「 日本の生き残る道 」
刮目せよ
激動の2011年 日本の生き残る道
『週刊新潮』 2010年12月30日・2011年1月6日合併号
日本ルネッサンス・拡大版 第442回
惰眠を貪る日本の政治とは対照的に、国際社会は諸国が戦略を練り、素早い判断で行動しなければ食い潰されてしまう覇権争いの時代を迎えている。とりわけアジアでは中国、インド間で国益をかけた熾烈な駆け引きが展開されるだろう。それは、以降100年間の世界を規定すると言ってもよいような重大な意味を持つもので、日本も当然、大きな影響をうける。
2012年には、ロシア、米国、韓国、台湾が各々選挙の時期を迎え、中国でも新指導者が誕生する。彼らが戦う戦略ゲームは、後に詳述する中国の新たな決意と、中国による核拡散という重大な変数を交えながら展開される。
加えて北朝鮮情勢はいつ急変してもおかしくない。
指導層の一斉交替が起きる2012年を前にした2011年は、すでに世界の緊張の中心となった西太平洋とインド洋における複雑な戦略戦が熱く闘われる年だ。アジアの大国日本といえども、覚悟と戦略なしには乗り切れないだろう。
中国の異常な軍拡についてはすでに多く語られ、世界はその脅威に直面してきた。だが、世界はいま新たな中国の脅威に直面している。中国が2009年夏に政治姿勢の変更を決定したからだ。それは、韜光養晦(とうこうようかい)(姿勢を低く保って力を蓄える)という鄧小平の教えに訣別して、有所作為(なすべきことをなす)という戦術への転換だった。自信をつけた中国は、国際社会の制度や価値観に中国の利益を犠牲にして合わせるのは不合理だと考え、逆に、国際社会のルールや価値観を中国風に変えていくことを選んだのだ。
中国は紛れもなく、覇権大国になると宣言したのである。彼らは日本、インド、ロシア、台湾をはじめ近隣諸国のほぼすべてと領土領海、地勢を侵すか侵されるかという深刻で微妙な問題を抱えることになった。それも、なすべきことをなすと決めた彼らにとっては、覚悟の内なのだ。
旧ソ連と異なり、国家基盤としての経済の重要性を知悉する中国は、軍事にとどまらず、全分野に覇権を及ぼそうとする。一例が金融だ。強い経済を実現し維持するために、経済の基盤である金融を中国式に制度設計しようとするのだ。
1985年のプラザ合意以降、常に不条理なまでの円高によって成長力を殺がれ続ける日本を横目に、中国は人民元を安すぎる水準にとどめてきた。欧米諸国の切り上げ圧力を、米国に次ぐ軍事力に象徴される国家の意思をもって、断固、はね返してきた。のみならず、中国人民銀行の周小川総裁が09年3月に「世界の準備通貨としてのドルから離れる」ことを提唱したように、ドル体制への挑戦を公然と打ち出した。
人民元を基軸通貨化する戦略目標を掲げたのだ。
国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行(ADB)で議決権を高めつつあるのも、中国式の金融制度を作り上げる「努力」の一環だと考えてよいだろう。他方、10年12月6日までに、外資依存型の経済運営を全面的に改めると発表。外資系製造業に与えていた優遇税制を全廃し、脱外資路線を明らかにした。中国は本当に自信をつけたのである。
中国の自信は、しかし、知的財産権の侵害に見られるように、多くの場合、国際社会のルール破りに発展する。世界貿易機関(WTO)に加盟したにも拘らず、レアアースを一方的に輸出規制した。力で相手国を捻じ伏せるこの手法こそ、紛れもない中国の手法だった。
知的財産権を侵害して技術や製品を入手するのであれば、当然開発コストは限りなく安くなり、競争力は強まる。そうして手にした経済力と異常なペースで進めた軍拡の相乗効果が現在の中国の国際社会での存在感を作り上げた。そして、彼らは遂に世界の地勢を根本的に変えるに至った。
中国は1982年、鄧小平の時代に長期戦略を立て、2010年までに日本列島からボルネオまでの第一列島線内部の制海権を打ち立てると決めた。
2020年までに小笠原諸島からグアムをつなぐ西太平洋の制海権を確立し、2040年までに西太平洋とインド洋で米海軍の独占的支配を阻止すると定めた。中国の外洋進出はまさにこの戦略に沿って実現されてきた。
