「 いま見直せ、日本の異常な国防体制 」
『週刊新潮』 2011年1月27日号
日本ルネッサンス 第445回
1月14日、菅直人首相は内閣改造を行い、「社会保障制度の抜本的見直しと税制改革」を行う方針を明らかにした。しかし、膨張する隣国中国の力を認識すれば、いまこそ国防の根本的な見直しが必要である。
日本の国防体制、防衛省と自衛隊の在り方の何が問題なのか。シンクタンク「国家基本問題研究所」で色摩力夫(しかまりきお)氏を招いて聞いた。氏は元外交官で、国際的視点で国防問題を論じてきた専門家である。
氏の指摘はまず第一に日本以外の諸国では軍は一個の国家機関であり、行政府に直属する警察とは性格を異にするという点だった。これは司法と比較するとわかり易いだろう。
立法、行政、司法の三権分立がわが国の建前だが、司法が独立しているのであれば、なぜ法務省は行政府の一部なのかと、疑問に思うかもしれない。法務省は行政府の一部として同省の人事と予算を所管するが、一方で、法の専門家集団が行政府に影響されないように司法(裁判)を担当しているのは周知のとおりだ。
色摩氏はこれと似た構造が諸国の軍の在り方だと言う。普通の民主主義国の普通の軍の在り方は、防衛省なり国防総省なりが行政府の一部として自省の人事と予算を仕切る一方で、専門家の軍人集団が軍事政策を担当するということだ。だが、日本では、他の民主主義国では当然の、軍事の専門家、つまり自衛官が軍事政策を担うことはないのが現状だ。
が、司法が独立性を有していても、あくまでも法務大臣、さらには総理大臣の指揮下にあるように、自衛隊は現在も将来も、シビリアン・コントロールの下になければならない。
では、自衛隊を統制しているシビリアン・コントロールとは何か。それは「文民統制」と訳されているが、本来は「政治統制」が正しいと色摩氏は強調する。国民が選んだ国民代表としての政治家、及び彼らが構成する政府の指示に自衛隊は従うのであるから、政治統制が正しい。
「文官統制」
にも拘わらず、それは文民統制とされてきた。そこに旧内務官僚らの企みが透視される。シビリアン・コントロールという聞き慣れない言葉が占領軍から伝えられたのは、自衛隊の前身の警察予備隊が創設された1950年当時だという。そのとき通訳はこれを「文官統制」と誤訳した。旧内務官僚らがさらに恣意的に解釈し、その後、言葉は「文民統制」に変えられたが、実際は制服の軍人を自分たち背広組、即ち文官が統制する形にしていったのだ。
結果、他国に見られない参事官制度が自衛隊に生まれた。防衛大臣の下に、各省から防衛省に出向する内局の官僚が自衛隊の制服組の上に君臨し、防衛省の政策を決定する仕組みである。彼らが決定するのは予算と人事に限らず、専門的知識が必要な戦略や作戦も含まれている。
他国で専門家としての軍人の意見が重用されるのが当然の分野でも、日本では内局の官僚らの意見が重視される。この文官統制の特徴は自衛隊を軍として認めないことだと言ってよいだろう。誰が見てもおかしいと思う自衛隊を縛る多くの法律が存在し、防衛政策の実に多くが机上の空論であるが、それこそ文官統制の結果なのだ。
たとえば2009年夏、中国の反発によって骨抜きにされた感はあるが、国連安全保障理事会は対北朝鮮制裁決議案を採択した。日本は決議推進の側に立ったが、万一、臨検が「義務化」されていたら、日本は不名誉の淵に沈んでいただろう。
海上自衛隊が北朝鮮の船に遭遇し、制裁の一端として貨物検査を実施する場面になったと仮定する。海自の活動の法的根拠は「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」(船舶検査活動法)である。
同法第5条は、海自に許される船舶検査活動を7段階に分けている。①船舶航行の監視、②船舶への呼びかけや信号弾で、自己の存在を知らしめる、③相手船舶の船籍、目的港、積み荷などの照会、④相手船舶に停止を求め、船長ら同意の上で相手方に乗り移り積み荷検査をする。
同意なしでは臨検出来ないのだ。しかし、ミサイルや核関連の積み荷を運ぶ船なら、船長が臨検に同意することは万に一つもないだろう。
その場合、海自は次の行動として、⑤船長に目的地変更を求めることと定められている。船が指示に従わない場合、どうするのか。⑥説得する、である。説得に応じない場合は、⑦追尾する、である。
どの場面でも海自には、他国の軍にとって当然の強制力も武力行使の権限もない。相手船舶が攻撃してくれば、海自も武器を使用出来る。その場合も、「人に危害を加えてはならない」ために、相手が工作船や海賊であっても、負傷させたり、死なせてはならないのだ。これでは他国の軍艦と一緒に、臨検出来るはずがない。
自衛隊の制度的欠陥
この異常な状況は、「文官」が自衛隊の軍としての側面を根底から殺ぎ落とすために、自衛隊を警察と同じ法体系に置いた結果である。どの国でも軍と警察の組織は根本的に異なるものであり、当然、法体系も全く異なる。両者の違いを色摩氏は次のように語った。
「まず機能として、軍は国防、警察は治安維持と犯罪防止と捜査を担います。任務の遂行に当たって与えられる権限は、軍はいわゆるネガリストで、警察はポジリストです」
ネガリストと呼ばれる権限付与の方法は、やってはいけないことを指示し、その他は全て許される方式だ。ポジリストはやってよいことを命令し、命令にないことはやってはいけないという方式である。
軍事行動に際して「市民を傷つけてはならない」、「捕虜を虐待してはならない」などがネガリストの代表的事例である。
他方、前述のように海自が北朝鮮の怪しい船に遭遇した場合、まず「監視」し、「呼びかけ」、「船籍や積み荷を尋ね」るなど、事細かに定められた命令を実行した末に、相手が言うことを聞かなくても、法に書かれている「追尾」、つまり、くっついて行くことしか出来ないのが、ポジリストである。
他の国の海軍なら、呼びかけにも停船命令にも応じなければ、現場の指揮官の判断で当然攻撃するだろう。その場合指揮官には、国際法を守る限りにおいて、テロリストや工作船、海賊船制圧のためにすべての行動が許される。しかし自衛隊は軍隊ではなく警察と同じポジリストによって予め、行動と権限を制限されているために、そんなことは出来ない。
これは尖閣諸島の領海を侵犯する中国船に対しても同じである。日本を守るには、これらの自衛隊の制度的欠陥を正して、わが国の国防の基礎を固めなければならない。究極的には憲法改正を論じなければならない。菅首相にこのような問題意識はないであろうが、国防体制の根幹的欠陥を正さなければ、日本が危ういのが現実である。
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ピンバック by Tweets that mention 櫻井よしこ » 「 いま見直せ、日本の異常な国防体制 」 -- Topsy.com — 2011年01月27日 01:56