「“国籍法”改正は日本の危機」
『週刊新潮』’08年12月4日号
【拡大版・緊急対談】平沼赳夫 vs 櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第340回
櫻井よしこ 現在、「国籍法改正案」の審議が急ピッチで進められています。11月4日に閣議決定され、既に衆議院を通過致しました。11月25日現在、改正は28日の参院本会議までの議論を残すのみとなりました。しかし、ここにきて、「国籍法改正」には、幾つかの大きな問題があることが明らかになってきました。これを通すことは、国の将来に様々な問題を生じさせるのではないか。少なくとも、国籍法の内容について、与党、野党含めて国民の代表である政治家も詳しく知らないまま、来てしまったのが現実です。
そこで、37名の国会議員からなる超党派の議員連盟「国籍法改正案を検証する会合に賛同する議員の会」(以下、反対議連)を急遽、立ち上げ、代表に就任された平沼赳夫代議士にお尋ねします。
平沼赳夫 国籍法の改正のポイントは、これまで、日本人の男性と外国人の女性との間の子供は、両親が結婚をしているか、子供が生まれる前に、父親が認知をすることが、日本国籍を取得する条件でした。それが法改正によって、子供が生まれる前でも、生まれた後でも時期を問わず、父親が認知をすれば、子供に日本国籍が与えられるようになります。そう話すと、人権を守る良い方向に法律が変わるように聞こえるかもしれません。
しかし、国籍は国家の主権に係わる重要な要素です。今よりも安易に国籍を取れるようにするのであれば、少なくともきちんと検討をしなければなりません。よほどしっかりした担保を取らない限り、法改正はすべきでないと、我々は考えています。
櫻井 しかし、現実には、議論が尽くされていないにも拘らず、法改正が目前に迫っています。
平沼 論議が尽くされていないことの一例ですが、11月18日の火曜日に衆議院の法務委員会が開かれ、この国籍法改正案はたった3時間の質疑だけで法務委員会を通過してしまいました。
櫻井 大事な法案の審議がわずか3時間ですか……。
平沼 そうです。この委員会には、反対議連のメンバーである赤池誠章さんと稲田朋美さんの2人も委員として出席されていました。彼らは法務委員会で細かく質問をして、問題を炙り出そうと試みました。しかし、結果的には、法務省がムニャムニャと答弁して強引に通してしまった。実は、この法案には公明党が強く賛成しており、民主党も賛成です。自民党は、民主党の小沢代表と無用な摩擦を避けようとして賛成に廻りました。自民党の大島理森国対委員長は、「反対するなら、メンバーを差し替える」と圧力を掛けたそうです。
櫻井 委員の差し替えとは、尋常ではありませんね。
平沼 異常です。そして、その日の午後、本会議がありました。心ある議員は本会議を欠席して抗議としましたが、私は反対議連の代表ですから、状況を最後まで見てやろうと思って出席しました。そうしたら、河野洋平議長が、「本案についてのご異議ありませんか」と言い出し、皆「異議なし!」ということで、通ってしまいました。起立採決もなし。共産党も社民党も国民新党も全部賛成でした。そしていま、舞台が参議院に移ったところなのです。
櫻井 河野洋平氏は、これまで数々の決断で国益を著しく損ねてきた人物ですが、それはともかく、同法改正のキッカケとなったのは今年6月4日に出た最高裁判決ですね。
最高裁判決で思考停止 フィリピン人の女性と日本人男性との間の子供たちがいて、出生後に父親が認知をしています。この子供たちが日本国籍を取得できないのはおかしいと申し立てて裁判になり、最高裁で15人の裁判官が議論しました。その結果、12人が現行の国籍法は憲法14条の「法の下の平等」に反するとし、うち10人が原告に国籍が与えられるべきだと判断したのです。違憲状態とした判事の多くは、昔とは社会情勢が変わったとか、夫婦間の絆が変わったなどを理由としていましたが、そのうち2名は、「立法の府である国会で判断すべきこと」と国籍付与に反対しました。しかし、多数決で決まってしまうのです。
平沼
