「 口蹄疫拡大は民主党政治の不策 」
『週刊新潮』 2010年5月27日号
日本ルネッサンス 第412回
宮崎県を発火点に、猛威を振るう口蹄疫を前に、鳩山由紀夫首相は17日、ようやく対策本部を立ち上げた。4月20日の発生から28日目である。
如何なる感染症対策も初動が重要だ。第一号感染症例発見から約ひと月後の対策本部設置は山火事にたとえれば、山一面に火の手が上がって初めて消防団を結成するようなものだ。番記者が、被害拡大は対策が遅きに失したからではないかと質したのは当然だろう。首相はこう答えた。
「必要以上に風評が立ち、農家が大変困るという状況があったため政府対策本部という形の立ち上げはしなかった」が、対策については「関係省庁の連絡会議で十分にことを運んできた」。
17日夜の右の首相発言から一夜明けた18日午前、農林水産省と宮崎県は、宮崎県新富町でも初めての感染が確認され、すでに感染牛が出ていた川南町でも新たに13農家で感染が確認された旨、発表した。
1例目を出した都農(つの)町から川南、高鍋の3つの町を越えて日向灘沿いに南下する形で感染が広がっているのだ。殺処分の対象となる牛や豚などは11万4,000頭を超えた。
自民党の衆議院議員江藤拓氏は、感染第一号が確認された4月20日朝には現場に入った。翌21日夕方まで児湯郡市畜産農業協同組合連合会の幹部らと現場で対策を指示した。その間、畜連の幹部らはこう語った。
「10年前の口蹄疫発生のときは、農水省からいち早く、次から次にファックスで情報と指示が入った。今回は全く、なにもない」
上京のため現場を離れた21日夕方まで、たしかに、1枚のファックスさえ、送付されてこなかったと、江藤氏は語る。だが、鳩山首相は「農水省を中心に自衛隊、防衛省なども対応してまいりました」と反論する。赤松広隆農水相に至っては、5月14日午前、記者団に「感染拡大の原因は、初動(の遅れ)の問題か」と問われ、反発した。
「じゃあ、初動捜査が遅れたって、何が、やらなかったからまずいのですか。こう言うと誰も言えないわけですよね」「だって、すぐ薬まいたり、やるべきことは、やっているわけですから」
対策本部が機能しなかった
氏の感情的反発はともかく、今回の民主党政権と10年前の自民党政権の口蹄疫に対する対応を較べてみる。
2000年3月12日、宮崎市内の肥育農家の和牛、1頭の様子がおかしく、農水省家畜衛生試験場で調べたが、ウイルスは見つからなかった。結果、口蹄疫の診断はつかなかった。25日になって10頭に同じ症状が出た段階で、農水省と県は口蹄疫と断定し、直ちに防疫対策本部を設置した。
最初の疑惑事例の発見から口蹄疫の診断までに13日間かかったわけだが、これは今回の事例でも同様である。今回は3月31日に「4頭の水牛の発熱」が宮崎県家畜保健衛生所(以下、家保)に報告された。続いて4月9日に、別の農家で「口の中がただれた牛1頭」の報告があった。家保はこの時も口蹄疫と見抜けず、ようやく20日になって口蹄疫と断定した。この間、20日がすぎた。
診断までに13日間と20日間、この1週間の差は大きい。とはいえ、初期段階での判定はそれほど難しい。
問題はこれから先の対応である。前述のように自民党政権は3月25日、口蹄疫防疫対策本部を設置し、直ちに、患畜を出した農家から半径50メートルの交通を遮断し、半径50キロメートル以内の家畜市場を閉鎖、地域外への牛、豚の輸送を禁止した。同時に宮崎県内の畜産農家への情報提供に取りかかった。口蹄疫に関する基本情報、消毒法などを地区の畜連毎に送り、県下2万3,000戸の畜産農家には防疫策紹介のパンフレットを戸別に送った。
警戒地域に指定された6町の牛の抗体検査体制も敷き、28日には検査を開始、6町1万5,000農家の全ての牛の検査を終えたのが10日後の4月7日だった。その間、政府は消毒薬をはじめとする、防疫に必要な薬剤を宮崎県に供給し続けた。結果、4月23日には半径50キロ以内の牛、豚の移動禁止の解除に漕ぎつけた。5月10日、宮崎県が安全宣言を出し、口蹄疫問題は1ヵ月半で終息した。
対照的なのが、鳩山民主党政権の対応である。疑似患畜が確認されたのは夜中の12時だったが、翌朝8時には大臣、副大臣、政務官の三役が大臣を本部長とする対策本部を立ち上げたと主張する。
だが、折角設置した対策本部が機能しなかったことは、江藤氏が指摘したように、最も情報が必要で、政府の指針が待たれる初期段階で、ファックス1枚、畜連に送られなかったことからも見えてくる。
「政務三役の了承がなければ」
自民党は今回、発生当初から事態を「非常事態」ととらえて、4月22日付で防疫対策をはじめ、33項目の申し入れを鳩山政権に行った。自民党農林族の面目躍如とでも言うべき内容だ。申し入れをまとめた江藤氏が語る。ちなみに自民党農林族の重鎮、故隆美氏は、氏の父である。
「10年前の口蹄疫のとき、親父は鬼の形相で対策に取り組みました。日本の畜産農家を守ろうと必死に戦った。当時、我々は、口蹄疫について今よりもっと知らなかったのです。それでも、親父も自民党も10年前の感染で対策のノウハウを蓄積しました。それを今度は民主党に提供してでも、一緒に口蹄疫を防ぎたいとの思いで申し入れをしました」
しかし、民主党の反応は極めて鈍かった。自民党側は4月30日に2度目の、5月6日には3度目の対策申し入れを行った。江藤氏が嘆く。
「この間、現地からも農水省にいろいろ連絡したんです。しかし、役人たちは『政務三役の了承がなければ動けない』と動かない。肝心の赤松大臣は4月30日から5月8日まで9日間外遊し、一番恐れていた豚にも感染し、患畜は12例から56例へと爆発的に増えました」
結果的に口蹄疫はいまや宮崎牛の種牛だけでなく、九州全体の畜産農業全滅の危機さえもたらしかねない。
この間、民主党側の実態把握はお粗末だ。たとえば5月6日の会見で山田正彦副大臣は「牛(の感染)は落ち着いた」と発言している。
「この頃、豚への感染が急増していた。豚の感染力は牛の千倍と言われており、我々は豚への感染を最も恐れていたのです。豚にうつったからには、牛への感染ももっと広がると考えるべきです」と江藤氏。
赤松大臣は5月11日に、現制度でやれることは直ちに実行したいが、現地から要望が上がってこないと、恰も、対策の遅れの原因が県側にあるかのような発言をした。
そんな中、日本の知的財産である優れた種牛が滅びようとしている。36年かけて育て上げた牛が滅びるとしたら、それは明らかに鳩山民主党下で進む政治の空洞化と無策ゆえだ。
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