「迷走続く、理念なき李政権」
『週刊新潮』’08年8月28日号
日本ルネッサンス 第326回
韓国の混乱と迷走は、恐らく、李明博大統領の下では収拾されはしないだろう。そう感ずるのは、8月15日に行った建国60周年の大統領記念演説を聞いてのことである。
いま、韓国は前代未聞の政治的混乱のなかにある。周知のように、ハンナラ党は4月の総選挙で議席の過半数を握ったが、国会では迷走を続けている。総選挙後10日以内に各種常任委員会などを設置しなければならないにもかかわらず、8月18日現在、何も決まっていないのだ。
日本を例にとれば、予算委員会、安全保障委員会、厚生労働委員会など衆参両院でざっと50の委員会及び特別委員会があり、国政の全案件を審議して、本会議に上程し、案件が処理される。つまり、各種委員会が設置され、国会の構成が整ってはじめて国政が動くのだ。韓国の仕組も同様なのだが、総選挙から 4ヵ月以上が過ぎたにもかかわらず、ひとつとして委員会は設置されていない。政治が機能を停止しているのだ。
こうなったのは、野党が協議に応じないからだと与党ハンナラ党は言う。しかし、彼らは過半数を持つ。国政のためには単独採決も止むを得ない状況だが、それをしないのだ。斯くして、韓国は無為無策の漂流状況にある。
国会の惨状は、無論、李大統領の直接の責任ではない。与野党の責任だ。だが、大統領として、事態収拾に手を打てないのもこれまた、執政者としての資質を疑われる。
政治が麻痺し続ける間に、米国産牛肉輸入の再開をきっかけとする激しい違法デモが2ヵ月以上も、夜毎ソウル中心部を占拠した。
前回の小欄で報じたように、米国産牛肉とBSEについての報道は捏造だったと判明した。世論が捏造報道に煽られ、2ヵ月以上も首都が違法デモで占拠されるなど、法治国家ではあり得ない現象が続いたのだ。一連の騒ぎの背後に、北朝鮮と通じる左翼勢力が存在すると分析されている。
建国60周年の記念演説で、李大統領が国家の指導者として国民に告げるべきは、内政混乱の原因はどこにあるのかを明示し、それに対処するという決意だったはずだ。
米軍の貢献には触れず
では、60周年記念で大統領は何を語り、何を語らなかったのか。ほとんど言及されなかったのが、現在の自由と民主主義を基調とする社会を作り上げた建国60年の歴史で、先人たちが挑んできた戦いの意味だった。韓国史の特徴は、世界でも極めて少数の分断国家である点だ。二つのイデオロギーが激しく対立し、互いに互いを呑み込んでしまおうと謀略を重ねてきた。北朝鮮側は特に、暴力的手段から情報工作まであらゆる手段を駆使した。この対立の構図と戦いは、現在も続行中だ。
そんななか、李大統領は朝鮮戦争について、「同族争いで赤い旗が揚がったりもしました。勇猛なわが国軍が太極旗をまた揚げはしましたが、数百万の命が消え、国土は廃墟になりました」とあっさり述べるにとどめた。
不思議なことに、ここに米軍の援助についての言及が一言もない。日本の場合とは異なり、米国は韓国防衛で5万人以上の将兵の命を犠牲にした。米軍の支援なしには、今日の韓国はなかった。であれば、「勇猛なわが国軍」の功績を称えるとともに、友軍、援軍として戦った米国の貢献にも触れるのが当然で、それは、戦略的にも必要なことだ。
現在、中国が力をつけ、ロシアと共にユーラシア大陸で異形の国々の勢力が強大化しつつある。北朝鮮の背後に控えているのが彼らであり、韓国が韓国主導で朝鮮半島に自由と民主主義を基調とする統一国家を作るには、絶対的に米国の力を必要とする。この自明の理の前で、米国の功績に一言も触れない李大統領は、国際政治における戦略的思考を欠いていると言わざるを得ない。
韓国が北朝鮮化する、呑み込まれるとの危惧が現実味を帯びるいま、李大統領はどんな北朝鮮政策を構築しようというのか。大統領は語った。
「韓国と北朝鮮の双方がともによりよい暮らしをするという夢を決して放棄しない。(観光中の韓国人が射殺された)金剛山での悲劇は残念なことだが、それでも北朝鮮が全面的な対話と経済協力に乗り出すことを期待する」
さらに語る。
「われわれにはもうひとつの夢がある。南と北の8,000万の民族がひとつになって世界へ伸びていく夢です。北韓が国際社会の流れに参加し、さらに統一がなされれば、われわれはユーラシア・太平洋時代の中心に立つことができる」
北朝鮮の金正日体制が続く限り、この夢は実現不可能だ。背後の中国とロシアが民主主義とは無縁の一党支配政治を続けるとすれば、李大統領の描く夢など、消し飛ぶだろう。
混乱する韓国政治の実態
夢を実現するには何よりもまず、北朝鮮の工作でどれほど韓国が侵蝕されているかを直視して、対処しなければならない。韓国のすばらしい夢の実現に役立つ、日米両国を主たる協調国とする国際関係の構築も進めなければならない。だが、李大統領にその種の自覚はないようだ。
60周年記念演説で李大統領は、「人権と民主主義は(韓国に)しっかりと根を下ろした」として、それは「4・19革命、5・18民主化運動、6・ 10抗争」を体験した結果だと語った。「4・19」は1960年に李承晩政権を倒した学生革命、「5・18」は80年の光州事件、「6・10」は87年の全斗煥大統領と軍政に反発するデモを指す。
いずれにも複雑な背景と要素があり、一言で断ずるのは難しいのだが、大統領演説のこのくだりには韓国の政治的混乱の要因となってきた色濃い民族主義と、北朝鮮シンパの金大中氏ら左翼系勢力への迎合が目立つと言わざるを得ない。左翼系運動家らが演出した牛肉輸入を名目にした事実上の政府打倒のデモに直面してもまだ、大統領は韓国社会に広く深く根を張る北朝鮮系運動家の脅威に気づいていないのだろう。だからこそ、60周年記念演説でも金大中氏らに迎合してしまう。
大統領は国民の前でバラ色の夢を描いてみせた。生活共感政策を実施して生活苦をなくし、国家が子どもの保育に責任を持ち、各家庭の近くに文化施設と体育施設をきめ細かく建てて、「国民幸福時代」を実現すると謳い上げた。そんな大統領について、大統領府はこう語った。
「李大統領はこれまでの無気力状態を克服し、自信を取り戻した。これからは原則に従い、決して揺らぐことなく、なすべきことをなしていくだろう」(『朝鮮日報』8月16日)
大統領府の発言だが、李大統領の迷走は続くだろう。日本政府はこのような韓国政治の実態を凝視して、来たるべき負の展開に備えることだ。