櫻井 この判決に異論を唱える憲法学者も少なくありません。例えば、日本大学の百地章教授は、子供たちの国籍取得を認めた点が、最高裁判決の行き過ぎだという意見です。現状が違憲だと判断することまでは最高裁、つまり司法の仕事だけれど、国籍を付与するかどうかを決めるのは、あくまで立法府に任せるべきだという考え方です。同判決は、司法が立法に踏み込み、三権分立を侵したケースだといえるわけです。
平沼 ところが、国会は最高裁判決に目を眩まされて、思考停止してしまった。加えて、人権というものが非常に良いもので、積極的にやることは進歩的だとする浅薄な風潮があります。人権に関して、日本の議員は甘いですね。そんな事情が重なって、今、改正案が通りそうになっているのです。
櫻井 私たちは、最高裁の判決の全てが正しいと思い込みがちです。しかし、これまでの最高裁判決の中には、幾つもおかしなものがありました。例えば「一票の格差」に関する判決です。どこの国でも、大概、一票の格差が都市と地方で、2倍以上になれば、許容範囲を超えたとして、区割りや定数是正の助言や勧告が出るものです。日本の場合は、今、一票の格差は4・8倍にまで開いていますが、そのような現状を、最高裁は「合憲」と判断しています。
平沼 確かにそうです。
櫻井 また、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された時、高裁までは有罪でした。しかし、舞台が最高裁に移ると、田中元首相の生存中、最高裁は田中元首相の政治力を怖れてでしょうか、判決を出さなかった。最高裁は、本当に力のある権力に対しては敢えて逆らわなかったと非難されても弁明できなかったはずです。国会がそのような司法に盲目的に追従しているのが国籍法改正です。
平沼 思考停止といえば、麻生内閣も同じです。と言いますのも、現職閣僚の一人が、私に、「自分も国籍法改正案に署名してしまったが、まずい法律だと、ようやくわかってきた。何とかしてほしい」と言ってきました。こちらは、「あんた、閣議で花押を押して、サインしたんじゃないのか」と訊き返したら、「こんな法案とは知らず、流れ作業で判を突いてしまった」と……。これは非常に象徴的な話です。
櫻井 閣議の時に署名はしたが、中身は判っていなかったというわけですね。
鬼の居ぬ間に法案通過 そうです。私も何度か閣僚を経験しました。確かにその経験に照らすと、閣議の時、官房長官が法案を読み上げるのを聞きながら、目の前の閣議書に署名をします。しかし、多い時は20件くらい次から次へと法案が回ってくるわけです。そうなると、総理以下、流れ作業で署名するような状況です。私に連絡してきた閣僚が「流れ作業」と言った意味はそういうことなのです。
平沼
櫻井 日本の政治は、その辺から変えていかなければいけませんね。かつて、菅直人氏が『大臣』という著書に書いていました。閣議の翌日の新聞を見て、自分が署名した法案の中身を初めて理解すると……。伝統的に、日本は閣議の前日に事務次官会議が開かれ、同会議で全会一致で決まった法案だけを閣議に提出します。国民の側には、閣議では、喧々囂々の議論が行われているというイメージがあるのですが、実際は、今、仰ったように官房長官が読み上げるものに流れ作業で署名をしていく。おまけに政府が提出する法案のほとんどは、実は官僚が作り、全官僚が一致して賛成した法案のみだということですね。
平沼 毎年、通常国会で100本から150本の法案が出てきますが、その8割くらいは政府提案です。国籍法改正のケースでも、最高裁の判決が下されたので、法務省としては、1日も早く法律を改正しなければいけないということで、急いでいるように映ります。そのため、議員には知らせないで、ススッとやってしまおうという雰囲気が見て取れました。タイミングの悪いことに、議員の方も、年内に解散総選挙があるという話でしたから、自民党では法務部会などに出席する議員も僅かでした。結果、法案の中身が吟味されないまま、通過しそうになっているわけです。
櫻井 むしろ、各議員には、選挙区で選挙活動を行えという指令が党から出ていたそうですね。出来るだけ秘密裏に事を運びたい、そのために多くの議員が地元に戻っている間に手続きを済ませたいという魂胆でしょうか。
