「 国益の『嘘』と私益の『嘘』 」
『週刊新潮』 2010年4月8日号
日本ルネッサンス 第406回
鳩山由紀夫首相は、ひょっとして、“病気”なのではないか。こんな言い方は首相でなくとも誰に対しても失礼なことだと承知してはいるが、普天間飛行場移設問題に関する首相発言の変遷は、それほど異常である。
首相は3月29日夜、こう語った。
「今月中じゃなきゃならないということは法的に決まっているわけじゃない」
国民は皆、3月末までの移設先決定を定めた法律などないことは承知している。「3月末」は法律ではなく、首相自身が繰り返した「公約」だったと、皆が知っている。事実、首相は以下のように語ってきた。
・「沖縄の皆様方にも、アメリカにも理解をいただけるそういった案を3月の間に、政府として考えをまとめたい」(3月5、参議院予算委員会)
・「3月いっぱいにはまとめる。それは約束する」(3月24日、記者団に)
・「3月いっぱいを目処に政府案をまとめる努力をしている」(3月26日、記者会見)
このように複数回、首相自身が繰り返してきた言葉をすっかり忘れたかのように、29日になって、「そんな法律はない」と言うのである。首相の頭の中の回路はどのように混線しているのか、知りたいと思うのは私だけではあるまい。
この種の「真っ赤な嘘」の繰り返しが首相迷走の実態である。何度経験しても、私は首相の「嘘」に馴染めない。とりわけ、国民と同盟国に向かって嘘をついているという些かの自責の念も感じさせないツルリとした表情を正視するのは耐え難い。そして世の中には二種類の嘘があると実感する。
政権交代を目に見える形で示したいと強く希望する岡田克也外相の肝煎りで、日米間の「核密約」問題の調査が進められた。有識者委員会は対象を4つの密約に絞って検証を進めた。①核を積んだ米艦船の一時寄港、②朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの作戦行動、③有事における沖縄への核の再持ち込み、④沖縄基地返還に伴う費用の肩代わりだ。
有識者委員会は①の密約はあった、②は事実上失効した、③は密約とはいえない、④は狭義の密約には当たらないと結論づけた。
必要な密約
外相は検証結果を「追認」したものの、不満気だった。日米外交が、全詳細を白日の下に晒しても一片の嘘も交えていなかったと言えるだけの「正直」な外交ではなかったためであろうか。しかし、そんな真っ白の外交は現実にはあり得ないと、国民の方は実感しているだろう。
たとえば、①について、日米両政府の事前協議がなかったからといって、全ての米艦船が核を積んでいなかったと信じてきた日本国民はそうはいないだろう。74年にはラロック退役海軍少将が、81年にはライシャワー元駐日大使が証言して、米艦船の核持ち込みが大ニュースとなった。以来、多くの日本国民は核持ち込みを公然の秘密と見做してきた。
有識者委員会はこの点の従来の政府説明を「嘘を含む不正直」な説明としながらも、「冷戦下における核抑止戦略の実態と日本国民の反核感情の調整は容易ではなかったという事情を考慮すべき」と指摘した。
外交交渉の議事録などを、30年なら30年と区切って、一定期間が経過した後に公表することには私は大賛成だ。日本外交がどのように展開されたのか、相手国の戦略はどうだったのかを具体的に知ることは、日本の外交にとって重要な指針となるはずだ。密約の検証も、その時代背景の中に身を置いて学びの材料とするのであれば非常に有益であろう。
しかし、岡田外相の姿勢は、基本的に後ろ向きで、過去の「密約」の暴露に大きな関心を寄せている。たとえば③の有事の際の核持ち込みについて、有識者委員会が密約とは認めなかった点について、「常識からみると、これこそ密約ではないか」と、歴代政権を批判した。
外相を擁護すれば、氏が「私は岸信介首相、佐藤栄作首相の立場であれば、こういうもの(密約)なしにできたか自信を持てない」とも、述べていることだ。
全て歴史を考えるとき、現在の価値観に基づいて判断するのでなく、その時代に立ち戻って考える姿勢こそ、重要である。60年の安保改定から72年の沖縄返還、さらにその後も、日本には社会党を主勢力とする厳しい反核・反日米安保の世論が満ちていた。ソ連は社会主義陣営の盟主として深刻な脅威を及ぼしていたし、返還前、日中間には国交もなかった。
こうした状況下で、日本に寄港する米艦船に核搭載を拒否することは、日本の安全保障を危うくしたはずだ。また、そのような条件で沖縄返還を要求することは不可能だっただろう。
沖縄県民を含む国民の悲願だった沖縄返還を実現するには、必要な密約だったといえる。
首相の「嘘」は日本の悲劇
佐藤首相の密使として密約交渉に当たった若泉敬氏は、交渉の全容を記した著書に、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という題をつけた。核抜き本土並みという看板の背後で密約を交わし、核持ち込みを許した、国民に「嘘」をついた、沖縄県民に過度な基地集中による負担をかけることになったと、自らを責めながら、それでも当時の厳しい情勢下では「他に手はなかった」と悲痛な思いを吐露しているのである。
同書に紹介されている秘話のひとつに、沖縄返還は米国側からの提案だったというライシャワー元大使の証言がある。日本に赴任した61年以来、元大使は、100万もの日本人を米国軍政下に置き続けることの難しさを認識し、「本土並み」の条件での返還を米国政府に提言したというのだ。
大使を辞任した66年に、国防総省と国務省の合同委員会が設置され、沖縄返還問題が検討され始めたという。佐藤首相は当初、米国に沖縄返還を要求するのに非常に慎重だったとも、記されている。
返還交渉の複雑さを描いた若泉氏は、『他策……』を世に問うた2年後の96年7月に死亡した。今年3月11日の「朝日新聞」は、氏が覚悟のうえの服毒自殺を図っていたと報じた。
自決しなければならない理由は、到底、第三者にはわからない。ただ、沖縄返還当時、米紙東京支局の助手として度々お会いしたその常に真摯な姿勢を思い起こし、氏の冥福を改めて祈るものだ。
氏の交わした「密約」は、検証結果で「嘘」と罵られようとも、それは国家国民のための策だった。公の利益、国益のための「嘘」である。ところが鳩山首相の嘘は、自らの失敗を覆いかくし、失言を取り繕うための「嘘」である。利他と国益の「嘘」、利己と私益の「嘘」。この二つの内、許し難いのは言うまでもなく鳩山首相の「嘘」である。私はそれが日本の悲劇だと思う。
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