分、急勾配のデコボコ道を登った標高2,000メートルの地に亡命政府は位置している。ダライ・ラマ法王14世にお目にかかり、8月8日に選出された43歳の首相、ロブサン・センゲ氏にも会った。
法王14世は血色もよく約1時間半闊達に話したが、政治権限すべてを新首相に引き渡した8月8日は久し振りに熟睡したそうだ。チベットのこれからを尋ねると、こう語った。
「私は政治から引退したのです。鄧小平ではありませんから、院政は敷かない。難しいことはみんな、首相に聞いて下さい」
闊達さと朗らかさ、ユーモアのセンスは法王の最大の魅力である。
到着した日、亡命政府は半年毎に開かれる国会の開会中だった。新首相はダライ・ラマ法王に従ってインドに逃れた両親から生まれた亡命2世である。チベット難民キャンプで学んだが、両親は自分を小学校に上げるのに飼育していた3頭の牛のうち1頭を売って学費に充てた。
センゲ氏はチベット亡命政府の奨学金でデリー大学を卒業、フルブライト奨学金でハーバード大学に進み、修士、博士課程を修了して、同大学上級研究員の職にあった。夫人との間に一女を授かったが、米国での恵まれた生活を捨て、単身赴任で首相として5年間の任期を務める。
「中国は60年間失敗」
政教一致体制から政教分離体制に移行して生まれた新政府の特徴は、その若さと国際性にある。前述のように、首相が43歳、議長は44歳、外相は42歳の女性である。首相は国際法の専門家で、チベット語は無論、インド各地の言語に加えてネパール語にも通じ、極めて正統的な英語を話す。一方、カナダのケベック州で育ったデキ・チョヤン外相は、年間売り上げ2,000億円の企業の幹部だった。英語に加えてフランス語も流暢である。研究のために約10年間を中国で過ごした体験から中国語も中国人並だ。
彼らの訴求力はチベット亡命政府の国際的地位の向上に必ず、つながっていくと思われる。
首相は国会審議が終わった17時過ぎから、私たちと会見した。執務室にはチベットの旗とカターと呼ばれる白い絹の布が飾られていた他は、コンピュータが1台、目につくほどで、非常に簡素である。部屋の一隅に腰かけて、首相は語り始めた。
「ダライ・ラマ法王はチベットの自治獲得、チベット仏教、言語、文化を保護し、チベット人がチベット人として生きる道を開くために生涯をかけて闘ってこられた。いま、私たちの世代が、法王の中道路線を引き継ぎ、チベット人の精神文化を保ち続けていかなければなりません」
それにしても、亡命チベット人は12万人、チベット全土のチベット人は約600万人に過ぎず、中国という大きな国と闘うのは容易ではない。それでも首相の決意は固い。
「世界は中国の台頭に非常に神経質ですが、チベット人は2,000年間、中国と闘ってきました。遺伝子の中に中国対処法の知恵を蓄えています。1910年にダライ・ラマ法王13世は迫害されてインドに亡命しましたが、13年にはチベットに戻り自由と独立を確立しました。私たちも、再び、チベットに戻り、自分たちの生活を確立することが出来ます」
中国は、チベット人にチベット仏教や、チベット語を禁じ、中国人化のための凄まじい弾圧を行う。すべてを簒奪し破壊する。チベットの直面する暗黒の弾圧の現実を国際社会に明らかにして中国問題を乗り切ることが、チベット人を救い、世界の民主主義と自由を守る道だと、首相は熱意を込めて語る。
「中国は60年間失敗してきたのです。北京五輪の08年、チベット全土で抵抗運動が起こりました。09年以降はウイグル人が、11年にはモンゴル人も立ち上がりました。抵抗運動に参加したチベット人の90%が60歳以下だったことをご存じですか?
60年間、中国の政治体制の下で中国式の教育を受け、中国経済に組み込まれ、中国文化を強要されて過ごしたチベット人が立ち上がった。彼らはダライ・ラマ法王に会ったことがないチベット人です。海外の我々はチベットに行ったことのないチベット人です。しかし、チベットの内と外で、弾圧によって我々はより純粋なチベット人の心を持つに至り、その心を保ち続けているのです」
国造りの基本を日本に
英国は約250年の植民地支配でインド人に英語を強要したが、インドは日本の影響を受けて独立を果たした、チベットも同様だと首相は強調するのである。そこで中東のジャスミン革命が中国の異民族支配に与える影響を尋ねると、首相はチベット人の抵抗精神への誇りと信頼を次のように表現した。
「ジャスミン革命よりもトルコ石の碧色(あおいろ)革命が先なのです。トルコ石はチベット人が好んで身につけ大事にする宝石です。チベット人こそ、強権的かつ非人道的支配に抵抗し、自由と民主主義を求め続けてきました」
チベット人として生まれたことを誇りとし、チベット人として闘い、死ぬことを誇りとすると明言する首相は、国造りの基本を日本に見習いたいとも語った。
「日本人は明治維新も第二次大戦の敗北も見事に乗り越えました。私は、子供たちに高い水準の教育を施すことに最大の力を傾注したい。私のように貧しい家の子供も専門家になれるように高度の教育を施し、10年、20年後に、立派な国家の基盤を作り上げたい。人材を育ててチベット人の自由獲得の闘いを持続していく覚悟です」
首相が亡命政府の財政を説明した。
「年間予算は2,200万ドル(1ドル80円換算で17億6,000万円)。それで日本を含む12ヵ国に代表事務所を置き、内外で教員を含む2,000名の公務員に給料を払い、インド、ネパール、ブータンに住む12万人の亡命チベット人を統合しています。総予算は少ないですが、高い透明性をもって非常に効率的に使っています。ちなみに私の月給は367ドル(3万円弱)です」
チョヤン外相が半畳を入れた。
「まあ、私より20ドルも多いわ!」
下村氏が日本の政治家としてチベット問題に関心を抱き続けることを確約し、2時間の会見は終了した。チベット人が彼ら本来の生き方を全う出来るよう、私はセンゲ首相らを応援するものだ。