平沼 そうなんです。だから、私は法務省に、「鬼の居ぬ間に洗濯か」と言いました。すると、法務省の審議官が、「自民党の部会でも政調会、総務会でもちゃんと手続きをとっています」と、豪語しました。「ちょっと待て、私は無所属だが、ちゃんと説明してくれたのか」と言い返したら、黙ってしまいました。
櫻井 人権擁護法案の時には、官僚が勝手に法案を作り、とんでもない悪法が出来上がりました。その時、平沼さんが先頭に立って反対し、阻止しましたね。
平沼 はい、あの時は潰せたのですが、人権擁護法案の経緯がありますから、今回、彼ら(法務省)は秘密裏にやろうとしたのではないか。私はそういう疑いを持っています。
櫻井 けれど、最高裁判決が下ったからといって、今回のように、法務省が慌てるのは珍しい。これも百地教授にお聞きしたことですが、最高裁が、一般の殺人よりも重い量刑を科されている尊属殺人の規定に違憲判断を下したのは1973年でした。しかしそれから22年もの間、法改正を行わなかったこともあったのです。ただ、最高裁判決を受けて、新たに訴えを起こし、国籍を取得しようとしている人々が、現在、100名以上、いるわけです。法務省が対応を急いだのにはこんな事情もあったと思われます。では、国籍法が改正されると、日本の国益はどのように損なわれる可能性があるのでしょうか。
平沼 まず、二重国籍を持っている子供の人数が際限なく増えていき、社会問題となる可能性があります。一例ですが、日本国籍を取得すると、日本の生活保護なども享受できるようになりますね。生活保護は日本人の目から見れば大した金額ではないかもしれませんが、外国人の目から見ればそうでもありません。今の最低賃金よりも生活保護費の方が高い。そういう実状がありますからね。すると、日本国籍を欲しがる人との間に、商売が成り立つ可能性があるわけです。日本人の男性が「これは私の子だ」と認知すると、自動的に国籍が発生します。日本国籍を取りたいという人は諸外国に沢山いますが、偽装防止の歯止めがない。現にドイツはそれで失敗しています。
櫻井 改正案には、不正国籍取得の罰則規定があります。1年以下の懲役か、20万円以下の罰金です。重い刑罰ではありません。むしろ、軽くて安いです。
平沼 安いですね。法務省はこの点、不正取得の暁には、公正証書原本不実記載や、戸籍法違反にも問えるので、合計すれば、実質は7年以下の罪に問えるから、重罪だと言っていますが、これは理屈をこねているだけで、抑止効果は殆ど無いに等しい。ゆえに、ただ認知すれば国籍が取れる法律は危険なのです。
櫻井 6月に最高裁で判決が出たケースの中に、二人の姉妹がいて、姉の方は生まれた後に認知されたため日本国籍がなく、妹はお母さんのお腹の中にいるときに認知を受けたので日本国籍を持っています。なるほど、このケースは、はっきり親子関係がわかりますから良いと思うのです。しかし、親子関係が確認できないにも拘らず、認知だけで国籍が取得できるとすると、ビジネスになる可能性は十分にあるでしょう。今も、偽装結婚の斡旋が横行しているわけですから。
DNA鑑定の必要性 法務省に対して、それでは規則を不祥事が起きないように担保すべきだから、DNA鑑定などを導入してはどうだと問うと、これは駄目ですと言います。理由の一つが10万円の費用です。しかし、国籍問題は重要ですから、10万円掛かろうが問題ではないと考えますよ。ヨーロッパなどでは、移民が家族を呼び寄せる場合、DNA鑑定を実施している国は少なくとも11カ国はあります。にも拘らず、法務省は10万円という金額で躊躇している。
平沼
櫻井 国籍の持つ意味の重さをどう評価するかですね。
平沼 今のところ、我々にできた精一杯の仕事は、法案に附帯決議案をくっ付けたことです。科学的な確認方法を導入することを検討するように配慮すべきという決議です。しかし、附帯決議は尊重する義務はあるものの、過去の例を見るとその実効性は疑わしい。ですから、参議院の審議の際には、さらに強力な歯止めをつけなければいけないと思っています。
