「 日本は『最小不幸社会』ではなく『最大幸福社会』を目指すべきだ 」
『週刊ダイヤモンド』 2010年7月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 846
菅直人首相と民主党は「最小不幸社会の実現」をマニフェストに掲げた。だが、社会主義的平均値の社会実現を追求するあまり、民主党政権は日本の針路を間違えるのではないかと思う。
「最小不幸社会」という、後ろ向きでジメッとした政策目標を掲げた理由について、菅首相は述べている。「幸福は個々人の価値観によって異なり、これは権力が関与するべきではありません。(中略)政治は権力であり、権力は人びとの不幸の原因を取り除くことにこそ使うべきです」と。
そのために貧困も失業も、働きにくい職場も老後の生活の不安も、医療の不足も低い最低賃金も皆、国の責任でなくしていくという発想である。
理想としては素晴らしいが、そのために政府は現在よりもはるかに手厚い社会保障政策を実現しなければならなくなる。予算は膨大な規模にならざるをえない。ただでさえ、わが国にはこれまた膨大な財政赤字が積み上がっている。であれば、かなりの、というより尋常ならざる額の新しい財源を捻り出さなければならない。消費税にとどまらず、すでに、所得への累進課税強化、相続税率の引き上げなどが具体的に論じられ始めたのは当然である。
最小不幸社会を目指す菅首相の経済政策の基本は強固な再配分と、結果の平等の徹底である。しかし今、日本が必要としているのは、再配分や結果平等よりも、もっと前向きの政策である。後ろ向きの最小不幸社会をもじって表現すれば、「最大幸福社会」の実現をこそ目指すべきときだ。
明治時代、実業界の第一人者として日本の基盤を支えた渋沢栄一が『論語と算盤』に書き残している。「富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人が挙(こぞ)って富者を排儕(はいさい)するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は、すなわち国家の富である。(中略)国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。その結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成り行き」であると。
渋沢は、貧富の差は、程度の差こそあれ、いつの時代にも存在する現象であること、指導者はその差を出来るだけ解消すべく、王道としての政策を実施すべきであること、だが、富の分配平均を目指すあまり「日夜勉励する人々」の志や気概を挫いてはならないことを戒めているのである。一所懸命に励む人がいて、彼らが富み、幸せになることによって、社会全体の富も幸福も増大されていくという考えだ。
隣国の中国でも同じように考えた人物がいた。鄧小平(とう・しょうへい)である。全員が平等でなければならないとの建前を掲げる社会主義経済では、中国は貧困からも停滞からも脱出出来ないと認識し、鄧は改革開放を宣言した。社会主義統制経済と万人平等の考えをあっさり打ち捨て、資本主義と競争の原理を取り入れ、一部の人々が真っ先に「カネ持ち」になることを奨励した。彼らが富み、彼らの富と覇気を通して中国全体を富ませ、成長させていく考えだ。中国は成功し、いまや世界経済を牽引する力を得た。社会主義的価値観では現在の中国の繁栄はなかったはずだ。
もう一つ、民主党そのものを考えてみよう。民主党という政党自体、菅首相が唱える社会主義的社会からは生まれえなかった。鳩山家という莫大な資産を持った家族が存在し、幾十億円かの資金を拠出した結果、初めて誕生することができた。その鳩山家に強度の累進税率を課し、高い相続税率も課し、丸裸にしてしまえば、政党づくりに必要な幾十億円の資金を出すことも、もはやかなわないことだろう。
社会主義経済に傾く菅政権の政策の先に日本の繁栄があるとも、若者たちの夢が存在するとも思えない。菅民主党は最小不幸社会の実現よりも、最大幸福社会の推進に力を注ぐべきだ。
終戦記念日に思った事・広島と長崎と原爆の事と沖縄と戦争…
あの時の戦争って何だろう、私はちゃんと勉強した事がないから分からない。私の両親は終戦時小学生、両方の祖父と祖母は戦争には行ってないそうだ。但し戦争に行った親戚は一杯いて、余程辛いのか何も教えてはくれ……
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