拡大路線を驀進中
中国の進出でインド洋も西太平洋も緊張の海に変わったが、彼らが安心して外洋に進出出来たのは、進出に先だって周到に背後を固めたからだ。一例が新疆ウイグル自治区の扱いである。弾圧と虐殺の極みといえるこの事例に、中国膨張の基本型が見てとれる。
人口800万から1,500万といわれたウイグル人の国、東トルキスタンを軍事力で奪ったあと、彼らの団結を阻止するために、漢民族をウイグル自治区に大量に送り込んだ。ウイグル人に凄まじい弾圧を加え、彼らとルーツを同じくする中央アジアのトルコ系民族からも切り離しを図った。中央アジア諸国に手厚い援助を実施して中国への非難を封じ込めたのだ。こうして中国内のウイグル人は内でも外でも孤立させられ、抵抗力を殺がれた。
一方で中国は中央アジア諸国の豊富な資源も自国のものにし始めた。カザフスタンからカスピ海経由で新疆に延びる原油パイプライン、トルクメニスタンからウズベキスタンとカザフスタンを経由する天然ガスパイプラインの建設だ。
中国はウイグル人の祖国を奪い、渇望する資源を手に入れ、中央アジア諸国を中国に依存せしめることに成功したのである。
中国の拡大路線は極東ロシアにも急速に伸びつつある。かつて中国を凌駕したロシアの国力の凋落は、特に極東で顕著である。ヨーロッパの面積の約2倍の極東に住むロシア人は現在わずか700万人、5年後には450万人に減少する。国境の南には土地や資源、起業の機会を求めて越境の時機を窺う億単位の中国人がいる。事実、すでに多くが入植済みである。少ない人口と豊富な資源を特徴とする極東ロシアはいずれ中国圏に組み込まれていかざるを得ず、このことはロシア首脳部の心中深くで、中国への猜疑心となっている。
中国が好んで使う「平和的台頭」という表現にも拘らず、中国は全方位で拡大路線を驀進中なのだ。空母を建造する傍ら、米国の空母牽制のために75隻もの潜水艦を確保したと見られる。米軍を無力化する二つのサイバー部隊もフル稼働中だ。有事の際、米空母の接近を阻止する対艦弾道ミサイルとそれを支えるレーダー網も完備済みだ。事態の深刻さは、米国防総省系のランド研究所が2009年の報告で「米国は2020年までに中国の攻撃から台湾を守ることが出来なくなる」と分析したほどである。
台湾を制圧すれば、中国は南シナ海により大きな海軍力を振り向けられる。中国にとって南シナ海は極めて重要な世界制覇戦略の拠点である。
海上自衛隊で指揮官を務めた潜水艦の専門家、岡崎研究所副理事長の川村純彦氏が指摘した。
「中国は、南シナ海を対米核攻撃の第二撃力の基地にしようとしています。仮に核戦争が勃発して陸上の基地が攻撃されても、潜水艦は攻撃を免れ得ます。生き残った潜水艦から米国へ核ミサイルを発射する。これが第二撃力です。中国には、まだこの報復能力はなく、必死で持とうとしています。その種の攻撃型潜水艦を隠しておくのに、十分な深さのあるのが南シナ海で、絶好の場所なのです」
南シナ海の海南島に中国が完成させた大規模海軍基地は、潜水艦20隻を収容するトンネル式の地下基地を備えた、最新鋭の普級ミサイル潜水艦の母港である。
「南シナ海を核の第二撃力の基地として聖域化して初めて、米国と対峙出来る物理的な強大国となれる。中国はそう考えているのです」と、川村氏は語る。
「真珠の首飾り作戦」
まさに2040年までに西太平洋とインド洋から米国を排除して中国の覇権を打ちたてる戦略を実現する非常に重要な第一ステップが南シナ海制覇なのだ。
中国は一度立案すると忍耐強く継続する。決して諦めず、しかも柔軟である。
たとえば、この十数年間、インド洋支配を目指してインドを取り囲む形で軍事基地や軍艦の収容が可能な大規模港湾を整備してきた。通称、「真珠の首飾り作戦」と呼ばれる同作戦はバングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、パキスタンなどの協力で進められた。
欧米諸国はミャンマーの軍事政権に「民主化」の要求を突きつけ、援助を断ち切ったが、中国は惜しみなく援助を与えた。東南アジアで最も広い国土と豊富な資源を有する穏やかな国民性のこの国で、中国は見返りに資源と土地を手に入れ、さらに対インド戦略拠点としてシットウェに港を築いて足場にした。