櫻井 親子関係の確認に科学的な確認方法を導入することを問題視する意見もあります。なぜなら、民法では行っていない、戸籍上の親子にはそのような科学的証明は求められていないが、民法上の「認知」はそのまま認められているではないかという理由です。
しかし、民法と、主権の行使である国籍法は厳然と分けて考えるべきだというのが、前述の百地教授らです。今回、最高裁が依拠した「認知」は「国籍取得の条件」となります。また、日本の国籍法は血統主義を採用しています。そのため、DNA鑑定は不自然ではなく、特に、偽装認知が疑われるときは、必要だというのは理に適っていると思います。それにしても、法務省は日本の国益を、どう考えているのか、疑問に感じます。目先の問題の処理に没頭するあまり、中長期的な日本の国益を見失っているかのような官僚の提言をそのまま受け入れる麻生政権に対して、世論の風向きも変わりつつあります。麻生政権への支持は、「保守」の政治家としての氏への支持だと思います。しかし、「国籍法改正」は、「保守」の視点からは到底受け入れがたい。民主主義の視点からも、十分な議論もないため、受け入れ難い。まともな議論もなく、通してしまえば、麻生首相はやはりそれだけの政治家だったかと判断されかねません。
平沼 私のところに来る有権者のメールにも、麻生太郎に対する失望感が滲み出ていますね。
櫻井 麻生首相の「保守」政治家としてのもう一つの疑問は「田母神論文」に対する性急な措置です。麻生首相も浜田靖一防衛相も、論文の中身を精査せず、増田事務次官の進言に従って、事実上の更迭を決めてしまったのが真相のようです。これも、問題を起こしたくないという「官僚政治」でしょう。しかし、麻生首相は安倍元首相同様、「戦後レジームからの脱却」を唱えてきたはずです。
平沼 それならまず「村山談話」を否定しなければならないはずです。
櫻井 「田母神論文」には、論理の展開に甘いところがあります。しかし、彼の主張は「村山談話」からの脱却です。それは麻生政権の目指す方向と一致しているはずです。なのに、首相は、田母神氏を更迭した。続いて、国籍法を問題意識もなく改正するとすれば、麻生政権は何のためか、と問わなければならない。
平沼 国民の中の本当の保守の人たちはそこを見ていますよ。それは支持率の急落にも反映されていて、既に20%台に落ち込んでいます。私は首相の親友であるだけに残念ですね。思うに、麻生さんは、問題を起こすことを避けているように思います。ある意味、「ポピュリスト」になってしまっている。漢字の読み間違いが続いたので、役人が原稿に全部ルビを振ったそうですが、彼は人前で眼鏡をかけないから、それが読めない。でも、60を過ぎたのだから、人前で眼鏡をかけても良いんですよ。
麻生総理はポピュリズム 68歳の方が総理大臣。素晴らしいことです。眼鏡が必要なのは不思議ではありませんし、高齢の方々を元気付けるでしょう。
櫻井
平沼 先日、秋葉原で「少年サンデー」は今週読んだけれども「少年ジャンプ」はまだだ、と演説しました。けれども、各国の首脳でマンガについて演説なんかする人はいません。人気マンガの主人公の銅像が出来たと、除幕式で法被を着て挨拶していましたが、これも宰相のやることではありません。自民党の学生部と「北の家族」という安い居酒屋に行きましたが、これもポピュリズム。麻生さんは、お金持ちで貴族なのだから、それで通せば良いんですよ。
櫻井 読むのはマンガだけではないでしょうから、そうした面も見せれば良いのです。やるべきことをきちんとやれば良いだけです。
平沼 今回の、国籍法の改正だって、総理が一言、おかしいと言えば、議論が湧き起こったはずなのに、それがまったく出なかった。
櫻井 残念ですね。
平沼 私は、来る総選挙に、保守系無所属の「平沼グループ」として、13人の同志と共に打って出ます。その際には、櫻井さんが指摘なさった閣議や事務次官会議のあり方にもメスを入れると、国民の皆さんに向けて発表していくつもりです。
櫻井 「親友」の総理大臣には何と助言されますか?
平沼 このところ連絡はありませんし、私も今、彼と会う気はありません。しかし、もし、彼から相談があれば即刻、「こんなもの止めるのがよい」と、助言するつもりです。