「 東日本復興と防災インフラを急げ 」
『週刊新潮』 2011年9月15日号
日本ルネッサンス 第476回
「次の方、野田氏どうぞ」という見出しの社説がインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に掲載された。首相がクルクル代わる日本の政治を突き放した視線で書いたものだが、野田佳彦首相の直面する課題は生半可ではなく、党内融和人事で身内同士が傷をなめ合う暇はない。外交、安全保障は元より東日本の復興を急がなければならない。
とりわけ、東日本大震災の発生で、首都圏及び西日本での巨大地震発生の危険性が以前にも増して高まったと指摘されるいま、自然災害の被害を最小限にとどめるための堅固な防備を構築することが重要である。『列島強靭化論』(文春新書)を世に問うた藤井聡京都大学教授が語る。
「東日本大震災が重要なメッセージを発しています。科学的に見れば、東海、南海、東南海の巨大地震の発生は、多くの専門家も指摘するように避け難い状況です。日本列島を襲った大地震がこれまでどのように各地の大地震に連動したかを知れば、首都直下型大地震及び西日本大地震発生を否定する合理的、科学的根拠は見当たりません。過去2000年間、東日本太平洋側で起きたマグニチュード(M)8以上の大地震は75%の確率で西日本(東海、東南海、南海)大地震と連動、首都圏の大地震とのつながりは100%といえます」
驚くほどの明確さで藤井教授は断言した。無論、過去と同じことがこれからも起きるとは言えない。だが、過去に大地震がどのような規模と時間枠で連動してきたかは、少なくとも、知っておくべきだ。
M8・3から8・6といわれる平安時代の869年に起きた貞観地震の9年後に、首都圏ではM7・4の相模・武蔵地震が起きた。18年後にはM8・0から8・3の仁和地震が東海・東南海に起きている。
経済の活性化が大前提
江戸時代の1611年にあったM8・1の慶長三陸地震の4年後に、M6・5の慶長江戸地震が首都圏に起きた。西日本では慶長三陸地震の6年前にM7・9から8・0の慶長地震が東海・南海・東南海を襲った。
明治時代の1896年、明治三陸地震が発生したが、その2年前にM7の明治東京地震が起きていた。明治三陸地震に関連するとみられる西日本大地震は約40年後に起きた。但し、約40年の間隔で発生したこの地震を明治三陸地震との連動と見るか否かについては意見が分かれる。
次に、昭和に入った1933年、M8・2から8・3の昭和三陸地震が発生、前後に関東と西日本も大地震に見舞われる。関東のそれは昭和三陸地震の10年前に起きたM7・9の関東大震災だ。南海・東南海のそれは11年後のM7・9から8・0の昭和南海・東南海地震である。
これら大地震の発生年を表にすると、過去4回の東日本大地震の前後、首都圏では最大で10年以内に大地震が起きている。西日本では明治三陸地震を除いて最大18年の幅で起きている。藤井教授が指摘した。
「歴史は、巨大地震が連発して起きたことを告げています。M9・0というこれまでで最大規模の今回の東日本大震災は、従って、首都圏及び西日本大地震に連動すると考えるべきでしょう。勿論、そんなことがないようにと、誰しも願います。しかし、厳しい可能性があるのだとしたら目を逸らさずに、最悪の事態を想定して備えるのが政府の責任で、まさに野田政権の喫緊の課題です」
地球の表面はプレートと呼ばれる厚さ100キロにも及ぶ14枚の岩盤で覆われており、日本列島はその内の4枚のプレートの境目に立地する。プレートは年に数センチずつ動き、動いた分がひずみとなり、ある一定の年月が経つとひずみが激化し、一気に弾け、地震や津波を起こす。
こうした大災害の発生を止める手立てはないが、被害を最小限にとどめることは人間の賢い対応で出来る。藤井教授は8項目から成る日本列島強靭化10年計画を提唱する。前半の5年間は東日本復活を主として行い、東日本再生を梃子に国土を強化し、経済を成長させる。後半5年は東日本復興の上に日本列島全体の強靭化をはかるというものだ。
8項目は「防災・減災」のインフラ整備を筆頭に非常事態に備えたリスク意識の共有、地域共同体の再生、エネルギーシステムの維持、企業などの経済活動の継続性の担保などが続く。日本全体を自然災害に対して、ハード、ソフト両面で強化していくためには、なんといっても膨大な資金が要る。経済の活性化が大前提だ。菅政権は東日本復旧対策さえまともに打ち出せなかった。東日本の復旧・復興と防災減災国家構築の双方を、野田首相は目指さなければならないが、不安材料が見てとれる。
一連の計画は力強い経済成長なしには難しい。民主党は1次、2次補正予算で6兆円余の復興予算を確保したが、これは序の口だ。野田政権は復興費を5年間で19兆円と想定し、第3次補正で約13兆円を手当するそうだ。右の予算規模で十分とは思えないが、最も懸念されるのが財源である。首相は財源を歳出削減、臨時増税、及び政府資産売却などの税外収入によって得るとしている。
財政政策が間違っていた
歳出削減が、今回、成功する見込みはあるのか。税のムダ遣いを削ることで容易に16兆円余は確保出来るとして、華々しく行われた事業仕分けだったが、結局、成果は10分の1程度にとどまったのではなかったか。
臨時増税に関して、財政規律を正すことに異論はないが、いま増税してよいのか。増税で、経済活動はむしろ縮小するのではないか。日本経済が財務省主導でどれほど停滞してきたかを数字で見てみよう。
1990年、世界第二の経済大国として世界のGDPの14・3%を占めていた日本のGDPは、08年には8・9%に縮小した。10年には中国に抜かれて3位になった。国民一人当たりGDPは00年に世界第3位だったのが、08年には23位になった。国際競争力評価の年次報告書で、1990年には1位だったが、08年には22位に落ちた。驚くほどの後退は、日本経済の縮小というより、他国の経済が成長した結果だ。日本が手を拱いて成長しなかった間に、他国がぐんぐん力をつけた。
なぜ、そうなったのか。多くの要因はあろうが、基本的には政府の経済、財政政策が間違っていたとしか思えない。法人税増税というが、高い税率で苦労する日本企業は減税もなく極度の円高で喘いでいる。これでは復興財源として法人税を払うどころか、社をあげて外国に移るかもしれない。そんな方法よりも国内企業が外国企業と競合し易い税制にすることだ。海外に逃げるのでなく、日本の地方都市に進出する道を開き、真面目で良質な各地の労働人口と共に栄えていける優遇策を考えるのがよい。日本再生も東日本の復興も財務省頼みばかりでは難しいだろう。