2011年には雲南省の昆明とミャンマー最大の都市ヤンゴンを結ぶ高速鉄道の建設に着手する。鉄道は途中で枝分かれしてシットウェの港にも通ずることになる。
中国は相手国の政体にも価値観にも拘らない。自分の望むものをひたすら追求する。そうして中国が第三世界に与えた最大のものが核兵器とミサイルである。
インドの著名な戦略研究家でジャーナリストのラジャ・モハン氏が指摘した。
「パキスタンの核も北朝鮮の核も元を辿ればすべて中国が与えたものです」
核とミサイルを持った北朝鮮が東アジアの問題国であるように、核とミサイルを手にしたパキスタンは南アジアの問題国である。しかも彼らの背後にはタリバン勢力が存在し、今後のアフガン情勢に深い影を落としている。これらはすべて、中国の核の拡散が生み出した結果である。中国こそ平和と秩序の破壊者なのだ。
そんな中国に包囲されようとしているインドだが、おしなべて冷静である。国家安全保障担当の首相補佐官、メノン氏に中国の真珠の首飾り作戦について問うと、こう答えた。
「港湾を築いたりすること自体はなんら脅威ではありません。その使い方が問題なのです」
一方、モハン氏はパキスタンへの中国の核の提供について、「複雑な問題について語り合う印中両国の政治的意思が大事だ」と語る。
インドの外交、安全保障政策形成に大きな影響力を持ち、高く評価される官民の二氏の発言は、少なくとも表面的には、驚く程中立的で冷静だ。だが情勢は容易ではない。
シンクタンク国家基本問題研究所副理事長で、長年外交政策を論じてきた田久保忠衛氏が指摘する。
「いまタリバンらテロリストたちは、2011年夏にも始まる欧米軍撤退を待っているでしょう。米国が去ったあと、パキスタンが核やミサイルと一緒に、勢力を盛り返したタリバンに絡めとられることが懸念されます。インドに対して大変な脅威です。隣接するイランも同じです。インドはイランと比較的よい関係ですから、協力するのか。しかし、イランと緊密化すれば、イランの核を疑う米国はどう思うのか。米軍撤退後の戦略図は全く見えてきません。その中で、中国だけは、米軍が治安維持に汗をかいているアフガニスタンで、いまも着々と銅の鉱山開発を進めています」
雄々しい国に
こうした中、インドでは、伝統的な非同盟外交を守りつつも、二国間或いは、イラン、ロシア、米国、日本、韓国、豪州、東南アジアまで視野に入れた多国間の戦略的関係を構築すべきだとの意見が少なくない。不安定な核保有国のパキスタン、展望の開けないアフガニスタンという現実の危機を前にして、インドは世界を視野に入れた大戦略を考え、生き残りの道を探る。
2010年11月6日、オバマ大統領はインドを訪問し、4日間の長きにわたって滞在した。インド国会では、インドの国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持すると語った。米国とインドの共通点を強調し、中国との違いを浮き彫りにした。
オバマ大統領もまた、十分に気づいたのだ。ユーラシア大陸、インド洋、西太平洋問題の元凶が中国であることを。そのうえで戦略の立て直しを図っているのである。南アジアのパワーバランスが再び変化し始めたのだ。
2011年以降の世界的問題にどう対処すべきか。メノン氏は日印間の多角的二国間協力の必要性を強調した。決して言葉には出さないが、中国を意識しているのは明らかだ。インドへのわが国の対処が問われており、その対処は日本の生き残りにも決定的な意味を持つ。
経済交流や幅広い人間の交流は無論のこと、日印二国間の軍事交流を同時進行で充実させていくことが当面の課題である。
しかし、誤解を恐れずに言えば、これとても枝葉の問題である。日本がいまとことん考えるべきは、現行体制の下で、日本は国家として機能するのかということだ。憲法9条で尖閣を守れるのかということでもある。
政治家も官僚も国民も、日本の国家運営に責任を感じ、いまこそ、激しく変化する国際社会に刮目し、日本の在り方を考えなければならない。
中華帝国主義を掲げ、強烈な国家主権意識で押してくる中国にどのようにまともにわたり合うかを考え、雄々しい国になることだ。志をたて、未来世代のためにも大戦略を錬り始めるのだ。