「 民主社会に変わる条件を備えた中国のジャスミン革命は続く 」
『週刊ダイヤモンド』 2011年3月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 878
中東で始まった民主化を求める「ジャスミン革命」の波及を堰き止めようと、中国共産党の死に物狂いの努力が続く。自由で公正な社会を渇望する中国版ジャスミン革命を目指す日曜日ごとの集会は、2月20日に13都市、27日に27都市、3月6日は33都市に呼びかけられた。
中国当局の締めつけは激化し、27日の取材で妨害、あるいは暴行された外国人記者は、日本人カメラマンを入れて少なくとも10人に上った。メディア側の不満は3月1日、洪水のような質問となって中国外務省の姜瑜報道官に突きつけられた。1時間半に及ぶ激しい応答で姜報道官は感情を剥き出しにして、外国メディアは中国の法律を守れと反論するばかりだった。
メディア規制は中国の伝統芸だ。中華人民共和国建国直前の1949年9月22日、毛沢東は「新聞は党の喉舌、一つの巨大な集団の喉舌」だと語り、鄧小平は50年5月16日、「西南区新聞工作会議の報告」で「新聞がうまくやれれば、指導者の大いなる助けとなる」と述べた。鄧小平は後に、報道はよいニュースが8割、悪いニュースは2割程度にとどめるのがよいとも語った。天安門事件での処理を咎められて失脚した趙紫陽に替わって権力の座に上りつめた江沢民は「新聞がうまく仕事をすれば、党の路線、方針、政策、任務の有力な宣伝となり(中略)誤ったものを制止でき、正す作用もある」と語った(『中国のマスゴミ』福島香織著、扶桑社新書)。
中国共産党にとって、報道は、国民をコントロールするために使う道具にすぎないのだ。だからこそ、中国では物言えば唇寒しで、命も奪われる。力を用いて国民を一方的に従わせた典型的事例、89年の天安門事件について、中国共産党は現在も厳しい情報規制を敷いており、同事件の悲劇を知らない中国人が増えている。だが、戦闘機や戦車で国民を殺害中のリビアのカダフィ大佐が、天安門事件を暴力統治のモデルと認識しているように、世界はこの事件を忘れていない。
こうした事実を中国共産党は絶対に見たくないのだ。だから情報に扉を立てるという不可能な課題に挑み続ける。国内規制にとどまらず、彼らは外国メディアをも規制しようとする。
昨年12月、温家宝首相がインドを訪れたとき、中国メディアはいずれも温訪印を大成功と報じた。他方、インドをはじめとする諸国のメディアは中国の領土への野望や一方的貿易規制の現状を厳しく論評した。すると帰国直前の内外記者団との会見で、温首相は世界のメディアはなぜ自分の訪印を成功と報じないのかと強い不満を述べた。外国メディアを自国メディア同様に規制できると錯覚している証拠である。
彼らの規制はメディア各社を超えて外国政府への指示にまで及ぶ。2006年1月、中国外務省の崔天凱アジア局長は上海の日本総領事館館員の自殺について、日本政府に報道規制を要求した。当時、日本では中国の公安当局が同館員の弱みを握り、脅迫し、執拗に情報を要求していたことを詳細に報じたが、これを苦々しく思った中国は日本政府に情報規制を求めるという非常識な行動にまで出たのだ。
10年7月3日、中国海軍が沖縄本島と宮古島のあいだを航行し、日本に警戒論が生まれたときには、中国外務省は日本政府に「このこと(通過)を発表する必要はない」と通達してきた。
彼らは自身の傲慢さや時代錯誤に気がつかない。ジャスミン革命が起こるべくして起きていることも認めない。だが、識字率の上昇と出生率の低下で個人は社会や家族の束縛を振りほどいて革命に走ると、人口統計学の専門家、エマニュエル・トッド氏は述べている(「読売新聞」3月2日付朝刊)。人口学からいえば、中国はすでに民主社会に突入していてもおかしくない社会的条件を備えている。中国のジャスミン革命は続くと見るゆえんである。