「 貧困と過激派の芽が混在し難航するエジプトの政権移譲 」
『週刊ダイヤモンド』 2011年2月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 875
オバマ大統領がエジプトのカイロに元駐エジプト大使のウィズナー氏を特使として派遣したのは、ムバラク大統領に即時、もしくは早期に退陣するよう説得するためだったと見られていた。
だが帰国したウィズナー氏は五日、オバマ大統領に、ムバラク大統領による政権維持が今致命的に重要で、米国は即時辞任など求めるべきでないと報告し、周囲を驚かせたという(「産経新聞」2月8日)。クリントン国務長官もまた、ムバラク大統領の早期辞任は混乱をもたらすと述べ、慎重な姿勢を見せ始めた。
たとえ、反政府運動が民主的大衆運動から始まったとしても、性急な交代はイスラム過激派勢力につけ込まれる危険が大きいとの懸念が米国政権中枢に広がりつつある。CNNなどの現地報道は政府軍の銃弾に倒れた犠牲者らの映像をふんだんに報じて、ムバラク政権の強権ぶりを印象づける。しかし、情報を読み込めば、エジプト国民の意外な意見も聞こえてくる。
チュニジアの政権転覆をきっかけにして、カイロ中心部に集った群衆は主に中産階級であり、ジェラバ(djellaba)と呼ばれる伝統的な大きな布で身を包んだ貧しい人々は、依然としてムバラク大統領を支持していると、現地のメディアが伝えているのだ。
エジプトの総人口の約4分の1は、1日2ドル以下で暮らす貧困層だ。彼らは、ムバラク政権の支給する食糧補助が政権交代で停止されるのを恐れていると報じられた。一方、反政府デモの群衆は、ムバラク政権こそ、一部の特権階級をつくり上げ、貧しい人々を置き去りにしたと糾弾する。いったいどういうことか。
政権交代が起きれば、次の政権は現政権よりも民主的な、国民に近い政権にならざるを得ないが、行き過ぎで過激な政権が誕生すれば、貧困層への食糧補助がなくなると貧しい人々は見ているのだ。政府の貧困層支援は米国の援助に支えられており、米国は過激な政権には援助しないため、食糧補助も止まるという理屈である。また、一般の国民は、観光産業で支えられるエジプト経済にとって、革命的な変化はツーリストを遠ざけ、暮らしが行き詰まると懸念する。
デモの群衆のなかにもこのように考え始める人が出現したが、経済を通して政治を考える貧困層の考えとも通底する。どの価値観が正しいなどとはとうてい言えないが、重要なのはムバラク政権打倒がイランや北朝鮮と結ぶようなファシズム勢力の誕生につながってはならないということだ。
エジプトの最大野党、ムスリム同胞団は1928年に創設され、ナセル大統領暗殺未遂事件を機に、54年、非合法化された。サダト大統領は、しかし、左派勢力を分断する意図で彼らの活動を認め、同胞団は幅広い活動で勢力を伸ばしてきたが、その実態が穏健なイスラム主義勢力だという保証はない。同胞団から派生したパレスチナの過激派、イスラム原理主義勢力のハマスは今も、同胞団のガザ支店と呼ばれている。
エジプト情勢の複雑さは、2001年の9・11同時多発テロ実行犯のリーダー、モハメッド・アッタやアルカイダのナンバーツーの実力者、アイマン・ザワヒリが、エジプト人だったことからも想像される。穏健なアラブの国といわれながら、同胞団の外側にも過激派が生まれていたのだ。
サウジアラビア、シリア、イエメン、ヨルダン、そしてイランも含めて、中東には民主主義国家と呼べる国は存在しない。米国がつくったといえるイラクの民主主義が例外である。イスラム教国での民主主義勢力の伸長は容易ではないのだ。だからこそ、貧困と過激派の芽が混在するエジプトの安定には、注意深い政権移譲が欠かせない。米国でオバマ大統領の性急さが抑制されつつあるのは賢明なことだと思う。