「 力を発揮した自衛隊、警察、消防隊 国家は組織があって初めて機能する 」
『週刊ダイヤモンド』 2011年4月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 881
岩手県花巻市の会社経営者、藤沼弘文氏(六十代)は、東日本大震災の翌日、地元の災害救助隊の活動を開始した。藤沼氏がつくった組織で、地元企業約110社で構成する。年会費2万円、年間総収入200万円余で、たとえば阪神淡路大震災では自転車200台を、新潟県中越地震ではパン1万食を送るなどの援助に当たってきた。
「今回は地元の災害です。すぐにうちの社の若いもんを連れて、県内海岸沿いの町を、久慈、普代村、宮古、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼などまで北から南に歩き、この目で見てきました。被害状況はほぼ同じ、全滅です」
全滅の事態はどのようにもたらされたのか。藤沼氏が息をのんだのはリアス式海岸の奥深い地域での被害だった。
「広い海岸に津波が押し寄せ、そこでは4~5メートルだった波の高さが、入り組んだ湾の奥に行くと20メートルくらいの恐ろしい波になっていました。津波は広い間口から入り、湾の奥の狭まった場所に行けば行くほど暴力を増し、破壊し尽くしたのです」
藤沼氏らはすぐに出来ることから始めた。コメ10トンに加えて、下着類やトイレットペーパーなどを各地に運んだ。そこで目撃したのは、多くの地方自治体が右往左往以前に、茫然自失で立ち尽くしている現実だった。
「中央からの指示待ち体質が強い彼らは、今回、その指示がほとんどないために何をすればよいかわからないのです。地方自治体を効果的に動かすことができない根本的原因は、中央政府が右往左往するばかりで全体を見た指示を出していないからです」
そうしたなかで、唯一、効率的に動いているのが、皮肉にも民主党政権が忌避してきた自衛隊をはじめ、警察、消防など、指揮命令系統がしっかりしている組織であることをあらためて実感したと藤沼氏は語る。
仙台市青葉区の病院長、目黒泰一郎氏は地震直後から文字どおり不眠不休で患者を診てきたが、日が経つにつれ被害のすさまじさに身がすくんだという。氏の故郷は被害が最も激しかった三陸海岸南端の牡鹿半島だ。
地震から約10日後の3月20日、ようやくクルマ4台に医療品、飲料水、おむつ類、食糧などを詰め込み、現地で当面働くことになる「志願兵(若い医師たち)を届けがてら」故郷にたどり着いた。惨状はテレビ報道で予想していたが、巨大な防波堤が押し流され、転倒しているのを見て、声を失った。
氏の故郷も他の農漁村同様、過疎化、高齢化で、避難所を支える「若者」のほとんどは五十代だという。そうした避難所を回ると、幾ヵ所かで幼児向けのおむつは必要がないと言われた。
「多くの集落はこの災害で一気に消滅するのではないかという予感を抱きました」と、目黒氏は語る。
「集落の人びとはその存在すら忘れられ、公的援助の手も差し伸べられていなかったことに不平不満を言うでもなく、東日本大震災を天災、あるいは運命として受け止め、満面の笑みすら浮かべて私を見送ってくれました。故郷の人たちを後にし、私は、彼らに代わっての憤怒を抱いて帰ってきました」
藤沼氏も目黒氏も同じこと、つまり、日本国政府の無為無策に憤っている。
日本の近代国家建設に貢献した伊藤博文は「国に組織ありて而して後国始めて始動す」と書き残した。国家は組織があって初めて機能する存在だと言っているのだ。東洋諸国が西洋諸国に近代国家建設で遅れ続けた一因は、国家組織の有無に起因すると、伊藤は強調したのだ。
組織や制度なしには、国は単なる個人や集落の集合体にとどまり、底力を発揮出来ないのは明らかだ。だからこそ、指導者には、危機に際して国家を始動させるための明確な国家意識が求められる。そのような意識を欠く民主党の指導者にはこの国難を乗り切ることは難しいと思うゆえんである。
若葉マーク…
彼はついこの間、仮免総理であったことを自身で認めた。 百歩譲って今はもう仮免ではないとしても、まだ若葉マークだということ。 この希有な国難の時期、そんな頼りない男に任せ ……
トラックバック by ミミズのマフラー — 2011年04月06日 13:19